2時間目 休み時間 前
イサミとセイマ、それにレニの三人は、宿屋と繋がったレストランの一席に腰かけることになった。
レニの宿を一先ず探し出したのだが、あとはレニを押し込むだけ、と扉を開いたところで、イサミの腹が鳴いてしまったのだ。出入口の木戸を押し開けた時、温かい香りがイサミたちに優しく抱き着いてきたので無理もなかった。
その宿屋は丸太造りの三階建で、一階部分では宿屋の受付カウンターと、町の小さな洋食屋のようにこぢんまりとしたレストランを経営していた。宿泊客が食事をする場所も兼ねているようである。丁寧に磨かれた丸太づくりの内壁は、蝋や、この世界の鉱石が放つ光を反射して黄金色に輝いているようだった。
「――いや、だから俺は金なんて持ってないんだよ」
断る為に手や首を左右に振るイサミだった。どれだけ首を振っても頭頂部のヘアピンが外れることはない。
しかし、思わぬ助け舟を出航させたのはセイマだった。
「私、少しならありますよ」
とスカートのポケットをまさぐり、取り出してみせたのは銀貨4枚だった。
「え、マジで!?」
いわずもがな驚いたのはイサミだ。
「……盗んだ?」
「へ? な、なんてこと言うんですか!」
セイマは、そのボブカットのヘアスタイルも後押しする形で、丸めに見える顔をさらに膨らませて、憤りを表す。
「違いますっ。これはお礼……お礼ではないですけど、退治した獣を売ってできたお金です」
店内は夕食時だったこともあって、それなりに賑わってはいたが、十以上はあるテーブル席にいくつか空席もあったので難なく座ることができた。
イサミは客の顔ぶれを確認するように目を向けつつ、椅子や机の間を縫って空席へと向かう。
若い女の子同士の席や、旅の途中の老夫婦など、平和を肌で感じさせるような客層に、イサミはかすかに眉を顰めた。
そうだ……この世界、っていうと大げさかもしれないけど、少なくともこの辺りって俺くらいか、ちょっと――。
「そこでいいんじゃないですか」
しかし、後ろからセイマに促されて、はっと表情を戻すと、斜め前方にある四人掛けのテーブルへと向かう。
胸像画でも飾る枠ほどの小さな窓のそばになる、奥の椅子に座った。提げていた木刀の入った袋を壁に立てかけると、窓を眺める。
窓の向こうにはちらほら灯りが揺らめき、人々が酒を酌み交わしたり、肩を組んで笑い合っていたりする姿が見えた。
「――わっ」
ぼんやりとしていたイサミを驚かせるように突如セイマが短い悲鳴を上げる。
一番後ろを歩いていたレニが、わざわざセイマを押しのけて、イサミの隣に座ったからだ。
「さ、イサミさん。美味しいご飯を食べて、明日も頑張りましょう!」
「……」
レニが貼り付けたような、にこやかな笑みを浮かべるのを、セイマは呆然と眺めることしかできなかった。
イサミは困惑するばかりで、セイマに席に座るように声を掛けるのも一苦労だった。
一先ず、セイマが席に着き、テーブルに置かれたメニューを広げてみせる。しかし、イサミとセイマは何を食べればいいのか分からず、揃って苦々しい表情を浮かべた。
単純に、文字が読めないのである。どうにもこの『ヘルメスの涙』は、身につけていても、声には反応するが書いてある文字が読めるようになるわけではないという推測が、ここに至り核心に変わったのである。
それに、セイマの持つ銀貨の価値もわからないので、料理を頼んでもきちんと支払えるのかが不明だ。転生して食い逃げするような真似はごめんだと考え、イサミは顔を右に向ける。
「あ、あのさレニ、ちょっと適当に選んでくれない?」
「え? 私がですか?」
レニは大げさに手を口に当てて、表情筋を大きく上下に動かす。「こちらの謎のお嬢様に選んでいただかなくてよろしいのです?」
「な、謎の……?」
セイマの口角がぴくりと一瞬だけ震えた。そのトゲだらけの言葉がセイマのどこかのツボでも押してしまって反射的にそうなったのだろうか。
それを隠すようにセイマはおじさんのような咳ばらいを一つ入れる。
「えへん。私の名前はセイマです。イサミさんとは仲間なんです。えへへ」
可愛らしい笑い声とは裏腹な、鋭い目つきは、そのままレニを射殺さんばかりだったが、レニは涼し気に「うふふ」と笑い、聞き流す。
「可愛いですわね。私もあなたくらいの年頃にはそうやって背伸びをしたものです」
遠くを見るように目を細めたレニは、セイマへと余裕のある微笑を向ける。
「へ……はぁ?」
「ここはお姉さんである私にお任せしておきなさいな」
とレニは勝ち誇ったように鼻で笑うと、膝に抱えていたバスケットを椅子において、代わりにメニューを手にする。
そして鼻歌混じりに受付の方へと向かって行った。何をするのかとイサミは目で追っていたが、どうやらここでのオーダーは、ウェイター、メイド、ギャルソン……名称の如何を問わず、とかく給仕係を呼びつけてするのではなく、宿の受付カウンターの中で看板娘の隣に立つ、同じく看板娘だろうウェイトレスに注文しに行くスタイルのようだ。どちらも同じような黒のエプロンドレス姿なので、役割は明確に分けられていないのかもしれない。
どことなくフードコートを思い出しつつ、イサミはセイマに目を向けると、
「セイ――ま?」
セイマが下唇を持ち上げて、目を座らせていることに気付いた。
「なんだかイサミさん、嬉しそうですね……」
「へ? い、いやそんなことねーから」
と主張するイサミの口元は締まりがない。
彼は、レニに鼻の下を伸ばしているわけではなかった。
セイマの言った「仲間」という言葉につい表情を緩めてしまったのだが、そのことは照れくさくて、彼女自身には面と向かって言えなかった。
「それで言うなら、セイマも何怒ってんだよ?」
「べっつにー、です。あのレニとか言う人がなんとなく気に入らないだけ、とか思ってませんからー」
つんとそっぽを向いて、窓の向こうの夜の町並みへとセイマは冷めた視線を向けた。
そんな彼女の姿に、どこか懐かしさを覚えて、イサミはまた微かに笑った。
「あー、笑ってますね!」
目ざとくそれに気づいたセイマは室温に火照った赤い頬をますます膨らませる。
「え、あ、いやこれは――」
「アイサさんたちに言っちゃいますから」
「なんでだよ。いやていうか、そのアイサのこと探してたんだろ? それに、」
イサミはちらりと受付カウンターを見やる。レニの背中はまだそこにあった。
今のうちにと目を盗むように声を潜めた。
「学園に戻れないって、どういうことだよ」
「あっ――。そ、そうなんです!」
そこでセイマも思い出したようにいつものどこか弱々しい表情に戻った。その緩急にイサミはやや驚いて背筋を伸ばす。
「戻れないんです……どういうことなんでしょうか」
さっそく声が涙ぐむセイマ。
「と、とにかく順を追って説明してくれよ。セイマは生き物を狩ったってこと? そういえば、さっきの銀貨も、獣を退治して手に入れたって言ってたけど」
「はい。」
セイマはあっさり肯く。「いっぱい倒しちゃって、どうしようかと思っていたら偶然通りかかったリーの町の農夫さんが買い取ってくれるって言ってくださって。わーいって交換しちゃいました」
えへへ――と無邪気に笑っているが、言っていることはなかなかハードな内容で、イサミは上手に愛想笑いを返せなかった。
セイマの力は一体何なんだ? 獣をいっぱい倒すって……見た所、手ぶらだし――とイサミが黙って考え込んでいたが、彼女は気にせず続ける。
「それで私、学園に戻れると思ったんです。この前もデューク先生、やっぱりお空からずーっと監視していたのかなってくらい、このヘルメスの涙を手に入れたらすぐにゲートを開いてくれたので」
セイマは首から提げていたペンダントとなったヘルメスの涙をそっと手のひらで持ち上げた。イサミもまた、自分の手首の数珠の珠を一瞥する。
「今回もそうなるかなって思ってたんですけど……いつまで待ってても速水先生の声が聞こえてこなくて……」
「……それって、いつの話だ?」
「今日のお昼くらいです。私今朝は寝坊しちゃって」
「そうか……。俺は今日の朝、早速先生と話をしたんだけどな」
「え、そうなんですか? もしかして朝しか繋がらないのかな?」
「どうだろうな……前回はそんなことなかったけど……」
イサミはますます頭を悩ませているようで、目頭を押さえていた。
「アイサはどうなんだろ。もう一つ情報が欲しい所だぜ」
「私もそう思ってこの町に来たんですけど、もう夕方で……。どうしよかなって動き回ってた時にイサミさんに出会ったん」
です――。
セイマの言葉尻に重なる、隙間風のようなか細い声が窓の外から聞こえてきた。それにはイサミだけでなくセイマも気づいたようで、窓の外へと再び目を向けていた。
次々と連鎖的に増えていく悲鳴。そして、窓のそばを一人の村人が走り抜けていく。
窓枠に切り取られたその名も知らぬ村人の顔は、明らかに怯えて目を震わせていた。
堪らずイサミは上下スライド式の窓の枠を掴み、上へと持ち上げた。
吹き込む風に二人の髪が乱される。
その強い冷風に乗って、胸を突く悲鳴が一層激しく店内へと飛び込んできた。
そして、巨大な音が近づいてくる。
空気を漕ぐような、羽の撓る音だった。
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