2時間目 理科・課外授業 後③
「その通りじゃ。グライフ様にお会いするには満月の夜、シルク湖の水面に浮かぶ銀色の月に、黄金のたてがみを捧げ、羽笛を吹き鳴らすと、どこからともなくグライフ様は飛んでいらっしゃるのじゃ!」
「月からじゃねえのか……」
イサミはぼやくように呟く。「しかもアイテム増えてるし……」
「しかしじゃのう、グライフの羽笛は先の争乱の際、勇者様にお渡ししたところでな。すまんがお主たちに見せてやれるもんがないわい」
何か有力な情報がないかとチュートの村を訪れたイサミとレニ。人づてにようやく出会うことのできた村長から告げられたのは、実に残酷な事実だった。
村長の小さくも大きくもない木造の家から出てきた時には、すでに空は赤みの強い宵の空となっていた。
真上を見上げると紫のレースが覆われているようで、夕日が沈む西の山々は黒い影絵のようにその稜線を茜色の空に浮かび上がらせていた。
「すっかり日が暮れたなぁ……」
村に並ぶ家々の隙間から吹き抜けていく風がひんやりと冷たい。
「そうですね。今から帰るのは危険かもしれません」
「だよなぁ。ま、俺はどこかで……あの待合所のベンチでも借りて寝るからさ、レニは宿屋にでも泊まりなよ」
「え? な、何を仰ってるんですか? 村の外での野宿なんて危険ですよ」
「だからだよ。レニにそんな危ない目に遭わせるわけにいかないだろ。それに俺、金もないし」
「それくらい、私が――」
とレニがバスケットに手を入れたところで、イサミは彼女に自分の掌を突きつける。
「レニ、それだけは断る」
「そ、そんな……」
くしゃりと今にも泣きだしそうな顔になったレニを、それ以上見ていると決心がにぶると考えてか、イサミは逸らすように顔を前に向けた。
彼には二つの考えがあった。
まず一つは、レニと宿屋に泊れば、また今日も満足に寝ることなどできないだろうという懸念。
そしてもう一つは、レニと離れて、その間に獣を捕まえてみようと考えたのである。
改めてイサミは額の汗を拭う。別に彼は聖獣などと言う大げさな生物を捕まえたいとは思っていないのだ。適当な獣を、あわよくば手懐けて連れて帰れればそれでいいのである。
一先ずは、一歩後ろに下がって大人しくついてくるレニを宿屋に送り届けようと、村を練り歩いた。
チュートの村は、日がまさに沈もうとしているこの時間帯でも、人の往来が止まらない。アルの村よりも人口が多いことを簡単に教えてくれる。
村の中心部にいくつかの酒場や、食事処があるらしい。
そうレニに聞かされていたので向かうと、まさにそうだった。
通りを歩けば、左右の軒先から零れる暖かな光に、楽しげな喧騒が群がる。
人の笑い声はもちろん、食器がふれあって鳴る甲高い音、鼻をくすぐる香ばしい匂いも漂ってくる。店先にテーブルが置かれていることで、それらをより強く感じさせた。
宿屋の看板を探すよりもそちらの方に注意を誘われて、イサミの腹が鳴る。
レニがどこまで見越して準備してきているのかわからない為、夕食があるのかは不明だ。
しかし先程格好つけて彼女を突き放したから、今更「ご飯だけは食ってから……」などと自分からは切り出せないイサミだった。
反射的に抑えた腹だったが、レニに聴かれていないかと振り返る。
彼女の双眸は強く光っていた。それは、店や街灯の光をやたらに反射していたからで、彼女自身の瞳が放つ輝きは失われていて、ぼんやりとしている。そのことにイサミは気づいてはいるが、あえて声は書けなかった。
むしろ自分のことを気づかれていなくてほっとしながら視線を前に戻すと、人の間を縫って、飛び出してきた女の子がいた。
同じ色調の藍色のブレザー、チェックのスカート姿はやはりこの世界では目立つ部類の衣服だった。
「あっ」
堪らず漏らした声に、少女の方もまた気づき、足を止めて目を丸くする。振り返るとそのふわふわした毛先のボブカットが舞うように揺れた。
「あっ、イサミさん!?」
「セイマ!? どうしてこ――」
イサミは、不意に言葉を止めた。
背中に悪寒が走る。それは心理的なものではなく、物理的に冷たい何かがちくりと触れたから。
「イサミさん……」
寒々とした空虚な声が耳元でささやく。
「私の名前を言ってみて?」
「れ、レニ……」
イサミは背中に何を当てられているのかはよくわかっていた。
「ここまで無事にやってきたのは誰のおかげ?」
「そ、そんなのもちろん、レニのおかげだよ」
イサミは引きつった笑みを浮かべたが、それはレニには分からない。セイマには見えるので、彼女は先の言葉が途切れたことも相まって、首を傾げていた。
「良かった……忘れてなくて」
口唇が動くたびに、唾液が弾ける様な瑞々しい音が聞こえてくる。
「忘れてたら私、手元が狂ったかもしれません」
「狂うってただその手を引くか押し込むかの二択しかないのに!?」
振り返ることができないが、その耳に触れる熱い吐息に、イサミは身を小さく震わせていた。いくら町灯りが賑やかとはいえ、夜の暗さではセイマには気付けなかっただろう。
レニのことは精々妙に顔立ちの整った背後霊がいるなとしか思わなかったかもしれない。
なんだったらただの通行人Aで、偶然イサミの背後にいただけかもしれないと当初はそう考えていたセイマだったが、二人がひそひそと話しているので、イサミの知り合いであるとは認識した。
やたらに距離が近いことが気になったようで、セイマは訝し気に見返しながら改めて首を傾げて髪を揺らした。
「あの、イサミさん、そちらの方は?」
おずおずと尋ねる。
「えっと……レニって言って……」
この世界で世話になってる――と言えば一番それらしくシンプルな回答となるのだが、レニがどう思うのかわからないので、一先ず「
「そうなんです」
とレニがイサミに被さるように一歩前に出てくる。
「レニと申します。失礼ですがあなた様はイサミさんとはどういう……」
抑揚のない声。瞳は仄暗く、見つめていると吸い込まれそうなほど深い闇をみせていた。
イサミが一人固唾を飲む中、セイマは驚きはするものの怯む様子は見せず、
「あ、イサミさんが以前お世話になったとお話してたレニさんですね?」
と柔らかな笑みを見せた。
すると、レニは一変し、空に輝く星たちをその眼に吸い込んだようにキラキラさせる。
「イサミさんが私のことを熱く語っていたのですか!?」
「その耳羨ましいんだけど。どんな言葉も前向きにとらえられるじゃん」
イサミがぼやいたところで、レニの興奮は収まることを知らない。
「そうなんです。アルの村のレニと申します。イサミさんとはその…………ちょっと…………色々あった関係で……きゃっ」
妙に匂わせる間を作ってははにかみながら語る。
「昨日は二人でお食事したり、一緒にお風呂に入ったり、夜は一晩中……きゃっ。それ以上は乙女の私からは申せません!」
とレニは顔を赤くしてイサミの腕をぱしりと叩く。その手にはやはりナイフが握られていた。
「もうほとんど言ってるじゃねーか。ていうかそれしまえ! 町中で物騒なもん持つな!」
セイマは青い顔で、唇を歪ませ見たくないものを見るように目を細める。
「い、イサミさん……何やってるんですか?」
「いや待ってくれ! 変なことはしてないから」
「色々あったと仰ってますし、一緒にお風呂に入って、夜は一晩中きゃっきゃうふふなんてしておいて、それは苦しいかと……」
冷や汗を流しながらセイマは視線をイサミから逃がす。
「きゃっきゃうふふは言ってないだろ!」
言ってはいない。
が、顔を赤くしながら、その身をしゃなりしゃなりとくねらせて、「うふふふ……」と含んだような笑みを漏らしているレニを見ていればそう結びつけてしまうのも無理からぬことだった。
「イサミさん、仮にも授業中ですよ……。え、まさか生き物を狩るって……」
セイマはちらりとレニの体躯を確認する。「ま、まさか人間を? 大胆ですね」
「んなわけあるか! ちょ、このことはまた今度話すから。それより、」
イサミは逃げるように強引に話題を変える。横目に確認したレニが浮かれきっており彼らの話に注意を向けていない今がチャンスでもあったからだ。
「やっぱりセイマもこの世界に来てたんだな。この村の近くに?」
「あ、いえ、私は『リーの町』というところで、ここから南東にある町なんですけど」
とセイマは半身を振り向かせて、星空を指さす。
星が動いたように輝きを増していた気がした。
「そうなんだ。えっ、まさかセイマも聖獣グリフォンを探しに?」
「へ? いえ、違います。アイサさんが居ないかなと思いまして」
「アイサ? そっか、アイサもこの世界に来てるって考えるべきだよな」
「ちょっと見当たらなかったので、そろそろ諦めて、イサミさんの方に向かおうと思ったんです」
「なんだってそんなに俺たちのこと探してたんだよ。もしかして課題こなせなくて手伝ってほしいとか? それなら俺も――」
「違います」
すがる手を払うかのようにあっさりと否定するセイマだった。
「それはどうにかこなしましたから。それよりも……戻れないんです……」
セイマは今にも泣き出しそうに、顔をくしゃりと歪ませた。
「戻れない?」
「学園に戻れないんです!」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます