2時間目  理科・課外授業 後

 翌日、イサミとレニは朝を少し過ぎてからアルの村を出発した。

 メタ山へはお昼前には到着しそうだ。そこまでは前回歩んだ道のりと全く同じなので、時間の目途は立つ。

「ふあぁあ~……」

 イサミは大きく口を開いて欠伸した。

 朝の濡れたように冷たい空気を吸い込み、脳に酸素を送ろうと体が必死に動いている。

「イサミさん、昨夜はあまり眠れませんでした?」

 レニが不安そうにのぞき込んだ。

「……あぁ、正直な」

 灰色のクマを作った目だけを横に向けてイサミはレニにぶっきらぼうに言った。

 一般常識的な感覚で言えば、そこは嘘でも眠れたと言うべきだと考えがちだが、彼にはそうはっきり真実を言う権利があったのだ。

 一方レニは、初めて知ったとばかりに肌艶の良い顔を見開き、

「そ、そうだったんですか!? やはり環境が変わると眠れないと言いますが、イサミさん、とても繊細な方だったんですね……」

「それ本気で言ってんの? あの状況下だったら歴戦の猛者でも眠れないだろ……」




 レニに提供された空き部屋には寝具が整っており、いわゆるベッドや枕、それに掛布団が揃っていた。

 普段使われていないことを想像させる、布団たちの凍ったような冷たさに、返って目が覚めるようだったが、次第に自分の体温が布団を溶かすように温め、心地よさを覚えたイサミはうとうとと瞼を閉じていく……。


 ――明日はどうするかな。ていうか寝る前ってマンガ読みたくなるな。

 そんなことを考えながら、眠りにつきたかった。


 しかし、

「どうですかイサミさん?」

 廊下に続く扉のそばから、レニが中を覗いてくる。

「ん? あぁ、ありがとう。最高だよ。この前はレニのお父さんの所で雑魚寝だったから、背中痛くってさ。ははは」

 最初はそんな笑い話を交えつつ、彼も感謝を口にできた。

「ふふっ。それは良かったです」

 レニもまた、自然に笑っていた。

 そこまでは。

「あの……私、隣の部屋で寝てますから……」

 とろりとろりと、いじらしく言葉を繋ぐレニ。

「ん? あぁ。そうなんだ」

「……一応、教えておきますね」

「……はぁ」

 おやすみなさい――そう残して火照った顔のレニは去った。

 また何か変なことを考えているのか、とイサミは苦い表情を浮かべるが、もうそれを指摘するのも疲れたとばかりに、少し冷たい態度を取ってしまった。

 単純に疲れもあるので、もう一度、布団を被る。


 ――生き物を狩るってのは要するに連れて帰れば問題はないんだろ? それなら――


「イサミさん?」

「え?」

 気付けばまたレニが扉の脇に立っていた。

「どうですか? 眠れそうですか?」

「え? あれ? いや、眠れそうだと思うけど……」

 イサミは困惑した。さっき似たようなやりとりをしたはずだが、夢でも見ているのか、と。それだとしたらどっちが夢なんだ、と混乱し始める。

「それならいいんです……。何かあったら、私、隣にいますから」

「レニも今日は疲れただろ? ゆっくり休んでくれよ。まぁ俺なんてあんまり戦力にはならないけど、一人じゃないから少しは安心だろ?」

 ――ていうかあの腕前があるなら変質者や泥棒くらい一人でどうにかできそうだけどな……。

「はい……。おやすみなさい」

 レニはそっと言葉を置くようにして、廊下の向こうへと消えて行った。


 ――でも生け捕るなら、それはそれで難しいよな。何か罠でも考え――


「イサミさん!」

「なんだよっ」

 またまたレニが扉の脇に立っていた。いやもう、今にも泣き出しそうな表情を携えて中に入ってきた。

「眠れそうですか!?」

「眠れねーよ! こんなにたびたび来られちゃたまんないっての」

「たまんないって……興奮してらっしゃるということですか!?」

「なんでだよ!」

 たまらずイサミは左手首に通した数珠を見た。光っている。力を失っているわけではないらしい。ピンポイントで誤訳、というわけでもないだろう。

「放っておいてくれたら勝手に寝てるから。実際眠いんだよ……」

 泣き出したいのは自分だとばかりに、イサミは布団を被ってしまう。

「でも、それでは私の気が済みません」

「俺の気持ちは!?」

「お休みになるまで私、隣で見守っています」

「余計に眠れるわけないだろ。いいから早く部屋に戻れって」

 イサミはいよいよベッドから飛び出て、レニの背中を押して廊下に突き出した。


 ――はぁはぁ……。ちぇっ、せっかくうとうとしてたってのに……。どんだけ心配性なんだよ。まぁ真面目なのは悪い事じゃねえけど――


「イサミさん!」

「なんだって――おわ!」

 扉を開けると、視界いっぱいに布団の白さが飛び込んできた。

 そのまま押しかける形でレニは寝具一式を抱えて廊下から中へと押しかけて来た。

 たじろぐイサミを余所に、レニはせっせと床に布団を敷く。

「な、なにやってんだよ」

「え? だってイサミさん先程、『眠れるわけない』と、『早く部屋に戻れ』と仰いましたよね?」

「言ったけど、それがなんでこんな結果に!?」

「私の考えに賛成してくださって、『一人だと眠れないから早く部屋に戻って寝るための布団を持ってこい』って意味だったのでは?」

「解釈が前向き過ぎるだろ!」

「ご安心ください。イサミさんが眠れば私も寝ますから」



 ――と、そんなこんなで一夜が明けてしまった。夜明け前、イサミとレニ、どちらが先ということもなく睡魔に負けて気を失うように二人はほとんど同時に眠りこけた。

 そのまま昼過ぎまで寝ていても不思議ではなかったが、レニの父であるコナッツが、朝陽が昇ってしばらく経つと帰ってきたのでその音に目が覚めたのである。

 レニが嬉しそうに父親を出迎えるために飛び出す。

 遅れてイサミも玄関へ向かう。なかば居候の身、家主が帰ってきてグースカ寝ているわけにもいかないと、眠い頭で必死に重い体を起こした。

「お父さん、お帰りなさい」

「おお、レニ。うん?」

 コナッツはレニが寝間着姿のままであることを訝しげに見る。

「まだ寝ていたのか。珍しいな……」

「う、うん」

 レニは妙にぎこちない返事をするので、コナッツの眉間に出来た皺は緩まなかった。

「コナッツさん、お仕事お疲れ様です」

 遅れてイサミが階段を降りてきた。

 ふぁ……。我慢したが漏れ出るイサミの欠伸。

 コナッツは何か直感したようだ。

「ま、まさか」

 充血した目を強く開き、肩を震わせる。「き、昨日は遅くまでお楽しみだったのではないだろうね……なんだか二人とも、随分寝不足のようだが?」

 低く、腹に響くコナッツの言葉には隠し切れない怒りのような感情が滲みでていた。

「はぁ? いや、それは――」

 イサミは半ば反射的に文句の一つも言おうかと思ったが、レニが割って入る。

「イサミさんがなかなか寝かせてくれなかったんです」

「!?」

 コナッツは固まってしまった。

「おい、レニちょっと」

「イサミくん……ちょっと兵舎までご同行願えるかな?」

「ま、待ってくださいって! 話を聞いてくれっての。こっちこそあんたの娘のせいで寝不足なんだって」

「娘のせいで……? こんな形で娘を褒められても嬉しくないぞ!」

「褒めてねーよ! 親子そろって頭の中そんなのばっかりかよ!」

「どうだか……」

 コナッツの視線がイサミの股間に向けられる。

 イサミは顔を真っ赤にしてその、盛り上がった体の一部を前屈みになって抑えた。

「こ、これは生理現象だろ!? 少なくとも俺の国ではそうなの!」

「イサミさん!?」

 レニが仰天し、目玉が零れそうなほど見開く。「股間が膨らんでますよ! もしかしたらネズミか何かが入ってるのかもしれません!」

「おおい! 俺のことはほっといてくれ!」

「私が取り出して差し上げます!」

「「ダメダメダメ!!」」


 ――その後、どうにか誤解は解けたものの、微かに回復した体力も弁解作業に使い切り、ほとんど徹夜状態でイサミは湖へと向かっていた。

 メタ山のふもとの小屋でレニの作った弁当を食べ終えると、止まらない欠伸の合間をぬって、イサミが言った。

「本当に伝説の生き物なんているのか?」

 バスケットの中に、ゴミや食器を片づけていたレニの手がぴたりと止まった。

「……いないかもしれません」

「えええ!?」

 イサミはあんぐりと口を開けるしかなかった。

 驚いた勢いそのままに椅子からがたりと立ち上がる。

「な、なんだよそれ! いったい…………」

 と、言葉の勢いを失速させたのは、レニが思いつめたように神妙な面持ちになっていたからだ。

「……どうしたんだよ?」

 椅子に座り直して、イサミも声の調子を落とす。

「伝説の生き物……聖獣様がいらしたというのは本当です」

 と、レニはぽつりぽつりと語り始めた。

「ですが、先の争乱の折、聖獣様は邪神官に呪われてしまい、魔獣と化してしまったと聞きます」

「争乱……に、邪神官って……」

 イサミはその耳慣れない言葉に思考を停止してしまう。

「ですが、その魔獣と化した聖獣グライフ様を、勇者様が退治されたと言われています」

「勇者が……」

 言葉を反芻するしかできなかったイサミだったが、そこでふと気づく。

「え、退治した? ってことはもういないのか?」

「言葉通りの意味なら、そうなると思いますが、聖獣様がそう簡単に命を落とされるとも思えないし、その後も勇者さまが聖獣様のお力を借りて、邪神官たちとの争乱に決着をつけたとも言われているので……」

「いないかもしれないし、いるかもしれないってことか」

 イサミがそう言うと、レニはこくりと頷いたのだった。


 昼食を終えて二人は再び歩き始めた。イサミは肩に紺色の長細い袋をかける。

「イサミさん、昨日はその袋、お持ちではなかったですよね?」

 たたたっとイサミの前に出たレニが振り返り、顎に指を当てながら首を傾げた。そのまま後ろ向きで器用に歩く。

「あ、えっと、ちょっと隠してたんだ。驚くといけないと思って」

 イサミは咄嗟に誤魔化した。――今朝、出発前に、速水へと呼びかけて取り寄せたのである。

「一体中には何が入ってるんです?」

「これは……そうだな」

 イサミは袋を肩から外すと、その中身を取り出した。

 赤みのある茶色のそれは、三尺強の長さで、刀の形状をしていた。

 花梨かりんの木刀は複雑な杢目もくめが特徴的だった。

 イサミは真っすぐに腕を伸ばし、高らかにその刀身を立てる。

 太陽の光を受けて甘く輝く木刀にすっかり見惚れたのか締まりのない顔になった。

「なんですそれ、こん棒?」

 レニが悪びれた様子もなく言った。

「いや、違う……ってそうか」

 刀なんて見たことないだろうな。「木で作られた、俺たちの国の剣だよ」

「そうなんですか? へー……」

 レニはその木刀を正面左右の三方向から舐めるように眺める。

「私たちの国の剣と全然違いますね。なんだか細くて……その…………」

 レニが言いたいことがイサミには察しがついたのだろう。それでも苛立ったり、怒ったりすることもなく、イサミは穏やかに笑ってみせた。

「貧弱に見えるだろ? 諸刃の剣と比べたら細いしな」

「あ、いえ、その……イサミさん、使えるんですか?」

「そこかよ!」


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る