2時間目 理科・課外授業 前③
「ところでイサミさん、今回はこちらの村へいらしたのはどんなご用事ですか? またヘルメスの涙というわけでもないのですよね?」
とんとんとん、ことことこと……。そんな美味しそうな効果音をまといながら、レニはイサミに尋ねた。
天井から吊るされた小さな傘のランプのようなものが、温かいオレンジ色の光を落とすが、電球ではない。だが、丸い何かが中心に据えられている。もしかしたらこれも宝石の一種なのかとぼんやりと考えているとレニがそう言ったのだった。
イサミは己の使命を思い出し、ついうとうとと緩んでいた気持ちごと背筋を伸ばして座り直す。
「あ、そうそう。今回はちょっと狩りをね。生き物を狩って来いって話なんだけど」
「え? イサミさんが?」
たん! と包丁がハードカバーほどの厚みのあるまな板を叩く。そしてレニはゆっくりと振り返り、
「猪の魔獣である、あのスヴィンも狩れないイサミさんがですか?」
と不安そうに眉尻を下げながら念を押した。
「そうだよ……」
あまりにハッキリ言われるものだからイサミも苛立ちを隠しきれず、苦い顔を浮かべつつ、足を投げ出す。
「それでしたら、もっと小さな動物を探しにいきますか? それとも私が代わりに……」
「いや、それだけは断る」
イサミは睨むような視線をキッチンの小さな窓の向こうにやった。そこに怒りはなく、どこかニヒルな笑みを浮かべていた。
レニは小さく息を飲み、「す、すみません」と謝った。イサミの静かだが鋭い気配に、身を強張らせる。
「いや、ごめん。怒ってるわけじゃないんだけど……。誰かに狩ってもらうなんて、それだと意味ないからな」
「そ、そうですね……。でも狩りって、生け捕りではだめなのですか?」
気を取り直したようにレニはにこりとしてみせた。
「あっ、なるほど」
確かにそれは言えてるな。別に殺さなくても……いやむしろ生きてた方が調べたりするのに都合よくね? ていうか狩って持って帰ってどうするんだ。まさか喰うのか? 3時間目は家庭科とか言わないだろうな……。そのまま解剖とか言われても嫌だけど。
などとイサミが悩んでいる隙に、レニが言う。
「いや、ダメですね」
となぜか自分自身の発言を否定した。
「はい?」
「せっかくのイサミさんの最初の狩り、そこはやはり仕留めなくては箔がつきません!」
「い、いや別にそこまで――」
「小さな動物なんて失礼なことを申しました。ごめんなさい。ここはやっぱり、伝説の生き物にしましょう!」
ぱんと両手を合わせてレニは顔を明るくする。
「なんでだよ! 盛り上がりすぎだって。もっと普通ので良いから。その小さい動物で良いよ」
「ですが、小さくなった方が、イサミさん、抵抗あるんじゃありません?」
「うっ……」
痛いところをつかれたと、イサミは表情を引きつらせる。ペットと名も知らぬ小さな虫では手にかける罪悪感が違う。
「だ、だからってデカけりゃいいってもんでもないと思うけど。それに伝説の生き物なんているの?」
「いますよ。メタ山をちょっと行った先のシルク湖に」
「そんな近所の八百屋への道を説明するみたいなノリで行けるの!? ていうか いたとして狩ったらまずくね!? それこそ貴族が――」
そこでイサミははっと言葉の続きを飲み、そして話題を変えた。
「ていうかさ、もう少し教えて欲しいんだけど」
「わ、」
レニは顔を真っ赤にする。
「わ、私のことですか!?」
包丁をそっと前に突き出すように構えた。
「は? いやちが――」
「た、確かに、私のことをまだまだ沢山イサミさんに知ってもらわないといけませんね。えっと、右利きで――」
「いや違うっての。ていうか初手が利き手!? あと利き腕は見たらわかるから」
「そ、そんな! 見ただけでわかるのですか!? そんなに私のことを眺めていたんですね!?」
レニは黄色い声を出しながら、真っ赤になった顔を手で覆った。
「包丁持ってるだろ、右手で。てか危ねえから! そうじゃなくて貴族のこと。それってやっぱり特権階級のことか?」
あ、そうだったんですね――とレニはほっとしたようながっかりしたような息を肩で吐いた。
「……そうです。このエスポフィリア王国の王族とは別の特権階級の方たちです。基本的には血縁関係のない、王国創設期に大臣級を輩出した家柄が代々爵位を与えられるのですが、一般の国民からも、特に王家に貢献したと認められ勲章を与えられた方は爵位もまた与えられ貴族となるのです」
そのほとんどがここから東北の王都にお住まいです。レニはそう付け足すと調理中の鍋へと振り返った。
なるほど――とイサミは小さく肯いた。特段彼の予想から外れることのないものだったのか、至極冷静にそう言った。
そしてその結果は、やはり自分を探していたというのは、レニの勘違いだということを確信させるに十分なものだった。
異世界には授業の一環として来ているだけに過ぎない自分を、そんな大それた存在たちが探しに来る理由がない。
だがそれなら誰を探しに来たんだ……? こんな時、アイサが居ればと、ついイサミは思い浮かべてしまう。
まだまだ付き合いの浅いアイサだが、教師とのやり取りにいくつか感心することもあった彼がアイサへと至るのも自然だった。
「庶民の中には貴族を志して勉強に励んだり、剣技や魔術を極める人たちも多いです」
この村ではめったにいませんけど――レニは卑下するように笑って続ける。
「イサミさんの服装とかも貴族の方のお召し物にも通ずるところがあったので、もしかしてと思っていたのですが、イサミさんは特にお知り合いの方は?」
「いや、いないよ。そうか、ありがと。ところでその後連中はどこに行ったんだっけ?」
「多分『リーの町』の方だと思います。道的には」
さぁ、できましたよ。
レニは器に注いだスープを運んできてくれた。
「あ、スプーンスプーン……」 とキッチンに引き返し、引き出しを探る。
「うわ、うまそうだな……!」
乳白色のスープは、野菜の色が溶け込んで微かに黄色味を帯びていた。
イサミは顔を犬のように近づけ鼻で大きく息を吸い込む。
レニが食器を握りしめて戻ってきたので、イサミは忘れないうちにと、
「明日、その湖に向かう途中か、帰りにでもそこに行ってみたいな」
「え? わ、私とですか?」
がしゃしゃしゃーん!
レニが手に持っていたスプーンたちをぱっと手放して落とす。
「うわっ!」
イサミは椅子ごとひっくり返りそうになりながら、どうにか立ち上がる。
「どうした!? おい大丈夫かよ」
と、レニの足元に駆け寄りスプーンやフォークを拾い上げた。
「い、イサミさんとお出かけですか? 私が!?」
「この前も行っただろ。ていうかこの流れならレニしかいないっての」
スープと、先日兵士の詰め所でも食べた平べったいパンのようなものだけの質素な食事だったが、
「うまいっ!」
貴族の欠片も感じさせることなくガッつき、あっという間に平らげる。イサミは腹を満たすことができほっと一息ついた。
――ある意味でこれも理科というか、食べ物も十分生物の授業だよな。食物連鎖だっけ?
それにこの家の中でも、調理する火は薪を使ってんのかわかんないけど、ガスではないみたいだし、水はあそこに桶があるから井戸から汲んできてるのもわかる。まぁ風呂を沸かしたから、火は薪だったし、水も汲みに行ったし。
この電気のようなものだけは、多分違う。どこからもコードみたいなの引かれてないし、そもそも家電製品はない。当たり前だけど――。
そんなことをぼんやり考えているとレニも食事を終えたのか、空になった食器を前に、何かに祈るような仕草を見せた。
先程食事を食べる前にも行っていた。
この世界にも神様、もしくは宗教的な教義か何かが存在するのだろうかとイサミは黙ってその姿を眺めていた。
また聞いてみたいことはあるけど、もう今日は遅いから、明日道中にでも尋ねよう――そう心に決めて、立ち上がる。
「レニ、食器洗うのくらい俺がやるよ」
彼女の食器も奪うように手に取ると自身のものと重ねて流し台へと向かう。
「え? いえ、いいですよ!」
とレニは慌てて小走りに駆け寄った。
「いいって。なにもかもさせるのは気が引けるし。その間にお風呂に入っておいでよ」
「……こ、この後に備えて身を綺麗にして来いということですか!?」
顔をやっぱり赤くして身を仰け反らせるレニだった。
「邪推もそこまでくると清々しいわ。いいから早く行けよ」
「……覗かないでくださいよ」
レニはじとりと目を座らせる。
「覗かねーよ」
「覗かないんですか……?」
今度は涙ぐむ。表情の忙しないレニだった。
「どっちだよ!」
レニが風呂に入っている間に、イサミは速水へと呼びかけてみた。
「おい、先生。聞こえてるのか? 聞こえてたらなんかどうにか答えてくれよ」
どれくらいの声量で届くのかもわからず、とりあえずイサミは普通に声を出した。
すると――
「え? イサミさーん。何か言いましたかー?」
「いい、いや、何でもない。独り言!」
レニが反応してしまった。
しかしその数秒後だった。
『さっきから何度もお答えしてるはずです! そんなに怒鳴らなくてもわかります!』
とイサミの脳内に声が響いてくる。
あ、この口調は完全に速水先生だ。
「先生、セイマとアイサはもう終わったのか?」
『見てわかりませんか? まだに決まってます』
「見えないっての。でもそうか」
ふうとつい安堵のため息を漏らしてしまった。
『ですがそろそろ一人は課題を終えそうです。あなたものんびりしているとそのまま浪人生活が続きますよ』
「わ、わかってるよ。」いや、あんまりいまだによくわかってねーけど。「それより先生、俺、この世界のお金とかないんだけど、どうにかできないの?」
『今回の課題に必要ではないと考えておりますから。どうしても必要になった時にはもう一度いいなさい! いいですね、さっきもいいましたよ』
確かに、生物を一匹狩るだけの話だ。お金は絶対に必要とは言えないだろう。
「わかりましたよ……じゃあまた呼びますから」
その後、レニが風呂から上がり、タオルで頭を乾かして出てくると入れ替わりにイサミは逃げるように風呂場へと向かった。
脱衣所と浴室はスイング式の両開き戸で仕切られていたが、その面積は小さく、せいぜい上半身を隠す程度だった。脱衣所から見れば浴室内など丸見えである。
風呂を沸かしたイサミはそれが分かっていたので、レニの入浴中は絶対に近づかなかった。
イサミは湯船に体を沈めてようやく一息つく。
風呂上がりのレニはいわゆるパジャマ姿で、ゆったりとしたワンピースを着こなしていた。
濡れた白味の強い金髪はシルクのようで、女らしさを強調していた。
イサミは不意を突かれて思わず目を背け、そのまま逃げてきたのだ。
風呂に入っても上昇した心拍は下がることはなかった。お湯が熱すぎるとかではない。
「な、なんかドキドキするぜ……やばい」
今イサミは少しだけ覗かなかったことを後悔しているかもしれなかった。
――ちょっと変わってるけど、料理は上手いし、可愛いよな。ちょっと顔立ちが外国人っぽいから余計にそう感じるのかもだけど。
ていうか異世界に来てまで外国人ってなんだよ俺。
お父さんのコナッツさんは割と薄い顔だもんな。お母さんに似てるのか。
……あれ?
レニは今夜は一人って言ってたけど、母親はいないのかな?
気にはなるけど……これってやっぱ訊いたらまず――
「イサミさん」
といつの間にか脱衣所にレニが立っていた。
「わああ!」
風呂桶に浸かっているのだからイサミのナニは見えないのだが、それでもつい顔の半分まで体を沈めてしまった。
一方レニは平然として見降ろしている。
いや――瞳孔まで開いているかもしれない。イサミにはそう思えた。
「お湯加減はどうですか?」
「だ、大丈夫大丈夫!」
「そうですか。タオルはここにかけておきますね」
と仕切りの戸にひっかける。
「……」
「……」
「…………」
「…………いや何やってんの?」
「あ、いえ。お湯加減を見てるんです」
「そこから見てるだけで温度が分かるわけないだろ。落ち着かねえから――」
「いっ、一緒に入れということですか!?」
「頭の中そんなことばっかりかよ。思春期か!」
はぁ……俺、こんなんで大丈夫なのか……? ていうか、本当はみんなもう課題こなして、今頃教室で先生と女三人、俺の様子モニタリングとかしてねえだろうな……。
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