2時間目 理科・課外授業 前
「……あれ?」
イサミは新たな大地に降り立った。――つもりだった。
しかし、その景色には見覚えがあった。
「もしかして……ここってアルの村の近くか?」
草原のひろがる丘に既視感を覚える。
今日もまた、風が草たちを撫でているが、少しずつ黄味がかった草原は見る者に否応にも時の流れを感じさせる。
枯れた草たちが風に揺れる音は、乾いていて軽かった。
裂いた綿のように薄い雲が青い空に高く浮かんでいた。
「うっ……なんだ、寒いぞ」
Yシャツ一枚の姿であるイサミは、その冷風に肌が締まる思いがしたようで、剥き出しの腕をさする。
「あれから何日経ってんだ? てかこの世界って……」
イサミは速水の言っていたことを思い出す。
自分たちの生きていた世界とは様々なものが違う可能性がある――。
「この前は夢中だったから気にしてなかったけど……まぁ息はできるよな」
そしてイサミはぐっと屈んで思い切りジャンプしてみせた。
「おっ――と……。そんなに違いは感じないな。ちょっと軽いか? でもそれは生前の俺の体と比べての話だしなぁ。多少身体能力は上がってるんだろうし」
「えっ――」
背後からの声にイサミは聞き覚えがあったようで、瞼をぱちりと持ち上げると、慌てて腰を捻って振り返った。
「その声――」
「い、イサミさんですか……?」
バスケットを片手に、スカーフを頭に巻いた女の子のことを、イサミは忘れていなかった。彼からすればほんの数時間前のことだから。
「おお! レニじゃん。やっぱここ、村の近く――」
「イサミさん!」
レニは駆け出す。そして真っすぐにイサミの胸元に飛びこんだ。
「うわっ!?」
イサミは一歩下がってしまったが、どうにか倒れまいと持ちこたえた。
「イサミさん、急にいなくなるなんて酷いですよ……!」
レニが涙で声を曇らせる。
「何かあったのかなって心配したんですよ……うぅ」
その涙、そして頭の温もりが胸板を越えてイサミの心に伝わってくるようだった。彼は嬉しさと気恥ずかしさの混じった締まりのない顔を浮かべ頬を赤くする。
こっ、こっちの世界の女の子も、なんか柔らかくて、イイ匂いがするぞ……!
今の、鼻の下を伸ばしたイサミの顔をみたら、レニも幻滅するだろう。それを自分でもわかっているのか、イサミは小さく咳払いをして、喉を整えてから言う。
「お、大げさだよ。そんな心配しなくても……」
たかが半日一緒にいただけなのに……。
「だ、だって、イサミさん、魔獣もろくに倒せないほど弱いのに……」
「……」
涙を流し、鼻を啜る。その心配に演技はないだろうことは、イサミにも分かる。だから彼女は心に浮かんだ言葉をついそのまま口にしてしまうほど今は理性が働かないんだな、きっとそうだ。と、イサミはレニが見えないのをいいことに堂々と苦い顔を浮かべた。
「――ひっ」
イサミは幼子のような短い悲鳴を上げた。
それは背中に妙に冷たい感触が走ったからだ。氷でも放り込まれたかのように感じたが、その感触は妙に長く、冷たく、そして固い。
いつの間にかレニがその手にナイフを持っていたことを予感させた。
「もう二度と、黙っていなくならないですよね?」
「あああ、ああ! もももも、もちろん!」
ヘルメスの涙の原石を手に入れた後、イサミは村に帰り、宝石――今は数珠の一珠となった――を、レニの父に手ほどきを受けながら加工した。
それをどこからか見届けていたのか、加工作業が終わり、ひと段落ついた時、脳内にデュークが語り掛けてきた。
『よくやったブラザー。3時の方角に
「は、ちょっ待ってくれよ! どっちが3時なのかもわかってないっつーの。しかもカウント短っ!」
『時間にルーズな男は女にモテないぜ』
「今そういうのいいんだよ! ちょ、どっちが3時?」
『その村の兵舎があるだろ。その裏手だ』
「だったら最初からそう言えっての!」
突如独り言を爆発させるイサミに、レニをはじめ村人たちは訝しげにイサミを眺めていた。
やがてデュークとの会話を終えると、「あ、俺ちょっと……」とイサミが離れようとするので、レニはその晒で巻かれて倍以上に膨らんだ彼の手首を掴んだ。
「イサミさん、どちらに向かわれるのですか?」
「え? いやその――と、トイレ!」
「え、あ、やだ、ごめんなさい!」
とレニが手を離したすきにイサミは詰所の裏に出来た門へと向かう。
空間をナイフで切った裂け目のような、縦長の楕円形の光を見つけ、そこへと飛び込んだのである。
「――2か月!?」
アルの村に向かう途中、イサミがレニから聞かされたのはあれから2か月の時が流れているという事実だった。
「そうか、それは悪かったな」
何せトイレに行くと誤魔化したのだ。格好悪いことも手伝って、複雑な表情を浮かべた。
「いいえ、私もつい取り乱してしまいまして。イサミさんが突然帰ってきてくれたから嬉しいやら、トイレに行かれて消えたものだから、もしや落ちてしまわれたのかと……色々と三日三晩、探し回って……」
レニは赤面したり、泣きだしそうになったりと忙しなく表情を変えながら言う。
そんな彼女のことを眺めるイサミの瞳は、秋の宵の空のように、どこか寂しい色をしていた。
――それがわからないんだよな、俺。いや、わからなくなっただけか……。分かろうとしなくなった、の方が正しいのかな。
ふと口を紡いだイサミには気付かず、レニは屈託のない笑顔で続ける。
「でも大丈夫ですよね。もうお約束してくださったわけですし」
彼女が手に提げたバスケットの口からはみ出る、妖しい銀色の光が眩しく光っている。
「あ、あぁ。まぁね……」
イサミは口角をひきつらせた。「今度はきちんとお別れを言うようにするよ」
「そんな……寂しいこと言わないでくださいよ。再会した日に、お別れのことを言うなんて……」
レニは今にも泣きだしそうに顔を崩しつつ、がさごそとバスケットの中に手を入れて何かを探している様子をイサミへと見せつける。
「い、いや今はそのお約束の話をしてたからだろ!?」
「あ、そうでした」
レニは短く舌を出してえへへとはにかんで見せる。
イサミは遠慮なくため息を吐いた。
「でもイサミさん、一体どこに行ってたんですか?」
「え?」
しまった、デューク先生にこのことを確認しておくの忘れてたぜ……。
イサミが見えない冷や汗を流しているのに気づかず、レニは頬を柔らかく膨らませながら、続ける。
「貴族の方たちがイサミさんを探しに来られたのに」
「……は?」
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