2時間目
2時間目 理科・座学
「はい、みなさん席に着いてますね!」
入ってくるなり息巻いていたのは速水先生だった。
「あ、速水先生」
イサミとセイマはその勢いに気圧されて急いで席に正しく座り、背筋を伸ばす。
薄い水色のブラウスに黒のタイトスカートで現れた速水は、教壇に立つなり、何か本を取り出し、ペラララララ……とお札を数える機械の如く高速で捲る。
「それでは昨日の続きからいきますね。イサミ君、さっそくですがテキストの――」
「ちょちょちょっ! ちょっと待ってくださいって!」
イサミはがたりと音を立てて椅子から立ち上がった。
その様子に速水は鋭い眼光を光らせる。しかし、イサミも引いていられないとばかりに言葉を続けた。
「昨日の続きって、あんた昨日ぴゃーって説明してあっという間にいなくなったじゃないっすか。教科書だって持ってないから!」
「うっ……」
速水が苦い顔をして怯んだ。
すかさず、セイマも「そ、そうです」と言葉を挟む。「先生、落ち着いてください。どうしていつもそんなに慌てているんですか?」
緊張した面持ちのままだったが、セイマもまっすぐに速水へと意見した。実際セイマの言う通りで、速水はアイサが席に着いていないことに気付いていなかった。
「……ご、ごめんなさい」
するとどうだろう、速水はかくりと頭を項垂れた。肩にかかるセミロングの髪がはらりと揺れた。
「わ、私、き、緊張しやすくて、ひひ、人前に出て喋るとか怖くて不安になるのよ……」
先程迄のつんけんどんとした態度から一変、速水は旬を過ぎた草花のように萎れてしまった。持っていた教科書らしき本を抱きしめてくちゃくちゃにしてしまう。
「そ、そうだったんですか……」
セイマは表情を崩し、速水に同調するようにか弱い表情をみせると、制服のリボンをきゅっと摘まむように手を当てた。
そしてイサミへと顔を向けると、彼もまたセイマへと何かを求めるように目を向けていた。
「ま、まぁ気持ちはわからなくもないっすけど、俺たちどうせ三人しかいないんだしさ」
イサミは努めて明るくふるまって速水へと向き直った。
――なんで先生になったんだよ……。いや、ていうかこの人たちは結局どういう立場なんだ? 転生を司るってんなら、神様とかそういう感じ?
などと種々の疑問が浮かび上がるが、それは一先ず胸の奥にしまった。
「先生もそんな緊張せずに、もう少しリラックスしてやりましょうよ。先生が慣れるまで付き合うっすよ」
なぁ? とイサミはセイマに同調を求める。セイマもこくこくと頷いた。
「イサミ君……」
顔を上げた速水だったが、心なしか頬が紅くなっているようにイサミには感じられた。緊張がほぐれたのか別人のように顔が優しくなっていた。
だが、それもつかの間、速水は突如はっと息を飲んで、イサミを上目遣いに弱く睨む。
「も、もしかして、……口説いていますか? 私のこと」
「……はぁ?」
イサミがあんぐりと口を開くも、速水にはそれが見えていないのか、耳まで赤くし、
「さっき理事長にお会いした時に、仰っていたんです。昨日イサミ君に……その、ひ、ひどい目にあわされたって……」
「はいっ!?」
「い、一体どんな情事があったのか尋ねても、理事長は『詳しくは言えない』とばかりに、黙ってしまわれたのです……」
しとしとと降りしきる雨のように速水は語った。
「いやいやいや! なんだよ情事って。それあんたの感覚だろ!?」
イサミは必死に手を振ってみせる。
「イサミさん……?」
セイマは酷く哀しい声を漏らした。「い、一体理事長に何を……」
「待ってくれセイマ、なんかおかしいことになってるから」
「イサミ君、年上の女性が好みなのですか?」
「なんでそうなるんだよ!」
ガラリ――教室後方の扉が派手に開く。
「そうなの?」
アイサが開口一番そう言いながら教室に入ってきた。
「どんなタイミングで戻ってきてんだよ。違うって!」
「イサミ君、い、一応こんな世界とはいえ私とアナタは教師と生徒という立場なんですからね!」
また緊張してしまったのか速水の口調は戻りつつあった。
「だから違うっての! あんたどんだけ勘違いしやすいんだよ!」
くっそぉお……理事長め……今度あったら絶対許さねえからな……!
「それでは気を取り直して授業にします。私の授業は『理科』です」
「理科……」
イサミはオウム返しに呟く。
「なんだか、異世界と一番縁遠い科目にも感じられるわね」
アイサが答えるように独り言ちた。
「そうですしそうではありません」
速水はしっかりと頷いた。
……。
ん?
イサミとセイマは怪訝そうに眉間を皺寄せる。
「異世界ではあなたたちが今まで生活していた世界の物理法則などの大部分が通用しない可能性があるから気を付けないとと言いましたね」
「いや言ってないです」
至極冷静にイサミは正したが、走り出した速水はやはり止まらない。口調の棘は薄まったがそう簡単に緊張は無くならないようだ。
「世界の構成元素も違うし星の重力や自転公転の速度が違うかもしれませんしかしあまりに違う過酷で特殊な環境では生物が棲息できませんので転生先としては不向きですがいわゆる悪魔や怪物はたまた伝説の生き物などはその限りではないですしその住処は強力な重力や暗黒の炎に支配された世界かもしれませんしそもそもやつらはこちらの事情などお構いなしにやってきます!」
ふう……。速水は深く息を吸ったり吐いたりして呼吸を整える。
何よりこの先生は肺活量が凄いなとイサミは頭の片隅で思い浮かべてしまった。
「先生、水泳とか得意そうっすね」
「え!?」
速水は目を白黒させる。
「わ、私の水着姿が見たいってことですか!?」
さっと自分の手で両肩を抱くと体を半分翻す。
「なんでだよ!」
イサミが吼えるが、アイサは額に手を添えてため息交じりに、
「いや、今の発言は貴方が迂闊すぎるでしょ」
まだ乾ききっていない彼女の髪が艶っぽく濡れていた。
「俺が悪いの!?」
「イサミさん……」
「ちょ、やめてセイマ。その憐れむような眼で見てくるの!」
「安心して」アイサが補足する。「私もその眼になってあげるから」
「数の力で解決するな! いやていうか足りなくて不安とかじゃないんだよ。何が安心なんだよ」
「聴いてますかみなさん!」
速水が注目欲しさに教卓をばしんと叩く。
一同――騒いでいたのは九割がイサミ――はぴたと言葉を止めた。
「要するに異世界ごとにその世界の理は違うのです! それを科学することはその世界で生き残るためにとても重要なことなのですと言ったつもりです!」
否定しきれない断言だったので、イサミとセイマはそれぞれに渋い顔をするしかなかった。
アイサだけはいつも通り淡白で表情に変化はない。
「それ昨日の国語でもそうだったけど、そんな世界ごとに理を習うのなんて無駄じゃない? 世界中の調味料をテーブルに置かれていても出てきた料理が目玉焼きなら醤油くらいで十分だわ」
「目玉焼きには塩だろ?」
「えー、ケチャップじゃないんですか?」
「その通りよ」
「「は?」」
「こっちに世界を選択する権利があるなら意味がないことはないけれど、提供される転生先を選ぶ権利がないなら無駄だって言ってるのよ。それなら飛ばされる世界が決まってから、その世界のことをご教授願うわ」
アイサの言っていることの意味が半分くらいしかわからなかったイサミは更に眉間にしわを刻むが、なんとなくアイサが速水へ授業の意味を尋ねていることくらいはわかった。
速水は口をへの字にして鼻息を荒くする。
「当然です。あなたたちが出向くことになる異世界については必ず理事長からご説明があります安心してくださいと昨日も言いました」
もはや慣れてしまったのか、イサミは「言ってない」という旨のツッコミすら入れなくなった。もはや幻覚と現実がごちゃごちゃになっているのではないかと、速水のことを憐れにさえ思えた。
「今はその身をもって体験してもらうことが重要なのです後で知らなかった経験が無かったからやられましたでは済まないのですから!」
速水はそう言い終えると、教室前方の扉に向かって手を広げた。それは先日デュークがやった所作と類似している。
そして結果に至っては同一だった。
扉が消え去り、白い靄がかかる。
「あなたたちには今から異世界に渡っていただき、あっちの世界の生物を1体狩ってきてもらいます!」
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