1時間目 休み時間 前
「はっはっは。イサミ、なかなかイカす格好じゃないか」
デューク先生はそのごつい手で拍手しながら、イサミの帰還を迎え入れた。
教室前方の扉にかかっていた靄は、イサミの体が教室の内側に全て現れると、音もなく空気に溶け込んで見えなくなってしまった。
「……」
「ひいっ!」
イサミの姿を視認したセイマが驚き、頭髪を逆立てる。
「志々〇? 随分遅かったけど、なに、キャラ付け? 高校デビューみたいな」
アイサが相変わらず足を組んだままにべもなく告げた。
イサミは四肢と頭部を晒でぐるぐるに巻かれた姿で戻ってきたのだ。
「今更デビューもクソもねえだろ」
イサミは口を尖らせたまま席へと向かい、
「レニが大げさに巻くから……ったく」
とさっそく頭部の包帯を解いていた。
現れた額に微かに赤らんだ箇所はあるがそれこそ裂傷のようなものはなく、もちろん後頭部などに目立った外傷はない。彼の呟く通りレニが大げさだったようだ。
頭頂部で前髪を留めるヘアピンも健在である。
「ていうか、二人とも早いな……。宝石は手に入れたの?」
解きながらイサミは左右に目を向けた。
「あ、はい」
セイマはブラウスの襟をまさぐり、胸元からするするとエメラルドの宝石を取り出した。彼女のものは一般的な宝飾品として加工されており、いわゆるペンダントの形を成していた。
小ぶりだが丹念にカットされた宝石を、セイマが摘まんでイサミに見せる。
回るように揺れても、どの角度から見ても、常に光を品よく反射させていた。
「うわ、すげー、いいなぁそれ……」
イサミは惜しみなく羨ましがった。全身にくまなく巻かれていた包帯は、気づけば右脚だけしか残されていなかった。
「い、イサミさんのは違うんですか?」
「う、あぁ……」
かっころん――イサミがポケットから取り出したそれは、宝石と言うより石の切れ端のようなものだった。一応紡錘型ではある。
「何よそれ、溶けたアーモンドチョコみたいね」
アイサが無感情な言葉を放つ。
「う、うるせぇ。溶けてないだろ、宝石なんだから」
「あんまり見栄えがよろしくないって言ってあげたのよ」
「仕方ないだろ! その……加工なんて初めてだったんだから」
イサミは舌打ちを挟み、「お前はどうなんだよアイサ」
「お前って呼ぶのやめてくれる?」
アイサは右耳に髪をかき上げる。そうして露になった右耳にはイヤリングと化したヘルメスの涙が揺れていた。
いわゆるクリップ式のもので、耳たぶを挟むリングからシルバーのチェーンが垂れさがっており、深緑の宝石を揺らしていた。
こちらも上品に装飾品として加工されていたものだったが、イサミはそれよりもアイサのかけた髪、そしてブラウスに目が行ってしまう。
右の肩から腕にかけて、赤黒く染まっているのだ。当然その髪も、もみあげ辺りは何かに塗れて固まっているようだった。栗毛色の髪だったので、暗くなっているのが余計に目立つ。今にも錆のような生臭さが漂ってきそうだと、イサミは顔を顰めた。
「おまっ、それどうしたんだよ?」
「似合うでしょ」
「あ、あぁ……って、いやそっちじゃねーよ。その肩とか髪のそれ……」
「大丈夫よ。私の血じゃないもの」
イサミの不安を余所に、アイサ自身はいつも通り淡白な受け答えをする。
「そういう問題か?」
自分だけが不思議なのか?――イサミはデュークへと目を向けるが彼は堂々と、怪しくニヒルな笑みを浮かべるばかり。
一番まともそうなセイマに助けを求めるように振り返ると、
「わ、私が帰ってきた時にはアイサさん、もう座ってましたので……」
訊くに訊けなかった、ということだろう。苦しい表情を浮かべるばかりだった。
でもどう考えても宝石を手に入れる過程っていうか、あっちの世界で浴びたんだよな……血……。だよな、あれ。
疑問が収まらないと怪訝な顔になるイサミから、その考えを読み取るのは難しくないとばかりに、デュークは口角を吊り上げた。
「手段は問わない……。俺はそう伝えたはずだ」
その一言はイサミたちに不穏な空気を流すだけだった。
それを察してか知らずか、デュークは改めて手を二回叩き、気持ちを切り替えさせる。
「それよりもイサミ、その石を見せてみろ」
イサミは机の上のアーモンド――ではなく、宝石を掴み、デュークの元へ向かう。
痛むのか、引きずるとまではいかないがぎこちなく足を運ぶイサミの姿に、セイマはおろおろとその背中を眺めていた。
教卓の上で広げたイサミの掌の上の宝石を眺め、デュークはふむと満足げに肯き、
「よし、合格だ。お前はどうする? ケツの穴にでもぶち込むか?」
「はぁ!? 冗談じゃないっての」
「わかってる。ジョークに決まってるだろ。そうカッカするな。どうだ一杯?」
「未成年だってのこっちは」
「死んだってのに、生真面目なヤツだぜ」
「笑えねーから!――って、なに?」
デュークが酒の代わりに教卓に差し出したのは、数珠だった。
無色透明の石ともプラスチックともとれない珠がいくつか並んでいた。ぱっとみるだけでも五個以上は繋がっている。
入れ替わりにイサミの掌から宝石を奪うと、デュークは数珠へとそれを押し当てた。
「うおっ!?」
瞬間、鋭い光がデュークの太い指の隙間から漏れる。
イサミは反射的に顔を覆った。
一瞬の出来事だった。
すぐに光は収まった。デュークが手を離したことからもイサミは細く開けていた瞼を改めて広げる。
机の上の数珠の珠のうち、一つが深い緑色へと変化していた。
「え……あれ、俺が採ってきた宝石は!?」
「わからないのか? この数珠に封じ込めた」
デュークはあきれたように首を左右に振りながらため息を吐いた。
その芝居がかった仕草に、イサミは渋面を浮かべるが、
「今後、どんな時もこの数珠を手放すな」
デュークが真っすぐな目線を向けてくる。
「え? これ、俺のっすか?」
イサミは数珠とデュークの角ばった顔を交互に見比べる。
「当たり前だ。俺のワイフには小さすぎる」
ワイフいるのかよ……とイサミは一応小声でツッコみ、「ありがとうございます」
その数珠をおずおずと手に取った。
子どものように目を輝かせ、口元をにやりとさせた彼は、足の痛みなど忘れたのだろう、数珠を腕に通しながら席へと戻る足取りは軽かった。
その時、見計らったように教室内にチャイムが鳴り響く。
「よし、次の授業まで少し休憩だ。遅れるなよ!」
着替えてくると残して、アイサはデュークに続いて教室を出て行ってしまった。
休み時間と言われたが、一体何分なのか不明なうえ、そもそも時計がない。
「大丈夫かな、あいつ……遅れたらどうなるかわかったもんじゃないぞ」
イサミは扉の向こうに消えたアイサを睨むように目を座らせていた。
「ていうか、イサミさんも大丈夫なんですか?」
セイマが不安げに眉尻を下げた。「その足……どうしたんです? 投石機の石でも直撃しました?」
「選択肢一つ目がそれ?」
「え、あっ、えっと……す、すみません。どんなところに行かれてたのかわかんなくて」
「ま、まぁそうだけど……。俺のところは割とこう、牧歌的と言うか、すげー平和な世界だったよ。投石器なんてかっこいいモン出なかったぜ」
「そうなんですね。じゃあ……石造りの家の石垣が転がって落ちてきたとか?」
「どうしても石を原因にしたいのかよ」
石に恨みでもあんの?――とまで出かかったが、セイマの心配する様子に嘘はなさそうだと思い、踏みとどまった。
しかし、
「じゃあ、どうしたんです?」
と尋ねられると、イサミは躊躇いがちに口を震わせる。
「それは、その……、」
イサミは隣の席のセイマに向かって上半身を乗り出し、声を潜めた。
「アイサには言うなよ」
「へ?」
「いや、あいつに知られたら笑われそうだし……」
「……アイサさんが笑う方が想像つかないので興味ありますけど……」
「た、確かに……」
イサミは苦笑を浮かべながらも、話を始めるのだった。
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