1時間目 国語・課外授業 後
「――なるほど、ヘルメスの涙を探してるのか」
兵士は自分の首に提げた宝石を一瞥する。宝石は兵士の声に反応してか、彼が喋る度に透明な宝石の中心が、蛍の光のような燈をほんのりと明滅させる。
イサミへと目線を戻し、
「当てはあるのかい?」
「いや、その……ここにくれば、すぐに見つかるって聞いてて」
イサミの声にも反応している。ともすれば宝石はほとんど光りっぱなしだ。強い光ではないので、目が痛いと叫ぶこともなければ、意識しなければ気にならない程度の光だった。
どこまであの学園のことを話していいのか、そもそも伝わるのかという懐疑心も手伝って、イサミはその都度、言葉を選ばざるを得なかった。
「なるほど、確かにこの『アルの村』から採掘場まではすぐだ。朝にでも出ればお昼には着くだろうよ」
「あ、そうなんっすか?」
イサミはぱっと顔を明るくする。ここってアルの村っていうのか。
「あ、でも、採掘場ってことは勝手に持っていくのはダメっすよね」
「ははは。ちょっと言い方が大げさだったな」
兵士はからりと笑った。
「要するに、この宝石が見つかる洞窟だから、中に入って見つけたら自分のものにしていいぞ。もう今は採掘場としての機能は停止されているからな」
「本当に!? よっしゃ!」
そう難しいことではないとわかり、イサミはほっと息をはいた。
――のもつかの間、ぴんと鼻を弾かれたように顔を上げ、
「え、でも、宝石なんすよね? そんな貴重なもの、誰でも持って行っていいんですか?」
「原石が加工されて初めて宝石と成る。磨く前ならそれほど価値はないさ。それに今は宝石ともてはやされる石はもっと他にいくらでもあるし、この石の力はただの言語・文章の解析能力だけだ。一生縁がない者にとってはもらってくれと言われても要らないだろう。他に魅力的な魔術を授ける宝石はいくらでもある」
持っていても損はなさそうだが、兵士が冗談で言っているようにはイサミには見えなかった。
「じゃあ兵士さんは、どうして持ってたんです?」
「あぁ。君みたいな異国の人間が来た時に、こうやって対応に困らないようにな。我々王国の兵士のこういった出先機関には備えられているのさ」
その日は、詰所に特別に泊めさせてもらい、翌朝、イサミは朝食まで分けてもらった。穀物を粉末状にして、水で練ったものを、薄く延ばして焼いたものらしい。軽く振られた塩分が素朴な味を引き出し、風味豊かな味わいを堪能した。
単純に、実に一日以上ぶりの食事は有難いことこの上なかった。
「道案内がいるだろう。私の一人娘でレニという」
と詰所の表に出た際に、兵士が呼び寄せたのは、昨日村の中で出会った女の子だった。彼は娘へと宝石を手渡し、会話の主導権ごと彼女に譲った。
「あ、昨日の変な人……」
目を丸くした兵士の娘、レニは思わず言葉を漏らした。
「やっぱそんな風に思われていたのか……」
覚悟していたとはいえ、そうはっきりと言われてはショックだったのかイサミはかくりと首を折った。
『なんだ、知ってるのかレニ』
「う、うん。昨日村で見かけたの。」
とレニが答えることで、イサミにも父である兵士が何を問いかけたのかはなんとなくわかった。
レニはその声や体型からイサミと同じか少し若い年齢に見えた。頭に被せた赤いスカーフの隙間から白味の強い金色の髪が零れていた。
「ごめんなさい、あの時はびっくりして」
お仕事もあったから。とレニは付け足しながら頭を下げた。
父である兵士と似て優しい雰囲気を持った女の子だった。イサミはレニの姿を改めて観察するように眺める。
身に纏う赤褐色のワンピースは、裾が長く足首までを隠していて、これから向かう洞窟探検に向いているのかイサミは些か疑問に感じたように眉をひそめてしまった。
白いエプロンが余計に冒険から遠ざける。
しかし、見慣れぬ姿という点は、イサミの中に異国情緒を感じさせた。
「いや、いいんだけどね。そりゃ俺だけ全然、服とか違うし」
「本当ですね」
「へ?」
「あ、すみません。私、つい本当のことを言ってしまって……」
ごめんなさい――レニはまた頭を下げた。
「……いや、いいんだけどね」
「でもあの、あれですよ。変と言っても、獣とか物語の悪魔とかそういうのとは違いますよ」
「どこフォローしてんだよ。ま、とりあえず出発しようぜ。俺の名前はイサミってんだけど、分かる?」
「イサミ、さんですね。お名前も聞き慣れませんね」
レニのにこりと微笑む表情がイサミに何とも言えない表情を浮かべさせた。
村を後にした――が、決して大冒険の始まりではない。昨日、この世界に最初にたどり着いた時、眺めていた山脈の麓に洞窟があるらしい。
ほとんど一本道だから道案内が必要なのか疑わしいものだったが、そこは兵士親子の優しさを否定するつもりはないと素直に従った。
陽気な気配が広がる草原に今日は風が吹いておらず、晴れた空もあって歩きやすい。
バスケットを左手にぶらさげ、レニは足取り軽くイサミの隣を行く。
「イサミさん、は、どちらのお国からきたのですか?」
「えっ……と……」
見開いた瞼の中で視線を上下左右ななめと忙しなく動かすイサミに対して、レニはきょとん口を縦にするだけだった。
どこから来たのか……昨夜も彼女の父である兵士に尋ねられて肝を冷やした。
そのことを素直に答えていいものかどうか。そもそも通じるかも怪しい。この世界はあの教師が作った幻想の世界なのか、いや本当にどこかの次元のどこかの宇宙にあるどこかの世界ならば、適当にあしらうのも気が引ける。
イサミはうなるばかりだった。
一方でレニは気軽に投げかけた質問に、やたら難しい顔を浮かべるばかりで答えようとしないイサミに、気をもんだようで不安そうに眉を垂れ下げた。
「イサミさん?」
「え? あぁ、何?――って、そうだよな。どこからって言うと……まぁ遠い国からかな」
「へぇ~!」
レニは柔らかな笑みを浮かべる。「なんだか都で観たお芝居の台詞みたいですね。でもそっか、道理で聞いたことない言葉ですもん。イサミって名前も、どういう意味なのかわからなかったし」
どういう意味なんです? レニはうら若き乙女らしく、目を爛々と輝かせていた。
「そうだな……俺の中では、
麓に近づくにつれ、山の高さが立体的に捉えられるようになってくる。
イサミはその登山に手ごろな高さよりも、そこにいくつか並ぶ屋に目を奪われた。
木や鉄でできた柱を組んで作られた何かの装置や、井戸、古びた台車にシャベルなどが転がっている。錆や苔が薄く広がったそれらは、かつては採掘場としてこの辺りが栄えていたことを感じさせた。
今はもう、1棟の小屋だけが不自然なほど小奇麗なだけだった。
「少し早いですけど、あそこでお昼の休憩にしましょう」
とレニが案内してくれて、イサミはただついていくだけ。
どうやら多くの人たちが時々ここに来ては休憩場所として使用しているらしい。アルの村の人々が順番に掃除をしているとレニが教えてくれた。
その小屋は、かつては炭鉱夫たちの食堂として使われていたらしく、今もテーブルと椅子が数組置かれていて、旅人たちが少しの休憩や、宿泊小屋としても使っているようで、奥の部屋にはベッドが二台置かれていた。
他にも旅に役立つものなどが雑多に置かれていて、旅をする人は自由に持ち出して良いらしい。もちろん返却することを前提に、だが。
「このメタ山を中心に南にアルの村、北にチュート村、東にリーの町と3つの村町が同じくらいの距離にあるので、ここに立ち寄る旅人も多いんです。村同士で農作物を行き来させる時なんかにも使うんですよ」
昼食を食べながらレニがそんなことを説明してくれた。
レニがバスケットの中から広げたのは昼食にと作ってくれたものだった。
今朝食べた薄いパンのようなものに野菜や何かの肉を燻製させたものを挟んだ、さながらこの世界のサンドイッチだった。
味付けは薄目だが酸味の効いたドレッシングのようなソースが疲れを取ってくれる。
「あと歩いて15分くらいか……。あの奥に見えた洞窟が、目的地?」
小屋に入る前に見えた道の先にあった、山の裾に見えた点――洞窟を思い返し、イサミは尋ねた。
「はい。宝石はすぐ見つかると思いますよ」
レニは首から提げた宝石に指を触れた。彼女が話すたびに宝石の中心部が仄かに光を燈す。
「昨日レニのお父さんが言ってたけど、そーゆー宝石って他にもあるの?」
「ええ、そうみたいです。私も実物は一度くらいしか見たことがないですけど。体に取り込まれている方も多いので」
「取り込む?」
「はい。魔術を使うことで生計を立てる方とかは特に。……イサミさんのお国では魔術はあまり有名ではなかったのですか?」
「え? いやある意味有名……――うぅん。使う人は誰もいなかったな」
「そうなんですね。それはまた、随分と田舎なお国だったのですね」
「魔術の流行りすたりが田舎かどうか関係あるの!?」
「都会の方では魔術が沢山溢れてるみたいなので。私たちアルの村は田舎なので魔術を使える人なんて村長とか限られた人だけですし。こうやって宝石を使えばみんな使えますけど、普段の生活にはあまり関係ないですから」
「なるほどな……。確かにそういう意味では田舎だろうけど」
――などと、色々と話を聞く中で、イサミの中には不思議な感覚が生まれていた。
宝石を手に入れれば、もう二度と来ることはないだろうこの世界にも、もちろん人が生きていて、営みがそこにはあった。
言葉があれば文明がそこにある――デューク先生の言葉通りで、イサミは納得する他なかった。
またそれと同時に、幼き頃一度だけ行ったことのある家族旅行を思い出していた。
たったの二泊三日だったが、帰る頃には旅館の近辺やその町に愛着がわいてしまって寂しく感じていた。またいつか来ると、勝手な誓いらしきものを立てたものだ。
この世界に再び訪れることは、恐らくないのだろう。そう考えるだけで早くも寂しさにも似た感情が募った。
「さぁ、行きましょう」
昼食を終え、レニを先頭に洞窟へと向かった時だった。
旧採掘場跡から野道を進むと野生の生き物と遭遇した。
四足歩行のその獣は、茂みから飛び出してきて、フシューと息を吐いている様子から興奮していることが伺えた。
大きさは柴犬くらいのものだったが、体型は豚に近い丸々とした体つき、毛皮の色は野生で生きるのに便利な濃い茶色をしていた。もっとも緑の濃い山の麓辺りではかなり目立つ結果となっていたが。
「うわっ!」
イサミは驚き跳びはねた。
「あらら、出ちゃいましたね。イサミさん、倒せます?」
一方でレニは随分と冷静に言った。獣の1・2匹が出没することは想定内だったようだ。
「え? 俺が!?」
ぶわりと汗が吹き出し、玉のようになる。獣への恐怖より、その依頼に対してだった。
「はい。ここまで旅をされてきたのなら、獣や魔獣の類と出会いましたよね?」
筋の通った解釈だ。理屈は問題ない。だがイサミの答えはノーだった。
「あ、いやその……今は、ぶ、武器がないからさ」
イサミは引きつった顔でそう答えた。
「あら、そうなんですね。村に忘れてきたのですか?」
「えっと、うん。そんなところ。何か木の枝でも……」
――あれば、どうにかできるのか、俺?
そんな悠長なことを獣が待ってくれるわけもない。
獣はさっそく飛び掛かってきた。
「うわあああ!?」
イサミは腰を抜かしてしまった。
その脇をすり抜け、レニはイサミの前に出ると、バスケットの中から取り出したナイフを投擲し、獣の眉間にみごと突き刺した。
恐らく急所だったのだろう。獣は飛び掛かってきた慣性だけを残し、着陸するように地面を滑る。
レニのつま先のわずかに前へと倒れると、幾度か体を震わせて、やがて静かになった。
「おおおー!?」
イサミは興奮し、レニの背中に拍手を浴びせた。
えへへ。と振り返ったレニは照れくさそうにはにかんでいた。
「こんなにも上手くいくことは、滅多にないですけどね」
「す、すげーよ……。レニはナイフの名手なのか?」
「いやいや。そんなことないです。村の人なら誰だってこのスヴィンという獣くらいは倒せますから」
レニはスヴィンと呼ばれた獣のそばに屈み、なにやら調べるように眺めていた。そんな彼女の姿をイサミもぼうっと眺める。この実力もあって、道案内にと兵士が紹介した理由だったのだろう。
「うん。状態もいいので、村に持って帰ります。食料になりますので。イサミさん、帰りに手伝ってもらっていいですか?」
「え? あ、あぁ……」
落ち着きを取り戻したイサミの頭の中をただ一つの考えが支配する。
――情けない。
イサミは食いしばった。
――力を与えられたってのに、逃げる様なマネを……。
誰かの為になりたい。誰かの役に立ちたい――。それがイサミの願いだった。
拳を音がするほど固く握る。
「あ、あのさ。ちょっと待っててくれる?」
イサミはレニへそう言うと、彼女の返事もそぞろに、小屋の方に一度引き返したのだった。
「ようやくたどり着きましたね」
日差しが強く感じられるようになったころ、洞窟の手前にたどり着いたイサミとレニ。
洞窟の中は暗いから、とレニがバスケットの中からランプを取り出そうとした。先程の小屋に常備されているもので、昼食のサンドイッチと入れ替えにバスケットの中へ収納していたようだ。
ちょっとおっとりとしている雰囲気だが、彼女はやることに抜け目がないとイサミは感心するように肯いた。
レニが膝を地面に落として準備している間、イサミは漫然と洞窟の中を眺めていた。
確かに奥の方は光が届いておらず、何があるかわかったものではない。
恐ろしさを感じると同時に、冒険心も湧き上がる。彼が妙な身震いをした時だった。
「――っ!」
洞窟の闇の中に二つの光が浮かぶ。その光と光の距離は短く、双眸と思い込むに十分足りる物だった。
薄紫のその光は、ゆらりと動きながらも、真っすぐにイサミのことを見ているようだった。
その遠慮ない敵意を向けてくる視線に、イサミは慣れているのか、臆することなく睨み返す。
「あれは?」
「え?――あ、スヴィンの魔獣です!」
一方でレニは先ほどより動揺している。
「まじゅう?」
「ええ。獣が瘴気に侵されて、凶暴化するんです。体の大きさが変化したり、中には知恵をつけたりして、魔術を操る物まで」
こんな田舎にまでいるなんて……。レニはきゅっと口を結ぶ。
「マジか……」
イサミの声がかすかに上擦る。正体が獣とわかり、固唾を飲む。
「上位互換ってやつ?」
イサミは薄ら笑いを浮かべた。
「洞窟に迷い込んだみたいですね……。イサミさん、下がって――」
と立ち上がろうとするレニを手で制しながら、イサミは庇うように大きく一歩、前に出た。
「……い、イサミさん?」
イサミの手には一本の棒きれが握られていた。
腕くらいの太さの棒に、千切った袖を晒し代わりに巻き付け、縦に手を並べて握ると、静かに上段に構えた。
「け、剣の代わりですか? イサミさん、だいじょ――」
レニは言葉の続きをひっこめた。
イサミの全身から湧き上がる湯気のような気配に溜まらず息を飲んでしまったからだ。
「あぁ。……正確には刀、だけどな」
握る力を一段階強めた。
その気配に恐れて、さきに動いたのは魔獣の方だった――。
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