1時間目

1時間目  国語・座学

「よし、全員揃っているな」

 教壇に立ったその男性教諭とイサミは初めて対面する。

 そのから露出した肌全て、スキンヘッドのてっぺんまでが黒く日に焼けていた。

 右目には縦に走る1本の刀傷のような傷があること、その筋骨隆々とした体で教卓に手を置くと教卓が昨日よりふた周りほど小さく見えることから、イサミは男性教諭に歴戦の猛者の影を感じてしまった。

 残った左目だけをゆっくりと動かし、教諭はイサミたちを順に捉えていく。ゆったりと頷きながら一定のリズムを刻むその様は品定めでもしているようで、イサミは落ち着かなかった。妙な緊張感が否応にも高まる教室で、彼は何も言葉を発せなかった。

 教諭は最後にアイサへと目線を向けると、目を閉じ、大きく深呼吸をしてから言った。

「私の名はデュークだ」

 腹に響く声だった。臍の辺りにずんとのしかかるような低い声は、それだけで対峙した敵の足を止めるだろう。

「またの名をアレウスとも言う」

 イサミは思った。

 ……え、どっち?

「まぁ名前などあって無いようなもの。好きに呼べばいい」

 え、もうなにこの人……。結局どうしたらいいんだよ。

「いいか、私の担当教科は国語だ」

「国語?」

 イサミはつい口から出てしまった言葉をどうにか防ごうと慌てて口に手を当てたが、時すでに遅し。

 ――いやだって、どうみても体育の先生じゃないの? でもそれはルッキズムってやつか? でもなぁ……。

 デュークはイサミへと鋭く眼光を光らせたが、ふっとわずかに左の口角を吊り上げるだけにとどまった。

「イサミ、言葉とはなんだ?」

「え?」

「10秒やる。答えてみろ」

 10……9……。

 デュークのカウントダウンは早々に始まった。

 その圧力に負けて、イサミは頭を回転させて、まとまっていないがとにかく何かをと、慌てて言う。

「こ、言葉って……げ、言語?」

「6……5……」

 どうやら違うらしいことは、カウントダウンが止まらないことで分かる。

「ちょ、ちょっと待って」

 カウントのせいもあってか頭の中は混乱しっぱなしだった。「こ、コミニュケーションの手段!」

「コミュニケーションよ」

 アイサが静かに正した。

「え? そ、そうそれ!」

 どこが間違っているのかは気付かないまま、イサミはとにかく肯いてデュークをみやる。

「…………ゼロ」

 デュークはカウントダウンを終えた。

 ごくりと唾を飲んだイサミを真っすぐ睨む。

 が、すぐににんまりと大げさな笑みを浮かべた。

「へ?」

 イサミは力が抜けてしまい、かくりと肩を落とす。

「どうした? 答えが違ったら私にぶん殴られるとでも思ったか? 血反吐が出るまで走らされるとでも?」

「い、いやそこまでじゃないっすけど、なんかされるのかとは思いました」

「ハッハッハ!」

 笑い声は豪快そのものだった。だがイサミにはいやにわざとらしく聞こえた。

「私も悪魔ではない。むしろその対極の位置にいると自負している」

 こんな天使がいたら嫌だな……。と考えたのはイサミだけでなくセイマも一緒だったようで、「うっ」と小さなうめき声が聞こえたから彼は右に目を向けると、セイマの苦い横顔が見えた。

「だがイサミ、ここが戦場なら貴様の頭はバリスタに撃ち貫かれ、木っ端微塵に破裂していただろう」

「そこまで!?」

「ばりすた? コーヒーが何か関係があるのですか?」

 とセイマが呟いたことにはデュークは答えず、教壇から降りると、こつこつとブーツの踵を鳴らしながら別の言葉を続ける。

「いいか、言語とは文明の基礎そのものだ。ヒトの持つ情報、技術を伝えるための手段であり、やがて文字という名の記号が生み出され、広く、そして永く世界に伝達されていく。と、同時に為政者の管理社会が構築されることになる」

 イサミの前にたどり着いた。

「異世界も同じだ。まずその世界の言語が分からなければ……、イサミ。貴様ならどうする?」

「ど、どうって……」

 突然の問いかけに面食らうが、デュークの放つプレッシャーから逃れることはできないと半ばあきらめ、頭を働かせる。

「あ、それはほら、身振り手振りというか、絵とかで伝えるとか……っすかね」

「なるほど。ではイサミ、〇◆%&¥★□◎?」

「……は?」

 デュークの厚い唇は確かに動いていたし、何か音を発していた。しかしイサミにはさっぱり意味が分からなかった。

「もう一度言うぞ。〇◆%&¥★□◎? 『はい』か『無理です』で答えろ」

「何すかその2択……」

 しかし、ふざけている様子がないことはデュークの眼光で分かる。

 イサミは腕を組んだ。下手なことを言えば、頭を粉砕されかねない。

 一体何を訊かれてるんだ? 好きな食べ物? いやそんなわけない。だいたい選択肢の一つが「無理です」ってなんだよ。一体何をできるかどうか尋ねてるんだよ。

 下手にはいとか答えたら――、


「そうか。イサミ、貴様は魔王の首を一人で取ってくるというのか」


 ――なんてひっかけ問題だったら洒落にならないぞ。昨日のケルベロスでさえ恐ろしかったのに……。

 一旦様子見、するか? でもそれはそれで「弱気な発言の数だけ戦場では体に風穴が空くぞ」とか言われそうじゃね?


「えっと……無理です」

 それでもイサミはその答えを選んだ。無理難題を押し付けられるよりは、罵倒されたとしても一旦は様子を見た方がよいと判断してのことだった。

「ふむ」

 デュークは静かに肯いた。

 合格か?――

「ならばイサミ、$★>∀<#でどうだ?」

 まさかの第2問目が出題された。


 これ、永遠に続くんじゃね? はいと言うまで逃がさない的な……。


「は、はい……」

 イサミはやや声を上ずらせながら探るように答えた。

「そうか」

 とデュークは肯く。

 すると、彼はトレーでも支えるように左手の手のひらを天井に向けて肩の高さまで上げた。

 手のひらの上に小さく細長い楕円型の光が現れる。何もない空間にナイフで切れ目でも入れたかのようだ。

 瞬く間に、その切れ目からすとんと手のひらに落ちたものがあった。

 辞典のような、ハードカバーのような、厚い本だった。

 ずるりと本が滑り落ちると楕円の切れ目は音もなく閉じられた。

 イサミが目を瞬かせているのにもかまわず、デュークはその本を握ると、本の角でイサミの頭を小突いた。

「いだっ!?」

 咄嗟につむじを抑えて、イサミはうっすら涙を浮かべた。「な、なにすんすか!?」

「貴様がはいと言っただろう。本で突いても良いかと尋ねたのだ」

「なにそれ!?」

「いいか。言語が理解できないということは時にこのような誤解を生じさせる」

「無茶苦茶な理論だ……」

「行動が制限されるということだ。その点、最初の質問には慎重になったことは実によい判断だった。あれにはいと答えていれば今頃貴様は固まって動けなくなっているだけでなく、両腕と両足を失っていたかもしれない」

「授業でそこまでのリスク課します!? ていうか何? 何かに嚙み切られるの? 怖すぎるんですけど」

 イサミの悲鳴にも似た訴えは相手にされず、デュークはアイサの席の前へと向かう。

「アイサ……。■$#■%★●?」

「……」

 アイサはじっと睨むようにデュークのことを見上げていた。隣から眺めるだけのイサミには、二人に挟まれた机の上に張り詰める気配の色さえ見えるようだった。授業態度の悪い生徒に教師がにらみを利かせて訪れる沈黙――そのドラマのような情景が目の前に現れたのだ。

「デューク先生、私の右肩がそんなに気になるのかしら?」

 アイサが口を開いたが、それは二択を無視した発言だった。

「へ?」

 イサミは間抜けな声を漏らす。

 しかし、デュークはフンと鼻で笑ったがどこか満足げだった。

「そうだ、よくわかったな。右肩を奪うと訊ねたことが」

「先生の視線が2回、私の肩に向けられたのと、鼻の穴、眉がかすかに動いた気がしたので」

 アイサは淡々と答えた。

「いいだろう」

 デュークは生徒たちに背を向けると教壇へ戻る。

「コミュニケーションは何も言語だけが全てではない。言語以上に体が語ることもある。言葉が通じなければハンドサインや表情、シックス・センス……手段は問わない。全てを駆使して異世界を駆け抜けろ」

「……あれ?」

 イサミが脈絡のない疑問を口にしたのでデュークはたまらず眉間にしわを刻んだ。

「何だ?」

「え、あぁ、いやその……」

 イサミは、セイマへ同じ問答をしないのか疑問に思ってしまったのだ。

 が、しかし、その指摘は、ただ同級生を窮地に追い込むことでしかないとすぐに気がつき、曖昧な言葉を発するだけとなってしまった。

「……イサミ、貴様は嘘が下手だな」

 デュークはほくそ笑んだ。「目線が隣のセイマへとチラチラ動いているぞ。こいつには何もしなくていいのか、○○○ピー●●●●ピーピーしなくていいのか、とな」

「いい!?」

「ひ、ひどいです!」

「いやそこまでは言ってない! ていうか何も言ってない! ……ちょっと気になったのは事実だけど……」

「まぁ安心しろ。私も、素手で大砲の砲門前に立ちふさがる程、愚かではない」

 な、何言ってんだ……?

 イサミはデュークの言葉が理解できず何も言い返せなかった。

 デュークもまた進行を急ぐのか、それ以上は取り合わず、結果セイマには何の問答も押し付けなかった。


「言語を持つ文明圏に向かうことになるのか、はたまた言葉など一切ない暗黒の世界に堕とされるか、お前たちの未来は夢にも絶望にも溢れている。だが言語を学ぶということは非常に重要なのだ」

 デュークは黒板にチョークで何か記号を書いてみせた。省略された絵にも見えるし、アルファベッドなどの文字を筆記体以上に崩したものにも見えた。

 それを指さしながら彼が読み上げる。その律動リズムは先にイサミやアイサに問いかけたものと発音がかなり類似している――ことくらいはイサミにも分かった。

「これは実は、某世界の魔術の呪文の一部だ」

「え、そうなんすか?」

「イサミに言ったものは、対象を瞬時に絶対零度の空気で包む魔術」

「こわっ!」

「アイサに言ったものは、対象の体を石化する魔術だ」

「へぇ、面白そうね」

 それぞれが反応するも、デュークは自分のペースを崩さない。

「魔術を扱う言語を理解すれば、己が術を操ることはもちろん、相手の魔術を瞬時に理解し、回避、さらにはカウンターを喰らわせることも可能だ」

 魔術という言葉の響きに、イサミはようやくその体から怯えを捨て、興奮を装着した。

「異世界の生活圏に溶け込むほかに、言語は魔術を扱う意味でも重要な役割を果たす。学ぶ必要性は理解できたか?」

「はい」

 とイサミは一人元気よく肯いた。「だけど先生、魔術は環境などにも影響されるって理事長が言ってたけど」

「ほう、ボスがそんなことを貴様に……さすがだな」

「それに、」

 とアイサが続く。「言語なんてそれこそ一つの世界……私たちのいた世界でさえ7000以上の言語があるとも言われてたわよ。それを世界の数だけ学ぶとしたら、途方もない時間……転生する前に死んじゃうんじゃない?」

「「7000!?」」

 イサミとセイマが声を重ね、おのおの身を乗り出すように机に被さりアイサの方を向いた。

「む、ムリです……」

 尋ねられてもいないのにそう言ったのはセイマだった。「私、英語も苦手だったのに……」

「俺も……日本語すら怪しいぞ」

 不安な空気に淀む生徒たちの列の対岸では、デュークが一人ほくそ笑む。

「良い質問だアイサ」

 ぱんぱんとその大きな手で為された拍手は、打楽器のような迫力が伴っていた。

「そうだ。貴様たちには時間がない。なので早速、これから1つのオリエンテーリングに各々参加してもらう」

 デュークが左掌を、教室の前方の扉に向ける。

「ふっ!」

 と力んだ声を唾と共に吹き出した。

 すると、爆発のようなけたたましい音と共に、扉が廊下へと吹き飛んでしまった。

「うわあああ!?」

「きゃああああ!」

 イサミとセイマの悲鳴が教室に轟く。

 三方枠状となった教室の出入り口、粉塵が消える頃、そこに濃い雲のような白いペールが扉の代わりに出現する。

「……な、なんなんだよ一体……」

 連続する奇怪な現象にひと段落を無理やりつけるようにイサミは言葉を絞り出した。

「いいか。あちらの世界に行き、諸君には一つの宝玉を手に入れてきてもらいたい」

「ほうぎょく?」

「あぁ、その名も、『ヘルメスの涙』だ」

「ヘルメスのなみだ?」

「それがあれば、どうなるの?」

 アイサが言った。

「ヘルメスの涙を使えば、あらゆる言語に精通する力を手に入れることができる」

「えぇ!? マジか……」

「諸君がそれを手にすれば、こちらへと戻してやろう。安心しろ、こちらから見守っている。死にそうになったらスタート地点に戻してやるからな」

 それは助けてくれてるようでそうでもないよな……。

「あっちの世界では有名な宝玉だ。誰もが知っているだろう。手段は問わない。それを手に入れてくるんだ」

 早くしろ――誰一人立ち上がろうとしないので、デュークの語気が強まる。生徒たちは渋るというよりも、単純にそのテンポの速さについていけてないだけでもあった。

 ……くっ。仕方ねえ。ここはただ一人の男子である俺が――

「わ、私行きます」

 と誰よりも先に立ち上がったのはセイマだった。

 一歩一歩、足下を探るようにすり足気味で扉のあった場所へと近づいていく。

「よし、まずは合格だ。その勇気を忘れるな」

 デュークは白いペールの前に立ったセイマの背中を、文字通り押した。

「ひえ――」

 セイマの悲鳴は途中辞めになった。彼女の頭部前面がペールの向こうに消えた途端、声が途切れたのだ。

「お、俺も行く!」

 イサミが慌てて立ち上がった。セイマの行く末を思うと、いてもたってもいられなかった。

 イサミは改めてペールの前に立ち、ごくりと唾を飲もうとした時には、

「幸運を祈る」

 とデュークに背中を押されてしまうのだった。


「さぁ、残りはお前だけだぞ、アイサ」

「言われなくてもわかってるわ」

 アイサは、デュークの前を通り過ぎながら、つぶやく。

「ねえ、私たちって、『転生』、するんでしょ?」

「……そうだ」

 それは、角ばったあごをしたデュークが、今日初めて歯切れの悪い返事をした瞬間だった。

「……わかったわ」

 だがそれは、アイサの中で想定していた答えだったのかもしれない。彼女はそのまま立ち止まることなく、ペールの中に消えて行った。

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