自己紹介をしよう

 光が収束し、そこに残ったのは、イサミの腰より低い背丈の、女の子だった。

「!?」

 イサミはあまりに驚愕の出来事に声にならない声を漏らし、固まってしまう。

 しかし、その幼女の体を包む銀色の布は、つい数秒前まで理事長が身にまとっていたドレスに他ならない。

 今は纏うなどという表現は似つかわしくなく、うなじに引っ掛かってどうにか体の肝心な部分を隠しているに過ぎない。

 でろんでろんに広がった胸元はもはや鳩尾まで丸見えだった。

「なあああああああああああ!?」

 舌足らずな悲鳴が理事長室に轟いた。

 長い髪も、比例して縮んでおり、腰のあたりまで伸びているのに変わりはなかった。

「え!? り、理事長っすか?」

 裏返った声でイサミは訊いた。

「消えろおおおおおおおお!」

 全く答えになっていないが、理事長の体は再び発光し、その結果、数秒後には理事長室には爆音が轟いたのだった。



 次に気が付いた時、イサミは教室にいた。

 理事長の体から放たれた強力なエネルギーによる衝撃で気を失ったのか、瀕死の状態に追い込まれたのかは、今となってはわからなかったが、そこからの記憶はなかった。

「あ、あれ……?」

 だから、彼にとっては「今」が翌日なことも気づけないでいた。

 まどろむ意識の中、教室であることが次第に理解でき、そしてゆっくりと左右を見渡すとセイマとアイサが座っていることがわかった。

 机の上で突っ伏して寝る様な形になっていたことに、起き上がってから気づく。「すごいやる気ですね」

 セイマがおずおずとそう告げた。

 表情はいくぶんか落ち着きを取り戻しているようだ。愛想のよい微笑を浮かべている。

「え? どういう意味?」

「あなた、今日は一番最初に教室にいたからよ」

 アイサがそっけなくそう言った。

「そうなの?……え、今日? てことは一日経ってるってことか?」

 白々しささえ感じられるイサミの返事に、アイサは大きく鼻で息を吐いた。

 昨日と違い今日のアイサは真珠色のバンスクリップで髪を巻き上げて止めている。涼し気なうなじにやる気を感じさせた。

「そうよ。私が昨日運んであげたの。理事長室から」

 とアイサは簡単に言った。得意げに笑うでもなく、恨みがましく睨んでくるわけでもなく、ただ前を向いてそうイサミに告げた。

「アイサも昨日理事長室に行ったのか?」

「行ってないって言ってないわよね?」

「うっ……」

 鼻につく言い回しに、イサミは少しイラっとして言葉を飲む。

 まだ状況が飲み込めていないことが多いが、運んでくれたという言葉は嘘だとしたら不自然だ。そこに意味があるようには感じられない。

「と、とりあえず、礼は言っておくよ。ありがとう……」

「これは貸しにしておくわ――って言いたいところだけど、理事長に貸しを作れたから、今回はサービスしておくわ」

 とイサミの反応は置き去りにどこか満足げに言い終えると、アイサは足を組み替えた。

 あわや自分の知らないところで貸しが作られていたかもしれない理不尽さに、イサミは身を引き締めた。

 とりあえず、アイサには気を付けよう。

「み、みなさん、理事長にお会いしたってことですね」

 とおずおず会話に入ってきたのはセイマだった。

 昨日終始見せていた精神の不安定さはほとんど感じさせなかった。元来の気性ゆえか、自信なさげなところは変わらずだったが。

 弱々しいけど笑みを浮かべたその表情に、イサミは胸の奥をきゅっと摘ままれたような感覚を得る。

「せ、セイマだっけ? あの……」

 昨日すれ違ったときの涙について、つい尋ねそうになったが、やめた。

 蒸し返して何になる。今は笑ってるならそれでいいだろ――。

「な、何ですか?」

 セイマはぎこちない微笑を傾げた。さらりと切り揃えられたボブカットが揺れる。

「あ、いや、その」

 おたおたして、言葉を繋げられないイサミの代わりに答えたのはアイサだった。

「セイマに見惚れて言葉が浮かばなかったの」

「え!?」

 セイマの顔がぽっと赤く染まる。

「な、なに勝手に言ってんだよ!」

 イサミの方も、発熱したように真っ赤になった。

「あら、言論の自由でしょ?」

 とアイサは一人涼しい。

「プライバシーの侵害だ!」

「ごめんなさいね、人の世話を焼くのクセだから」

「ただ冷やかしてるだけだろ」

「フフっ」

 いつの間にか話題の中心からはみ出していたセイマだったが、二人のやりとりの間に笑い声を挟んだ。

 何一人だけ笑ってんだ――とまで攻撃的なつもりではなかったにせよ、イサミとアイサの計四つの瞳が同時に向けられて、セイマはすっかり怯えてしまい慌てて「すすみません!」と下を向いた。

 昨日以来の沈黙が教室に訪れる。

 それはそれで、イサミの望んだ結果でもなかった。せっかく言葉を交わすことができたのに、多少の不可抗力はあったものの、自らそれを断ち切ってしまった。


 適当な愛想笑いでも浮かべて、アイサの言葉なんて手玉に取ればよかったのに。


 やっぱり俺、取り戻せてないな、集団生活の感覚……。


 せっかく新しい命、もらったんだ。それなら……。


「よしっ!」

 イサミは突如立ち上がった。椅子が床を鳴らす不快な音にセイマは肩を弾ませて驚き、アイサは眉間に皺寄せながら眼球だけを横に向けて睨んだ。

「自己紹介、まだだったよな」

「え……そ、そうでしたっけ?」

「そうだよ。あのせっかちな先生が名前呼んでたから知ってるけど」

「ならもう必要ないんじゃない?」

「いいだろ、改めてだよ。――俺の名前は……イサミ。そう、イサミだ」

 とイサミは自分の胸をどんと叩いた。

「なんで自分の名前確認してるのよ」

「う、うるさいな。まだ微妙に慣れてないんだよ。えっと……他は何言えばいいんだ?」

「自分から言っておいて困るとかウケるわね」

 とアイサは無表情で言う。

「ウケたんならせめて笑ってくれ。そうだな、歳は16歳だったと思うけど、ちょっと体は大きくしてもらったぜ。ほかには……」

 昔の……いや、昔の話はいいや。セイマはもちろん、アイサだってどんな過去があったのかはわかんないし。微妙な空気になるだけなら、触れる意味ないだろ。

「トレードマークはこの頭のヘアピンとデカい口だぜ」

「そんなに大きく無くない?」

 とアイサが言う。

「え、ウソ? 初めて言われたぜ。と、とにかくよろしく!」

 ほら――、とイサミは左右に首を振ってそれぞれを促してみるが、すぐに反応はなかった。

「あ……そ、それじゃあ私も……」

 と言ったのはセイマだった。首を伸ばしてアイサの様子を窺っていたが、どうにも動く気配が無かったのと、だんだんとイサミの顔が不安そうに頼りなさそうに変化してきたから、肘から先だけを控えめに挙手して、左側に座るイサミとアイサに体を向ける。

「私の名前はセイマっていいます。昨日は色々受け止められなくて…………………………」

 セイマの言葉が止まり、イサミと、アイサもさすがに顔を向けた。

「す、すみません」

 声は震えていて、涙ぐんでいることが嫌でも伝わってきた。

「でも、理事長に色々、教えてもらって……吹っ切れました」

 無理がある言葉に、嘘だと指摘する意味はない。イサミは黙っていた。

「嘘でしょ」

 代わりに言葉にしたのはアイサだった。

 セイマはぐっと下唇を噛みしめた。

「お、おい――」

 イサミが窘めるようにアイサを睨んだが、

「えへ……」

 セイマは耐えきったとばかりに口をぱっと音を立てて開くと、笑った。

 そして、笑いながら大粒の涙をこぼす。

「はい……嘘です。まだ、思い出したら辛いけど……えへへ」

 何度も、何度も両手の甲で目をこすりながら、言葉を続けた。

「でも、」

 やがて涙が小さくなり、セイマは目の周りを赤くしながらも、力強く笑ってみせた。

「頑張ります!」

 イサミはその健気さに、胸を掴まれるような痛みを感じた。

「私は15歳でした。体のこととかはよくわかってなくて何もお願いしてないんで、あまり変化ないですけど、髪は切ってもらいました」

 照れ笑いを浮かべてぺろりと短く舌をのぞかせた。体格は三人の中で一番小柄なことは座っていても察せられた。

「よろしくお願いします!」

 と、最後にセイマはぐっと両手で拳を握ってみせた。

「よろしく!」

 イサミは大きく肯いてセイマへ答え、そしてアイサへと振り返る。

「……」

 アイサは動かない。

 セイマもまた、イサミに続いて視線を向ける。

 二人の視線を受けて、アイサは一度大げさなため息を吐いた。

「はぁ……。私自己紹介とか好きじゃないんだけど」

「俺だってそう好きじゃないけどさ、まぁたったの3人のクラスなわけだし」

 アイサは立ち上がりはせず、脚を組み替えてから言う。

「アイサよ。私は17歳にしてもらったわ。体はこのままよ。特に興味なかったもの」

「体……」

 イサミはぽつりとつぶやき、アイサの長い脚や、無駄な肉のない体に目を向けてしまう。セイマは全体的に女の子らしく丸み帯びた体つきだったが、アイサは線が細い。

 彼女の組んだ腕の上にのる2つの果実――イサミは好物の梨に見立てた――が、彼女のため息のたびに控えめに揺れた。

「セイマ、」

 とアイサに呼ばれ、セイマはびくっと背筋をただした。

「私はあたなと違って、辛くなるような思い出が無いから、一緒に泣いてあげることはできないけど」

「あ、い、いえ。そんな――」

「頑張りましょうね」

 ついと顎を上げたからかのように、たれ目の彼女の右目の瞳が滑るようにイサミの右手のセイマへと向けられた。

「は、はい!」

 セイマはすっかり嬉しそうな笑顔を浮かべるようになった。

「……お、俺は?」

 イサミは呆けた顔で自分を指さしてアイサに向かう。

「あら? まだいたの?」

 アイサは長い睫毛をわざとらしく羽ばたかせる。

「ずっといるっての! ていうかアイサが連れてきたんだろここに!」

「あなた別にほうっといても勝手に動き回って頑張りそうじゃない」

「ロボット掃除機みたいに言うな!」

「あははっ」

 セイマが声を出して笑った。「お二人とも、すっかり仲が良いですね」

「「どこが?」」

 とイサミとアイサが声を重ねたところで、教室内に予鈴が鳴り響いた。


 さっそく教室の前方の扉が開かれ、講師が一人入ってくる。


 いよいよ、異世界へ転生するための授業が、始まろうとしていた。

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