ファイティングポーズを崩せない女
月曜日から懇親会があった。
4月からバタバタ続きでとてもじゃないけど、歓送迎会には参加できず、今の課で初めての参加。
もともとお酒は好きじゃないけど、東京では付き合い程度に飲む。
地元に帰ってからは車で帰るし、飲まなくなった。
そもそも飲み会自体付き合いで行くようなもので、義務的に行くけど好んで参加していない。
でも、なんか。
今回の懇親会ではなぜかホッとした。
身体の芯が弛むのを感じ、
「ああ、戦闘態勢に入ってたんだな」
と再認識したような気がする。
今後、この「身体の芯を弛ませる」感じを意識して呼吸なり迷走なり、ストレッチなり、有酸素運動なりを繰り返すことで、下顎とか、喉の奥とか。
メリメリいうし。
ひどくなると釘か針金入ってる感が出てくるんだけど、そういった過緊張が緩和されるんじゃないかと思う。
と、同時に、「身体の芯」が固まるぐらい、私は何と戦おうとしてるのかは謎。
扁桃体が「ファイト・オア・フライト(戦闘か闘争か)」を常に感じていて常に緊張状態にあるんだなとは理解してるんですけど、無意識のものなので、ちょっと困ってる。
安心していない状態にあるんだなと思ってて、例えば、今回みたいに懇親会でホッとするなら、「私は職場で孤独を感じてたのかな」と思ったりしたんですよね。
「孤立無援」って不安だし、緊張が強いられるじゃないですか。
味方がなくて、周囲みんな敵なんで、自分の身は自分で守る臨戦態勢を取ってたのかなと思ったんですが、懇親して仲間なんだなと感じてホッとしたとか。
上記のような思い?
感覚というのは言葉として私自身が理解できない無意識下のものなので、なんとも言えない。
仮説。
単純に、過去数十年間、睡眠不足が続いていたし。
期日までに大量の仕事を終わらせる必要があったし、今もあるので、私の脳は過覚醒状態になりやすいとは認識してるんですが、「ホッとする」要素として、「仲間」ってのが必要なのかなと、思うに至る。
どちらかというと、人間関係に煩わしさを感じることのほうが多い。
それに、100%全員に好かれる必要もないし、好かれなくてもいいという教えのもとで育ってきたので、あんまり不要な人間関係の構築を重視してませんでした。
信頼できる人間関係の構築の域って求めてなかった。
業務等目的を遂行するうえでの「仲間」ってのは大切なんだけど。
今回の事象を踏まえ、「ホッとする」という観点も案外必要なのかもしれないと気づくに至る。
猫でいうところの、お腹上向けてのびのび寝られる状態をつくる、みたいな。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます