三叉神経痛?と人との交流不要論

初めて鍼灸院に行ったのは目元が痛くなったから。

マッサージとかでどうにかならない部位なので、鍼灸に頼るしかない。


地元に戻ってからは行ってなかったけど、あまりに調子崩したので、通い始めて良かったなと思ってる。


最大級に悪かった時は、蛍光灯の光がしんどくて。

夕飯後、自室に籠って暗くするしかなく、小説カクヨムなんかできるわけがない。

仕方ないんで、ヨガとかしてた。


鍼灸院に行き始めてからは眩しさは気にならなくなって、めでたくカクヨムができるようになった。

今は音は少しつらい。

耳が痛いから。


あと、口の中が常にしょっぱくて、唾液のネバつきと下顎から首などのこわばりが気になる。


いや、普通に背中とかも痛いんですよ。

顔面のしんどさが楽になると腰とかも痛いし。

満身創痍感はあるかも。




昨日は本当に疲れてて、家族との食事会だったけど、側頭部から首まで、メリメリなんですよね。

家族との会話も楽しめる状態ではない。


だいたい、家族との会話って非生産的でしょ?

それがいいんだけど。


オリンピックの開会式を生で見たか?とか。

大河ドラマは録画してきたか?とか。


別になくていい話が繰り広げられてる訳です。

わりと大声で。


耳が痛いからそもそも音がしんどいし。

いや、体調こんな状態でオリンピックの開会式とか生で見てる訳がない。

時差あるし。


食事をしながら、心の底からどーでもいい会話のために2時間費やし、帰ってきたらヘトヘトすぎて、小説が書けないことにものすごくイラッとする。


こういうとき、人との交流不要論に傾いてしまう。




孤独対策は必要だと思う。

天涯孤独を想像するとこわいなと思うこともある。

会話をしないことによる認知症リスクも気になる。


これは体調不良による、一時の気の迷いだとは思うんだけど。

少なくとも「オリンピック」はどうでもいいやな、とは思ってはいる。

旬の話題ってのは分かるし、行事としては嫌いじゃないんです。

「東京オリンピック」もやっていいんじゃないの?派だったし。

阿部詩ちゃんの号泣もあれはあれでいいと思うんだ。すべてを掛けてやってたのに、一瞬の油断だったのか?本当に一瞬だったし、ああなるほど自分のすべてをかける姿ってのも大事だと思う。


でも、単純に。

時差ありすぎ。

時間・空間ともに今の私から遠すぎる。


ちなみに、「大阪・関西万博」はビミョーだとは思ってる。

「オリンピック」はスポーツを通した平和の祭典だからやったらいいと思うんだけど、「万国博覧会」は万国に博覧いただくテクノロジーが必要なんで。


デジタルトランスフォーメーション!とか言ってるのにリアルイベントで人集める意義あるテクノロジーとは?と思ってしまうんですよね。

あんなもん、デジタル空間でできたらいいんじゃないの?って不思議。


疲れた。

籠もりたいぐらい疲れた。

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