闇夜の星願い―新章—

獅子島

第1話「星に願いを」

 人生に疲れたと言えば簡単で、世間から後ろ指を刺されて家族からも呆れられるそんな結末しか見えないから、自分自身に何度も平気だと、大丈夫だと、この辛い状況の後にはきっと幸福が待っているんだとまるで安っぽい宗教の決まり文句のような言葉を並べて自分を呪うしかないこの状況を笑うしか出来なくて、心は次第に壊れていった。

 夢を追いかけて何もない田舎から出てきた。大人になることを大人になれば自由になって夢を叶えて最高の人生になるはずだったこんな、不安でしかない暮らしを望んだはずじゃなかったんだ。なんて、いくらいっても過去は変えられなくて。

 下を見ればキラキラ輝いていて、上を見れば希望なんてなくて。行き場のない想いに押し潰されそうになっている自分は一体何なのだろうか。


「あー…早く帰りたいな…」


 笑顔で着飾って人のご機嫌取りをして少しでも間違えば詰められる。こんな事がしたかったわけじゃないのに。生きていくためには仕方がないのだろうけれどと言い訳を並べて今日も人間の機嫌を取る。

 家路について暇つぶしで付けたテレビもくだらないことを放映しているだけで正直つまらない。ずっと続けていたゲームもゴールに辿り着けばやる気をなくして放置してしまう。そんな日々が続いたある日、SNSで見つけた都市伝説に興味を引かれた。

 なんてことのない都市伝説だ。異世界に行けるというそれは昔友人に聞いたことがあった。冗談で面白そうだなと言えば、お前はやらないほうがいいと言われたことを思い出した。


「…試してみるか…なんだっけ、紙に星とその中に、飽きた…っとよし、あとはこれを握って眠るだけ?案外簡単なんだな」


 青年は、その紙を手に布団の中に入って目を閉じる。

 しかし、翌朝気怠い想いで目を覚ませばそこは見慣れた天井で見渡せば何の変化もない自身の借りた賃貸の部屋だ。

 くだらないと言うように手の中にある紙を見ればくしゃくしゃになって文字も滲んでいる。溜息と共にゴミ箱に捨てればまたいつもの日常だ。


『は?なに本当に試したのかよ?!馬鹿、都市伝説のそういうのは基本降霊術なんだから気を付けないとまずいって…で、何か変化あったか?」

「何も」

『なーんだ。やっぱりただの都市伝説か』


 携帯電話の機械越しに聞こえる声は心配と興味心で入り混じっている。本当に心配しているのかと言いたくなるくらいに薄っぺらいなと思うのは心に余裕がないからか。

 友人と暫く世間話の間、突然送られてきたメッセージに青年は訝しむ。


『なぁ。コレは?』

「…最新版?」

『これならもしかしたら何か起きるんじゃないか?』

「起きてほしいのかよ…というか試すの俺だし…」

『いいじゃん。暇だろ?俺は怖いからパス!』

「いいけど…ていうか暇じゃないんだけど俺も別に…」

『試したら感想教えてくれ!』

「いや成功したら連絡取れないだろ」

『それもそうかー、ま、大丈夫だって所詮は都市伝説なんだし』

「それもそうか。あ、俺もう行かないとバイト、遅刻する」

『おう!またなーバイト頑張って』

「ありがと。またな」


 そう言い、青年は通話を切る。

 急いでアルバイト先に向かうため外に飛び出した。

 正直に言えば散々だった。自分が一番常識人だと自分が一番正しいと思っている人間たちの集まる場は正直言って地獄そのものである。こちらの話は聞かないし、聞かない癖に難癖をつけて文句を言ってくる。時間に余裕がないだけでなく心にも余裕がない可哀想な人間共。

 そんなことを言っても意味などないんだろうけれど、お客様は神様文化は全てに余裕がある人間だけだというのに勘違いでもしているのか利用してやっている、売り上げに貢献してやっているという自意識過剰な人間の集まりを神様というには無理があるだろうと思う。そんな神ならいらない。必要ない。


「あー…何してんだろ」


 この苦しみから逃れたくて浴びるように酒を飲む。

 気分が一瞬でも和らいで気分が良くなる、その時昼間友人と話した都市伝説を思い出した。

 適当な紙の切れ端に星を描いてその中に飽きたと書く。その時青年は酷く酔っていた。何を思ったのかそれとも自身の中の厨二の心が燻られたか、ハサミで指を切り血で文字を書いたのだ。


「ははは…」


 そのまま糸が切れたかのように布団の中に倒れ込んだ。

 夢を見た。降りしきる雨の中、誰かに名前を呼ばれている。

 だが目の前がぼやけて上手く見えない。それでも返事を、傍にいたいと思った。

 徐々にクリアになる視界に、綺麗な顔をした青年が顔を歪ませて涙なのか雨なのか分からない雫が零れ落ちる頬に手を伸ばしてやる。

 掠れた声で泣くな、男前が台無しだろうという思いで精一杯笑ってやる。

 もう耳も聞こえなくってきてそこで微かに聞こえた言葉に青年は耳を疑ったと同時に心がとても温かくなった。


「……いま、なんて…」


 目を覚ませばまだ外は真っ暗で、空には闇に輝く星が煌々と光り輝いている。

 憂鬱な気持ちと、泣きそうな心に耐えられなくて青年は外に出る。

 何かの夢を見た気がする。懐かしくて寂しい夢。なのに思い出せないけれど自分がこんなにも泣きそうなのは何故なんだろう。分からない、分かりたい。

 苦しくて、腹が立って、意味が分からない気持ちのまま一心に思ったのは楽になりたいただそれだけだった。


「……」


 辿り着いたのは誰も居ない場所。

 そこはいつも釣り人がよく利用する川辺から連なる海。

 波の音が岩にぶつかってより大きく聞こえる。心臓がうるさい。

 珍しく今日は釣り人もいないその場所で何かに囃し立てられるように青年は海の中へ入っていく、波で体が攫われそうだ。

 腰位までに水が来た時、強い力で腕を掴まれ驚いて振り返る。

 知らない男だ。


「……ぁ……」

「駄目だ」


 怒った様子で青年を見つめる男はこの世のものではないくらいに綺麗な顔で悲しいそうな顔をする。

 急に冷静になった青年は体から血の気が引く感覚に襲われ、その手を振りほどこうとするも目の前の男の方が強かった。半ば引き摺られるように海から海岸へと進む。


「………」

「………」


 沈黙が重たい。けれど言葉を口に出すことは出来なくて沈黙だけが流れていく。


「あ、の…」

「それ、それがあったから助けられた。間に合ってよかった。二度も失うなんて御免だ」

「…え?」


 青年の手の中にある紙は既に水に濡れてぐちゃぐちゃだ。

 ぱっと顔を上げれば、まるで乱れた映像のように目の前の男の姿が崩れる。

 恐怖で一歩後ろに下がれば、目の前の男の姿はこの世のものではないくらいの綺麗な顔に髪は闇夜の空にワインを零したようで、瞳は漆黒の中にある紅の月が鋭く全てを見透かすようで恐ろしい。そんな印象を与える。


「オレを思い出してくれ、■■■」

「……ッ」

「そんなに現世が嫌なら一緒に行こう。やり直すんだ全てを、大丈夫。怖いことなんてないさ、オレはずっと傍にいるから」


 まるで招かれるように、青年はその不思議な青年の手を取った。

 その瞬間眩い光に包まれる。仄かに香る薔薇の香りに先程までとは違う安心感を覚えた。


 優しい風が頬を撫でて、覚醒を促す。

 重たい瞼を必死の思いで開けばふさふさの毛が眼前に広がった。寝惚けながら手を伸ばす。揺れる尻尾に頬を叩かれる。


「…ごめんクロ、寝惚けてた」

「シッテイル。モウ、オキルカ」

「うん。もう昼の刻だろう?流石に起きないと、遅刻する」

「アサノコクノトキ、アーツ、オコシテイタ」

「嘘…叩き起こしてくれれば良かったのに…アーツは?」

「シラナイ」

「家の中に気配はない…けど、アイツ元から気配ないからな…」


 漆黒の液体の中に愛らしい桃色を混ぜた髪は寝ぐせで所々跳ねている。

 まだ眠たげな瞳には闇夜と海が混ざっている中覚醒すれば広がる煌めきに人は魅せられるだろう。しかし本人はあまり見られることを嫌う。

 覚束ない足取りで脱衣所に向かう。跳ねた髪と寝惚けた顔をシャキッと正して、綺麗に畳まれた所属する部隊の制服を身に纏い、犬のような見た目をした大きな魔獣を連れてリビングへと向かう。


「ようやく起きたか。寝坊助」

「寝坊助じゃない」

「昨日遅くまでナインと酒を飲んでいるから朝起きれなくなるんだろう。ほどほどにな。クリア」

「分かってるよ」


 リビングを開けた時眼前に現れたのは、闇夜の空にワインを零したような特徴的な髪色と漆黒の中にある紅の月の瞳がクリアをじっと見つめ目を細めて笑う青年、アーツだ。思わず驚いてしまったがアーツは基本気配がないので突然現れて脅かしてくるので慣れてしまったクリアは眉間に皺を寄せ軽く自身よりも幾分か背丈が大きい背中を小突く。


「いたた。こーら、小突くな。ご飯作ったからこれ食べて一緒にゼーレに行こう」

「ありがとう…。ナインは?」

「あの男は朝日と共に目覚めて早々にパトロールの為に出て行ったよ」

「じじいかアイツは…」

「まぁ。年齢的に言えば年長者の類いだからねぇ」

「凄いな。昨日結構飲んでいたのに」

「ま、そこは魔法でどうにかできるからね。キミは普通に強そうだけれどね」

「アーツは飲まないよな」

「うん。あまり好んでは飲まないかな、飲めないわけではないけれどお酒を飲んで忘れたいことも無いからねぇ」

「ふーん」

「昨日はよく眠れたかい?」

「え……多分?」

「そう。それなら良かったよ」

「?」


 キッチンでコーヒーカップを持って微笑むアーツに、クリアは問いかけられた言葉が分からずに首を傾げる。

 昨日。昨日は何をしていたかと言われれば、酒を浴びるほど飲んでその後ベッドに飛び込んだというくらいで何かしてしまったかと悩む。

 見た目は幼いクリアだが、彼は成人済みの男性体である。この世界では性別の区分はあまりない、基本の区別は女性体、男性体。役職も何もかもが平等である。

 そしてこの世界は、全て死者の魂が還る場所でもある。


「さて、と。準備が出来たら行こうか」

「今日は面倒事が無ければいいな…」

「どうかなぁこの国は常に賑やかだからねぇ」


 常にお祭り騒ぎ。そう言われるほどにこの国は賑やかだ。

 街の内外お構いなし。商人の違法行為、住民同士の乱闘騒ぎから、恋愛の拗れから発症する死傷事件、そしてその負のスパイラルから生まれる地獄の招き手と呼ばれる魔獣の発現。それら全てを取り締まる騎士がいる。

 朝から昼にかけて働く太陽の騎士と言われる部隊である『イーグル』

 昼夜問わず中枢を支え導く光の騎士と言われる仮面部隊『シャイニング』

 太陽が沈み闇夜が空を包む時に輝く星の騎士と言われる部隊『レグルス』

 この三つの騎士たちが用途に応じてゼーレ協会から派遣される。

 そして、クリアやアーツが所属する部隊が『レグルス』である―。


「警報が聞こえる気がする」

「幻聴だよ。仕事病かな、治療は必要かい?」

「遠慮しておく」


 ゼーレの門番がクリアとアーツの姿を見て姿勢を正し敬礼する。

 その横を通りゼーレ内へと入っていけば慌ただしく、走り回る職員があちらこちらに見受けられて、クリアはげんなりとした様子で制服についているフードを目深に被って長い廊下を歩いていく。

 暫く歩いていけば、辿り着くのは大きなそれはとても大きな扉だ。

 周りには何もない。茨の鎖が扉を覆っている、その前まで行けば扉は勝手に開かれる。開かれた扉から吹く風に乗って花弁が舞い漂う薔薇の香りそれは彼女の特徴だ。


「こんにちは。クリア、アーツ」

「こんにちは、ローズ」

「二人が来たらとびきりの紅茶とお茶菓子をご馳走しようと思ったのですが…」

「あぁ…その様子だと…」

「任務。ですかねぇ」

「そうだ。任務だ、ようやく来たかお前たち」


 美しいピンクの薔薇は少女のような愛らしさを、纏う雰囲気は上品さを持ち大人びた印象を与える女性体は、レグルス部隊の要であり主とする者。そしてこの国を象徴する神、影を操り常闇の中に咲く茨の王『ローズ』である。

 そして、背後からクリアとアーツの肩を掴む男。それはレグルスの騎士隊長であり部隊の父であり兄である存在。藍色の空に濃紺の闇、一等星を宿した瞳に睨まれれば逃げられないと悟れ。レグルス部隊騎士隊長、ナインだ。


「キミが早起き過ぎるだけだよ。ナイン」

「そうか?そうでもないだろう」

「まぁまぁ。早起きは三文の徳。寝る子は育つと言いますからどちらもいいことですよ」

「そんなことより、任務は」


 ナインとアーツの間にたった小柄なクリアは二人を押し退けるように前に出ると、ローズに申し出る。

 ローズは思い出したかのように掌を合わせると、薔薇の花弁が舞う中から依頼書を取り出した。


「こちらです」

「…都市伝説?」

「ええ。こちらの調査をお願いします」

「闇夜の歌姫伝説?そんなものがあるのかい?」

「巷ではローレライとも言われているようですよ」

「ローレライってあの、美しい歌声で人々を惑わせるっていう…」

「はい。その通りです」

「それの対処の御依頼、かな」

「いいえ。今回はあくまで調査です」

「調査?」


 ローズは依頼書を覗き込む三人の前にふわりと降り立つ。


「あくまでも今夜は調査だけです」

「なぜ?」

「被害者がいないからです」

「被害者がいないなら何故、オレたちに調査の依頼が?そういうのはシャイニングに役割では?」

「そのシャイニングからのご依頼ですから…」

「なぜ…?」


 ローズは笑うだけだ。クリアには意味が分からなかった。

 シャイニングはこの手の事件をよく担当しているはずだ、尚更今回の件の手柄を他部隊に渡す理由がない。手柄に功績に拘る部隊ではないが一度受けた依頼をシャイニングは降りない。

 クリアは依頼書を持ちながら、夕刻を報せるオレンジ色の空の下を歩く。

 アーツは調べ事があるといいゼーレに残った。ナインとクリアは部下を数人引き連れ街を歩く、街の中枢部から外れた端にある湖の中心にある小さなガーデン。

 そこに現れるという情報を確かめる為、クリアは近くにあった廃屋に身を隠し時が来ることを待つ。

 夜の刻まで待つと、水音が聞こえナインとクリアは部下に待機を命じつつ目を凝らす。


「ここからではよく見えないな…」

「女性…?」

「……声も女性…か?」

「サンプルを取ってシャイニングに提出したほうが良いかもしれない」

「分かった」


 ナインが魔道具を取り出し音もなくそれは外へと飛び出していく。

 歌声は美しく綺麗だ。その音色をクリアはどこかで聞き覚えがあった気がした。

 考え込んでいると茂みから一人の男が飛び出し、ローレライの女性に駆け出す。クリアとナインが緊張した面持ちで動向を見つめていた時、ナインとクリアが同時に動いた。クリアが飛ばした魔法の氷柱は男の持つナイフを落とし、足元を凍らせる。

 見事に身動きが取れなくなった男をナインが取り押さえる。


「ナイン!」

「クリア、彼女は……あぁ、逃げられたか…」

「面倒なことになったなぁ…お前、何故彼女を狙った?」

「知らないのか?この国の騎士ともあろう奴らが…ローレライにはいま賞金が掛けられている、捕まえれば俺は金持ちになれるんだよ」

「くだらないな。全うに働いたほうが稼げるしそんなくだらない事で人生を掛けるなんてどうかしている」

「……チッ。俺以外にもローレライを狙う奴は沢山いる」

「そんなことは知っているよ。キミみたいなのが現れたという事は同じ生き物がゴキブリのようにいるってことくらいそんなことすぐに分かるさ、キミのように一つのことで思考が埋まる馬鹿じゃない」

「な―ッ」

「おやすみ。次は冷たい檻の中で会おうね」

「アーツ」


 闇の中から現れたアーツは怒りを露にした男を魔法で眠らせる。

 男に向けていた冷たい表情を崩して微笑むアーツにクリアは若干の恐ろしさを感じつつも息を吐く。


「すまない。此奴のせいで逃げられて姿は確認できなかった」

「けど、音声のサンプルは取れているんでしょ?上出来じゃないかな」

「……」

「二人とも、今日はあくまでも調査、だよ。それに、このおバカさんのお陰で保護対象に上がる可能性は高くなった訳だ。成果は上々だね。さ、帰ろう」

「そうだな」

「…いつもの血生臭い仕事になれるとこれくらいだと味気無く感じちゃう?」

「そんなことはない」

「そう?じゃあ、もっと嬉しそうにしたらどうかな。顔が暗いよクリア」

「どうした。何か気になることがあったか」


 先を歩くアーツとナインが振り返り、表情の暗いクリアの顔を覗き込むように問いかける。クリアは苦悩の表情を見せる。


「あの声をどこかで聞いたことがある…と思う」

「え?」

「一体どこでだ」

「それが、思い出せなくて…」


 クリアの言葉にナインが肩を揺さぶる。しかしクリアは先程から思い出せずにいるのだ、歌を口に出そうとするが音程が思い出せない。もやもやする気持ちを抱えながらクリアはナインとアーツと共に闇夜の街を歩きゼーレを目指す。

 その様子を見つめる赤い瞳に気付きもしないまま。

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