第3話 逃亡生活の始まり

 カーネル・ブラントンの巨体が、目にも止まらぬほどの一瞬でクラムの目の前に現れる。

 武器を持ってはいない。だがその一撃で机は粉砕され、衝撃波でソファも真っ二つに引き裂かれ、外に繋がる石壁までぶち抜いた。

 ただのパンチ。それだけでだ。


「さすがにレベルも200を超えるとすごいですねえ。魔王にでも転職したらどうですか?」


 そういう俺は、金貨の袋を小脇に抱えながらシャンデリアにぶら下がっていた。


「軽業のスキルか」


「そっちのレベルも凄いですが、スキルも磨かないと意味はないんじゃないですかねえ。それに無駄だって分かっていたのでは? というかですねえ、展開は分かりますが、普通は服を着替えるまで待つんじゃないですか?」


「言ってろ、小僧。俺はまず試す主義なんだよ」


 今のやり取りだけで、もう結果は見えたのだろう。

 いや、最初から分かっていたし、目的も果たしたのだ。


「お前が奴隷だったのは最初の数か月。だがプリズムポイズンワームの管理をさせるために、奴隷の身分は解除した。以後は自由に行動していたわけだ。しかしお前は周りにそれを隠しながら、金を誤魔化す為に俺の命令を無視してプリズムポイズンワームの排泄物を山に捨てた。まあそういう事だ」


「それに気が付いた親方は、犯人を捕まえようとしたが失敗。犯人は着服した金の一部を持って逃走と」


「そうだ、それでいい。どのみち、お前が生きていようが死んでいようがどうでも良いこった。後は憲兵が死ぬまで追い詰めるだけだ」


「おありがたいこって」


「分かったらさっさと失せろ。それとも続けるか?」


 金に汚いわりに随分と潔いが、どうせこの金は証拠として憲兵に没収される。これ以上、この部屋で不毛な追いかけっこをする気は無いって事だろうな。


「こちらも無用な追いかけっこで体力を使う気はありませんねえ。これから憲兵様相手に逃げ切らないといけないもので」


 そう言って、壊れた壁からダイブした。3階だがこの程度は問題ではないな。


 少しの間をおいて、背後から騒ぎ声が聞こえる。

 やれやれ、とっとと逃げないとまずそうだ。

 他の国ならいざ知らず、ここの兵士は全員レベル50以上。一騎当千の猛者たちだ。

 それに親方と違ってちゃんと武芸のスキル持ち。

 そんなのが集団で来たらさすがにたまらんな。


 さらば王都よ。

 奴隷になって初めての外出が、こんな状況で永久の外出になるとは思わなかった。しかしこれもまた人の生というものか。

 ここまでも波乱万丈の人生だったが、なんとまあ、俺の生活は退屈しないように出来ているらしい。

 命懸けだがな!





 ■   ■   ■





 ここ王都は城を中心に、華やかな貴族街、その外周の市民街で成り立っている。

 表向きはね。

 しかし実際には地下が張り巡らされ、そこは貧民の住むスラム街。何処でもある話さ。

 特にここは王都だからな。一攫千金を夢見た田舎者達の終着点だ。


 あのレベル屋から一歩も出られない奴隷制約で縛られていたが、あそこで働くのは何も奴隷だけじゃない。

 なにせ命懸けだし奴隷は高価だ。ほぼ縛り付けるために使うアイテムの値段だけどな。

 まあ俺は事情があってタダ同然で送られたが。

 そんな身の上話はともかく、レベル屋にはこういった所の出身者の方が多い。

 今の俺にはぴったりだ。長居するつもりはないが。


 ここには幾つか点検用に魔光灯――単純に光を出す魔道具だな。松明と違って安全だし長持ちではあるが、いつ切れるかが分からない点は難点か。

 ただそれがあるとはいえ、あれは点検用。人が生活できる程では無い。

 所々にあるバラックやテント、それにランタンや松明、焚火の明かりだけが頼りだ。

 他人事で考えれば、それなりに幻想的な風景なのだろうな。


 それでも暗いが、その下にある本格的な下水は更に暗いというか、明かりなど人が知覚できるレベルにはない。

 暗視のスキルがあるから問題は無いとはいえ。しかしこれからどうするか。

 王都はもうダメだから、下水から外に出て隣町へ行ってから乗合馬車に乗って……そっからどうすっかなー。


 正直言って、やりたい事は何も無い。

 奴隷から解放されたが、俺がいた故郷はもう無い。この国に占領されて併合されたからな。

 あそこにもレベル屋があればとは思うが、根本的な規模が違うからどちらにせよ無理か。

 それに別に愛着があったわけじゃないし、そもそもあそこに売られたんだ。戻ってどうするよ。


「捕まっちまってもいいか」


 とも思ったりするが、そこまで自分を捨てる気もない。

 それに実際には捕まってはいけないのだ。

 犯人が逃走しているから、今はそれに集中できる。

 しかし捕まったら? 終わりか? まあ俺は終わりだが、事件はそうはいかない。

 一人を縛り首にしたところで収まる規模の話ではない。懲罰は次の段階へ進む。

 そんな訳で、今は逃げてやらなきゃいけないわけだ。あのハゲの為にね。


 それより夕飯も食べずに歩きっぱなしだ。さすがに疲れた。

 こんな下層の下水になんて誰も来やしないし、少し休むか……。

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