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トルエは今日まっすぐ家には向かわずに、街にある総合病院を目指しました。もちろんそこも普段人間の使っている病院を、ネズミ達が上手く利用しているのです。といっても病院は夜にも人間が使いますから、ネズミたちは病院の床下に自分たちのための手術室や診察室を作り出して、利用していました。
彼は入口から曙光を浴びて白く輝く病院の外観を眺めると、じんわりと胸が熱くなるのを感じました。彼は今晩語った夢、自身の目標を思い出し、ひとつ大きく深呼吸をしました。そして堂々と胸を張って、病院へと入っていきました。
院内では、若い医者や看護師たちが慌ただしく働き回っていました。彼らは互いに、彼らの間で共有された独自の言葉でコミュニケーションをとりながら、効率的なチームワークを発揮していました。トルエはそんな彼らに敬意を払いながら進み、ある老医師の前へ辿り着くと、
「こんばんは、ロジャー先生」
と声を掛けました。
「こんばんは、トルエくん。水曜にここに来るなんて珍しいね。しかも今日はやけに張り切っているように見える。何か良いことでもあったのかい?」
老医師はゆっくりとした口調で応じました。
「いえ先生、そういうわけでもないのですが、しかし今日は学校で進路調査があったのです。僕はそこで医者になりたいと宣言しました。もちろん、先生はご存知のようにこれは前々から決めていたことです。しかし今日みんなの前で宣言したためか、僕はまた新たな気持ちで、このことに臨もうと思ったのです」
「そうか、そうか。うん、そうだね、それは非常に素晴らしい心がけだよ、トルエくん。というのもね、そういった初心は誰でもついつい忘れてしまうものなのだからね。無論、私だって例外ではないさ。しかしね、トルエくん。それは誰にとってもかけがえのない、何よりも大切なものであることがほとんどだし、それ故にそれは、本当の意味で忘れ去られるものではないんだよ。ちょうど君が今日その気持ちを思い出したように、それはいつだって君の心の奥底ではしっかりと残っているものなんだ。大切なのは、それを時々でも良いから思い出して、丁寧に磨いてあげることなんだよ」
ロジャー先生と呼ばれたその老医師ははゆっくりと、しかし力強い口調で語りました。彼が何かを語るとき、その表情には少年のような若々しさが宿るのです。皆さまお気づきでしょうか?そう、彼はつい先日、トルエたちの学校で医学の講義をしていた先生なのです。医者と学校の先生を掛け持ちするということは、ネズミの世界ではそこまで珍しいことではありません。ロジャー先生は、授業の無い日にはこの総合病院で手術をしたり、若い医者に手術のことを教えたりしていました。
「そうですね。ありがとうございます。では、行きましょうか、先生」
二匹はそこで手術室へと向かいました。手術室には数匹の看護師のネズミと患者さんのネズミがいて、辺りにはメスやルーペなど様々な機器が置かれており、それらは無影灯に照らされてきらりと輝いています。
そこでトルエはロジャー先生の手術の様子をじっと観察しました。先生はまず初めに麻酔を打たれぐったりと横たわった患者の様子をじっと観察すると、おもむろに小型メスを取り出し、すっと患者の身体へ挿し込み、切込み線を入れました。そこで看護師のネズミが先生にさっとピンセットと電気メスを受け渡します。彼はそれらを用いて皮下組織を分け入っていきました。するとやがて赤黒い色をした腫瘍のある臓器が見えました。彼は慣れた手つきであっという間にその腫瘍を摘出してしまいました。そしてその後の閉創も手早く美しくこなして、あたかもなにもなかったかのようにすっかりと縫い合わせてしまうのでした。
トルエは手術の様子を真剣なまなざしで見つめながら、以前先生に教えてもらった通りに、自分の頭の中で同じ動作を真似てやってみせました。しかし頭の中ですら、ロジャー先生ほど上手にやってのけることは叶いませんでした。
手術が終わるとトルエの身体にはどっと疲労が押し寄せました。しかしそれは体育の授業で感じたような苦痛を伴うものではなく、むしろ心地よくすら感じました。
「今日もありがとうございました、先生。また来ます」
「ああ、お疲れ様。でもまああまり無理はせず、ゆっくり休むんだよ」
二匹はそう言って別れました。トルエは、ロジャー先生の背骨が浮き出た背中を心配そうに見送ると、帰路へ向けて歩み始めました。
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