50.夢、だから

「どうだったの? 全神会議」


 シズクとドリンは村の用水路の近くに腰掛け、火の玉の明かりで煌めく川の流れを見守っていた。


「言うまでも無いじゃろ。大成功に決まっておる!」


 ドリンはげらげらと笑い、半分くらいの黄金色のビールが残ったジョッキを目線の高さに掲げた。


「……それじゃあ、どうしてそんな顔してるのよぅ」


 明るい声色とは裏腹に、ドリンの表情にはどこか影が落ちている。


 少なくともシズクの瞳には、そう映っていた。


「ふむ……。さすがはシズクじゃの。それも、職人の観察力というやつかえ?」

「別だよ。友達だから分かるの」

「……」


 涼しい顔でさらりと言うシズク。

 面食らって何も返せず、ドリンはただぎゅっと目を閉じた。


「お主には敵わんのぉ」


 首振るドリンの吐いた白い息が、宵闇に吸い込まれていく。


「もしかして、神様じゃなくなっちゃった、とか?」

「いや、少しも変わらん。おまけに、神ポイントも山のように手に入ったのじゃよ。お主ら兄妹の夢を叶えるに十分過ぎるほどにのぉ」

「えっ!? それじゃあ……!」

「……喜んでいいのやら、悲しんでいいのやら。儂とて、このような気持ちになったのは初めてでのぉ。すまぬ。表情の作り方がわからんのじゃ」

「どうして? 悩む事なんてないはずだよ! ネクタリアには酒造文化が戻って、ドリンは女神様のまま、私達の夢も叶う……全部全部、最高の結果なのに」


 全神会議での成果を指折り数えていくシズク。それでも、ドリンの表情は変わらない。シズクの胸のざわめきは、激しさを増していく。


「オリオンデ様が、大層お喜びでのぉ。びぃるの出来はもちろんじゃが、何より……その、儂が、変わったことに」

「ふぇっ!? ドリンの、変化に?」


 目を見開くシズク。ドリンは、大きく頷いて応えた。


「驚いた事にのぉ。皆、気づいておったようじゃ。……ネクタリアの酒が滅びたことも、その原因が儂である事も」

「……そう、だったんだ」

「うむ。気づかぬふりをしてくれておったばかりか、全てを知った上で、飛行機事故の後始末も手伝ってくれたのじゃ。……ビールが飲めるという下心故、力を貸してくれているに過ぎんなどと邪推したこと、心底恥ずかしく思ったわい」

「そっか。神様達、皆優しいんだね。ドリンの事、大事に思ってくれてるんだ」

「ありがたい事じゃ。儂も、其方らと汗を流すことで、他者の心根を素直に受け取れるようになったのじゃろうな」


 頬を赤らめ、ドリンは恥ずかしそうに頬を掻く。


「ひねくれてたもんねー、ドリン」

「恥ずかしいばかりじゃ」


 シズクとドリンは、口元に手を添えてくすりと笑った。


「それじゃあ本当に、全部全部大成功じゃない!」

「……それがのぉ。そうとも言えんのじゃよ」

「?」


 シズクは首を傾げたまま、ドリンは口を噤んだままで、静寂の時が流れていく。


 やがて、ドリンが絞り出すように、ぽつりぽつりと言葉を紡ぎはじめた。


「儂がオリオンデ様より大量の神ポイントを賜ったと、先ほど申したな?」

「うん。私達の夢を叶えるのに十分すぎるほどだって」

「左様、左様。じゃがそれは、使途限定・期間限定の神ポイントなのじゃよ」

「わわっ! 縛り強い系の奴だ! もしかして神ポイントって、極●天ポイントの源流だったり!?」

「きょく……? なんじゃ、それは??」

「あー……。ごめんごめん、気にしないで続けて」


 鬼ポインターのシズクは深呼吸をして興奮を抑え、すっと右手を差し出して促した。


「神ポイントは、使途を絞れば、より強力な奇跡を起こせる。儂の記憶を読み、シズク達の活躍に感銘を受けた勇み足のオリオンデ様は、智球の時を巻き戻す事をお決めになった。そのために、大量の神ポイントが生まれたのじゃ」

「え……!? 時間を巻き戻せるって事は、もしかして私達――」


 驚きに、シズクは目を見開く。


「……うむ。智球に戻れる。生者としてのぉ」


 覚悟の決まった力強い瞳で、ドリンはシズクを見つめていた。


「もちろん、選択することは可能じゃよ。お主達が望むのであれば、このままネクタリアに残ってもよい」

「……」

「他の『渡り』も同じじゃ。既にエーテリアルで成功し、新たな人生を謳歌している者もおる。どちらの道を選択しようとも、オリオンデ様が責任を持って対応すると約束してくださった」

「だからドリン、そんな顔してたんだね。……お別れ、だから」


 シズクの声が細くなっていく。

 ドリンは目を閉じ、大きく息を吸って気丈に続ける。


「我が儘なかつての儂なら、拒否したじゃろうな。……お主達との別れは、まっこと辛い」

「ドリン……――」

「じゃが、お主らの夢を叶える方法はもはや唯一。お主らが智球に戻ること。……それに、エーテリアルの水が合わず、智球への帰還を強く望む者もおる。そんな『渡り』の事を思えば、断るなどとても出来んかった」

「……優しくなったね、ドリン。そういう所もきっと、オリオンデ様は見ていたんだよ」

「……」

「ねえ、兄さん、ツクリ。……私、どうしたらいいの?」


 シズクは、いつの間にか二人の後ろに背を向けて立つ、ソダツとツクリに言葉を投げた。


「……聞くなよ。お前の心は決まってんだろ?」


 腰をかがめ、シズクの黒髪をわしゃわしゃとかき交ぜるソダツ。


「ボク達は、兄妹だよ」


 シズクの背中を抱くツクリの瞳からは、ぽろぽろと雫が落ちていた。シズクの背中が、じんわりと熱を帯びてくる。


「……うん。……ありがとう」


 胸に手を当て、深呼吸を一つ。


「ドリン、あのね。私達、智球に……戻るよ」

「……分かって、いたとも。じゃが、せめて理由を。お主の口から聞かせておくれ」


 シズクは、小さく頷く。


「私達の、夢で、目標で……! ぐすっ……お父さんが、私達と、私達のビールを待ってるから……だよっ!」


 涙声でシズクは言い切った。強く。未練を断つように強く。


「ああ。親父はきっと、寂しい思いをしてやがる」

「……うん。エーテリアルはとっても楽しいトコだけど。お父の事考えると、ボク達だけこうしてていいのかなって、いつも胸が痛かったんだ」


 胸に手を添え、ツクリも続いた。


「今、手配をしておいたぞい。……夜が明ければ、智球の時は戻る。別れじゃのぉ」

「早すぎるよぅ……急すぎるじゃない。神様って、いつも勝手だよ!」

「オリオンデ様の気が変わらぬうちにの。分かっておくれ、シズクや。儂だって辛いのじゃ」

「うぅ……うぅう……」

「……せめて今宵は、お主達との出会いに感謝をさせておくれ! 胸に刻ませておくれッ!!」


 感極まったドリンは声を濁らせ、シズクの胸に飛び込んだ。


 抱き合ったままえんえん、わんわんと、二人は互いの涙を拭い合っていた。


「ぐすっ……。だめ、だめだよ。こんなの、私達らしくないよ!」


 涙を流しすぎると、どうしてか笑えてくる。くすりと笑い、シズクがいきなり立ち上がった。


「こうなったら酔い潰れるまで飲もう! のもー!!」

「……かっか! それはよい、大賛成じゃ! まだまだびぃるは残っておる! 上戸の我らで、全て飲み尽くしてやろうではないか! これがネクタリア流の宴じゃ、宴じゃー!!」


 ドリンは座ったまま、右手を高く突き上げる。


「独占は、ドリン様の得意技だもんねー」


 シズクの陰からひょっこりと、悪戯な笑顔を浮かべたツクリ。


「にゃ、にゃにをっ! 儂は心を入れ替えたのじゃぞ? あくまでウェルテの民が優先じゃわい!」

「ほぉ。殊勝だな、神さん。裏は何だ?」


 ソダツは肘先でツンツンと、ドリンの肩を突く。


「くっく……。酔い潰れた者にまで、遠慮はできんといったところか」

「うわわ! やっぱり全部飲み干しちゃうつもりだ! それじゃあ、前と何も変わってない! 醸造所に残っているのは、皆で分けなきゃダメだよっ!」


 口をとがらせてしゅーしゅーと、鳴らない口笛を吹きながら、ドリンはそっぽを向いた。


 何度繰り返したか分からない他愛のないやりとりに、腹を抱えてゲラゲラと笑う一同。笑いが涙を乾かせば、宴会の再開だ。


 宴の輪に戻った四人は、まだ生き残る醸造所メンバー達と途切れる間もなく飲み続け、今宵ウェルテに運び込まれた『天上の揺り籠』百樽は、本当に空になった。


 秋の大地に横たわり、熾火の熱に包まれながら、幸福の海の中ひとり、また一人と眠りに落ちていく。


 酒豪の三兄妹も、酒の女神でさえも――

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