49.此度はみんなで

 夜風にはもう、雪の精の息吹が混ざっている。


 今宵、ネクタリアの農村ウェルテでは、二度目の収穫祭が盛大に開催されていた。日が傾いたかと思えば、いつの間にやら辺りは群青に染まっていた。秋の夕暮れは、誰の記憶にも残っていないほどに短い。


 魔法で作られた火の玉を先頭に、薄闇の中からあるふぁか車を曳くカイエンが姿を現す。その背中から醸造所メンバー達の歌声が聞こえはじめると、千年の時を超えたビールの到着を待ちわびていたウェルテの民は、歓談をぴたりと止め、注目の眼差しを向けた。


 行列を引き連れたカイエンが広場の中央辺りで足を止めると、渦潮の中心に集い来るように人が流れ込み、場は一気に賑やかになる。


 年に一度の楽しみである収穫祭を祝うことができなかった醸造所メンバー達は、家族や友人達と握手をしたり、ハグをしたり。再会の喜びを爆発させていた。


「長い間離ればなれだったもん。嬉しいよね」


 シズクはそう呟き、カイエンの背の上でにこりと笑う。


 百樽の『天上の揺り籠』を載せた荷台の切り離しを終えれば、今宵はカイエンもお休みである。


 早速足を折って寛ぐカイエンの許には、子ども達がもふもふを求めて集まってきた。カイエンは満更でもないと言った様子で、柔らかな毛をぐちゃぐちゃにもみしだかれるのを受け容れ、引っ張られることさえ少しも気にしていない様子だ。


 その微笑ましい光景を見れば、ごーるでん・あるふぁかが獰猛だという伝説は何だったのかと思わずにはいられない。


「次はこっちに運んできてくれー!」


 それにしてもソダツは一体、いつの間に段取りをしていたのだろうか。大量のビール樽は、村人の手によって農業用の小さな荷車に移され、広場をぐるりと囲むように実にスムーズに配置されていく。

 そして、矢継ぎ早に注ぎ口が取り付けられた。


「はいはーい! 押さないでよー。大丈夫、全員分ちゃんと用意してあるから」


 村人に一つずつ配られる、ガラスのジョッキ。これは、「ビールは色合いも楽しみの一つ!」というシズクの強いこだわりで用意されたものだ。


 地球のものかと見間違うほど精巧なそのガラス製品は、ツクリの伝手で工芸の国ティンカリーに発注したのだという。


 国境を越えることが容易ではないエーテリアルにおいて、交易品は超がつくほどの高級品だ。にも拘わらず、グラスはきっちりに人数分用意してある。

 自慢げに鼻息を吐くツクリの財力と決断力は、本当に同じ血を分けているのかしらと疑ってしまうほどだ。


 広場の真ん中では、巨大な薪組みが光と暖を生み出していた。めらめらと燃え盛ってはいるが、夜の闇に対抗するには少し光量が足りない。

 それに気づいた魔法の使い手達が、広場中に仄赤い光を放つ火の玉を浮かべていく。


 少しだけ魔法の練習をしたシズクも喜び勇んでそれに参加。しかし、あまりの弱々しさに彼女の火は採用に至らず。

 みかねたドリンのアドバイスによって、樽の注ぎ口を照らす明かりとして活路を与えられた。


「……うぅ。私、何も出来てない」


 兄妹の活躍に対して自分は……と、堪らずシズクは頽れた。


「はっは! んなことで凹むなよ、シズク。お前にしか出来ないこともあるんだぜ。ほら、見てみろよ」

「私にしか、出来ないこと?」


 ソダツに促されて顔を上げれば、シズクの瞳には、大小様々な火の玉が作る茜色の世界が広がっていた。何よりそこには、目を輝かせ、ダッシュの姿勢で号令を待つ村人達の姿。


 力強く頷き、シズクは立ち上がって目一杯息を吸い込んだ。


「はっじめるよぉおお!!」


 シズクのかけ声が、ツクリの拡声魔法の力も受けて広場中に響き渡った。


 四の五の考えずに駆け出す者がいれば、どこが空いているのかを探る戦略家もいる。

 広場にちりばめられたビール樽の許へ、空のジョッキを手にした村人がわらわらと集まってくる。


 中には、見慣れぬ顔もちらほらと。これが農村の懐深さか、たまたま村を訪れていた旅人や行商人、冒険者などにも声がかかったようだ。


 酒を飲む文化が無いのだから、乾杯の音頭などの儀礼も無い。

 シズクの温度操作で適温に保たれ、泡で蓋された最高の状態のビールを、注いだそばから村人達は口に含んでいく。


「どうかな? どうかな??」


 どれだけの自信作でも、生の反応を目の当たりにするのは怖いものだ。シズクは固唾を呑んでその様子を見守っていた。


「「「……――!!!!」」」


 一瞬の静寂。その後、どっと歓声が沸いた。


 それは驚きと衝撃と、その根元にある美味によるものだと明らかだった。

 シズクは、兄妹と目線を合わせ、無言のままがっちりと握手を交わす。


 あちこちで聞こえる絶賛の声、叫び。


 切れ味と酸味が強く、フルーティーな奥行きを楽しめる『天上の揺り籠』は、ビール入門者であるネクタリアの人達にも受け容れられたようだ。次々とジョッキが空になっていく。


 一つの小さな安心といくつもの大きな喜びで、シズクの目元には小さな水玉が浮かんでいた。


  ▽


「隙ありッ!!」

「――……ひゃ!?」


 何も話さず、ただちびちびと。ぼうっと遠くの様子を見詰めていたシズクの頬に、ひんやり冷たいジョッキが触れた。


「もう! びっくりするじゃない、ツクリ」

「SSランク冒険者様が、隙なんて見せるからだよー」


 振り向いた先には、にししと歯を見せ、悪戯な笑顔を浮かべるツクリ。


「だから、それはカイエンとドリンの力だよぅ……」

「だとしても、誰にでも得られるわけじゃないんだよー。……全神会議の事が心配なんでしょ、シズ姉?」

「ううん。その事はね、あまり心配はしてないんだ」

「おいおい、なら、どうしてそんな辛気臭い顔してやがるんだ?」


 シズクの事が気になったのか。先ほどまで村人の輪の中でげらげらと笑っていたソダツも、なみなみ注がれたジョッキ片手にやってきた。


「……ドリンと早く『天上の揺り籠』を飲みたいなって考えてたの」


 その答えに、ソダツとツクリは互いの目を見合わせて肩をすくめる。


「そうだねー。醸造所を見つけてからの三ヶ月で一番変わったのがドリン様だし、一番頑張ってたのもドリン様」

「はっは! 違いねぇ! 俺だって、初めはとんでもねぇ神さんもいたもんだと思ったがよぉ!」


 腹を押さえ、ゲラゲラと笑うソダツ。左手に持つビールジョッキからは、白い泡が少し、逃げ出していった。


「どれくらいかかるんだろうねー。神様の宴会って」

「きっと長いよ。神様達、宴会大好きみたいだから。宴会芸とかもするんだって」

「そりゃあ、神観が変わっちまうぜ!」

「何? 神観って。だけどドリン、前に天界と地上だと時間の進み方は全然違うって言っていたから、そろそろ――」


 前を向いたシズク達の目線の先に、光の白い渦が現れ――


「!?」


 中でキラリと、アメジストの光二つ。

 勢いよく飛び出し、銀色の艶髪をなびかせるのはあの、見慣れた姿だ。


 無言でジョッキをツクリに預け、シズクは駆け出す。ソダツは、大きな手でシズクの背中を強く押した。


「……ドリン! お帰りっ!!」


 シズクは、姿を現したばかりのドリンに勢いをそのままに飛びついた。


「ほっほう、シズクや。さてはお主、酔っておるな?」

「ドリンもじゃない……。顔、真っ赤だよ?」


 ソダツとツクリがゆっくり二人の元へ近づき、二人にビールがなみなみ注がれたジョッキを差し出した。


「お帰りなさい、ドリン様」

「良く帰ったな、神さん。首を長くして待ってたんだぜ。特に、こいつがな」

「うむうむ。待たせたのぉ」


 四人は、手に持つジョッキをガツンと合わせる。


 にやりと微笑み、それを一気に傾けた。


「くぁああ-!! やはり最高じゃのう! 気の置けない仲間と飲むびぃるはまた格別じゃわい」

「だね!」


 銘々が、口元に残った泡を袖で拭う。目が合うと四人は、夜空を仰いでげらげらと笑った。


「皆も、一緒に飲もうぞ!」


 様子を窺っていた醸造所メンバーも、ドリンの声かけで駆け寄ってきた。


 軽口を交わしながら一人、また一人とドリンとジョッキを合わせていく。


 最後はルーカスだ。ルーカスは両手に持ったジョッキの片方をドリンに手渡し、豪快にジョッキをぶつけて一気にそれを傾けた。


 二人の口元には、たっぷりの泡。

 指さし合って笑い、肩をたたいて互いを労うのだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る