47.テイスティング

 そして今日こそが、全神会議にドリンが出立する日。


 シズクは残りの日数から逆算し、可能な限り自然の流れに沿ってビールの熟成を進めてきた。


 限界ギリギリ、リミットの夕暮れ時を待ち、いよいよテイスティングだ。


 醸造初日の日付とロットナンバー0001がでかでかと、白のチョークで書き殴られた樽の前に、醸造所メンバーは集結していた。


 シズクはその前に立ち、専用の工具で穴を開け、すぐさま注ぎ口を取り付けた。

 この日のために工芸の国から取り寄せた、背丈十センチほどの試飲用グラスの壁を添え、出来たてのビールを注ぐ。


 地下室の壁、等間隔に並ぶランタンが抱く赤に、わずかに白濁した黄金色は深みを増す。グラスの底から湧き上がる細かい炭酸は、解放の喜びを表すように煌めいていた。


 注ぎ終えると粒々は水面に集い、泡となって白く薄い蓋をする。黄金と白は八対二。発泡の弱い『野生酵母』のビールにして、絶妙なバランスである。


 シズクと樽を半円状に取り囲む醸造所メンバーは、そのあまりの美しさに魅入られ息を呑んだ。その味を知るドリンだけは唯一、ごくりと生唾を飲み込んでいた。


「……それじゃ、いただきます」


 初物はウェルテの先人達に供える約束。これは、醸造家によるテイスティングだ。シズクは、一口サイズの小さなグラスを一気に煽り、少しだけ口の中泳がせてから飲み下した。


「くっはあぁぁァァああ!!」


 目を閉じ、唸り声を上げるシズク。


「もうこれ、最ッッっ高の出来――」


 口元に残った泡を拭いながら目を開ければ、自らに注がれるのは好奇の視線だ。シズクは、恥ずかしさに頬をほんのり染めて続けた。


「……こほん。シャープな口当たりと、優しい炭酸の調和が完璧。発酵でね、苦みは完全に消えてて、飲み込んだときの酸味がすっごく爽快だよ! 何と言っても、微生物達が手を取り合って作った、複雑なアロマの余韻……。あぁ、この醸造所での思い出が、全部蘇ってくるみたい」


 感嘆のため息の後には、ネジ一本すら締まっていない、蕩けきった表情が姿を現した。頬に手を添えるシズクは、実に幸せそうである。


 ただその表情だけで、美味の共感を得るには十分。醸造所メンバーからは、一斉に歓声が上がった。


「よっしゃ! マイスターのお墨付きだ! 早速運び出すぜ! 今すぐにだ!」


 勝ち誇ったように拳を握りしめ、ソダツが叫ぶ。


「えぇっ! 今すぐって兄さん、急すぎない!?」

「……早くしないと間に合わねぇんだ! ウェルテの村長に『宴の準備をしておいてくれ!』って伝えちまったからよぉ」

「こういう時は動きが早いね……。もし私が失敗してたら、どうするつもりだったの?」

「何言ってやがる、シズクの腕なら、万に一つもねぇ!」

「調子いいこと言っちゃってー。単に、皆で騒ぎたいだけでしょ?」


 人の壁の隙間から、ツクリがひょこっと顔を出した。


「はっは! 俺は、このために生きてんだ!」

「も、もしかして……いつもの暴走!? みんなとはちゃんと話し合ったんだよね?」


 シズクは、上機嫌極まりないソダツに、心配の眼差しを向けた。


「ったりめぇだろ! 第二回の収穫祭だって、村長も大喜びだったぜ!」

「収穫祭って、普通は年一回だよね!? 二回目なんて、初めて聞いたけど!!」

「そういや、俺もだな。……だが、楽しいことは何回あってもいいもんさ!」

「智球でもエーテリアルでも、農村の人はお祭り好きだよねー。どうしてなんだろ?」


 腕組みし、ツクリは首を傾げた。


「……そういえばお父さん、よく言ってたよね。田舎では、それくらいしか楽しみがな――」

「ちょ! 待て待てシズク! その先は言っちゃいけねぇ!」


 大慌てでシズクの口を塞ぐソダツ。


 二度目の収穫祭と聞いてウェルテの民は喜びをそれぞれに表し、冒険者達は愉悦にゲラゲラと笑っていた。


「時に、シズクや? 今夜は儂にとっても大事な日なのじゃが。その――」


 目を伏せ、申し訳なさそうに人差し指を合わせて問いかけるドリン。


「もちろん覚えてるよ? 百年に一度の神様達の大宴会、全神会議の開催日っ!」

「し、シズ姉!? そんなにはっきり言っちゃっていいの?」


 ツクリの指摘に、咄嗟に口を両手で押さえるシズク。

 場はわずかにどよめくが、その実態については皆、薄々感づいていたようで。大きな動揺とはならない。


「お主に秘密は漏らせんのぉ……。まあ、今更隠すことでもないのじゃが」


 ドリンはくすりと笑い、続けた。


「その宴会にネクタリアの特産として出す為、出来たばかりのびぃるをちぃーっと、分けてはもらえんじゃろうか」

「うーん……。それは、私だけじゃ決められないかな?」

「……じゃな」


 そう呟いてドリンは、ぎこちない動きで辺りを見渡した。


 当のドリンも含めて総勢二十四名。醸造所メンバーは結局、増えることも、減ることもなかった。


 夏の炎天下での過酷な農作業や、暗所や閉所での修繕作業。そして、熱気と蒸気に満たされた醸造過程。もちろん、あるふぁか酒や木酒を飲み、語り合った夜もあった。そんな時間を共に過ごした、かけがえのない仲間だ。


 ドリンは、そんな仲間一人一人とじっくり目を合わせた。微笑み、頷き、親指を立てたりと、承認の仕草は様々。『渡り』の三人も無事クリア。


 最後に目を合わせたのはやはり、反ドリンの急先鋒であり、ウェルテの「衛兵長」ルーカス。


「お主は、どうじゃ? どれ、遠慮はいらん。神として歩む道、其方らとここで歩む道。……儂は、どちらに進む覚悟も出来ておる」


「――ウェルテの先人に百樽。ウェルテの祭りに更に百樽だ」

「ルーカスさん!!」


 思わず声が出てしまったシズクを、ソダツがそっと腕を伸ばして制止する。

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