46.職人として

 天上のクールシップで冷却され、管を通じて地下室へ舞い降りた黄金の麦汁。


 多種多様な野生の酵母の宿るそれが、オーク製の大きな樽に移されてから、ひと月が経過した。


 初の醸造で体力も精神力も使い果たした醸造所メンバー達は、まる一日泥のように眠った。そして、目を覚ました後も、醸造所内を彷徨う幽霊のようになっていた。

 しかし、活力というのは不思議なもので、暇を感じるとむくむく湧いてくる。誰から言い出したわけでもなく、三日後には製麦作業が再開。交代で休みを取りながら、樽詰めまでの一連の工程は一ヶ月間切れ目無く、何度も繰り返された。


 既に今年収穫した素材は使い切り、これ以上ビールを仕込みたくても仕込めないという状態となっている。


 それでもまだ、誰もが一滴のビールにさえありつけてはいない。


 野生の多種多様な菌が宿るビールは、樽の中でもじわじわと発酵が進み、時間が経つほどに味の複雑さと円熟味を増していく。通常は長くても数週間で終わる後発酵を、主役をころころ交えながら、三年もかけてじっくり行うのだ。


 しびれを切らしたドリンが、シズクに詰め寄った事もあった――


  ▽  ▼


「発酵という工程に、時間がかかることはよーく理解したとも。……じゃが、お主のスキル『微生物活性化』を使えば、すぐにでも完成させられるはずじゃろう!」

「確かにそうだけど……。それじゃダメなんだよ」


 ドリンの勢いをいなすように両手を突き出し、シズクはゆっくりと首を振って続けた。


「私が教わった野生酵母のビール造りはね、ドリン。樽の中で三年は熟成させるんだ」

「さ、ささ三年じゃとぉおお! それでは一月後の全神会議など、とても間に合わんではないかっ!?」

「分かってるよぅ。『微生物活性化』で樽の中の時間を加速させて、絶対に間に合わせるから。やろうと思えばきっと、すぐにでも完成出来る」

「ならばっ……――!!」

「だけどね、ドリン。私は残された一ヶ月を、しっかり使い切りたいの」


 なおもシズクは冷静だ。ドリンも影響され、落ち着きを取り戻した。


「ふぅ……。シズクや、お主を曲げられんことは知っておる。せめて、理由を聞かせておくれ」

「……醸造家としての。ううん、いち職人としてのこだわりだよ」

「こだわり、とな?」


 熱い想いをフィルターにかけて濾過しながら、シズクは少しずつ言葉を絞り出す。


「私はね、時間は味をつくる大切な要素だって思ってるの。酵母達と一緒に、少しでも長く、楽しみながらビールを造っていきたい。お尻を叩かれながらだと、本当にいい仕事は出来ないでしょ?」


 顎に人差し指を添え、首を傾げるドリンだが、徐々にその眉間にしわが集まっていく。


「……う、うむ。一理あるのぉ」

「でしょでしょ? それに、納得いくものが出来なかったら私、ウェルテの人達にも、神様にだってビールは出さないって決めてるんだからっ!」


 シズクは歯を見せ、悪戯っぽくにししと笑った。


「な、ななっ!? それは困る!」

「私も嫌だよー、欠品なんて最悪。だからこそ、ギリギリ一杯まで時間、使いたいんだ」

「……それが職人。そして、それが醸造家シズクということなのじゃな――」

「えへへっ、何だかちょっと恥ずかしいね。でもね、一応誇りは持ってるよ」


 シズクの背後では、腕を組みしたソダツとツクリが、首を大きく縦に振って同意を示していた。ドイチでの修行を乗り越えてマイスターの称号を得、エーテリアルで実践を積んだ彼らもまた、立派な職人だ。


「お主達がそう言うのであれば、従うほかはあるまいか」

「ほぉ。食い下がらねぇとは意外だな、神さん」


 ソダツは、驚きに目を見開く。


「実を言うと、儂はのぉ……。もはや、神の座にしがみつく理由をもっておらんのじゃ。ウェルテ醸造所でいち従業員として働き、生を全うするのも悪くはないと考えておる。それほどまでに、この三ヶ月は充実しておった」


 腕組みし、ゆっくり頷きならがらドリンは語る。


「ちょ! ちょっとちょっと! いい話風に勝手に纏めないでよドリン様! ……ボク達の夢のこと、忘れてないよね?」

「妹君よ。もちろん、覚えておるぞ。智球に住む父殿に、お主ら三人が手がけたびぃるを届ける、という夢じゃな」

「……うん」

「安心するがよい。たとえ此度のびぃるが間に合わずとも、たとえ儂が天界を追われようとも……。伝手でも脅迫でも何でも使って、必ずやその夢を叶えてくれよう。これは、友としての約束じゃ」


 ドリンと三兄弟は一人ずつ、小指を結んで切っていく。


「飲む針は、一万本じゃったかの?」

「!? ソ、ソウダヨ!!」

「かっか! それは大事じゃ、今から喉を滑らかにしておかねばならんのぉ」


 和本の文化を知る(?)ドリンの本気度がびしびしと伝わり、シズクの目頭は熱くなる。


「……ありがとう、ドリン。全部うまくいくように私、頑張るから」

「くれぐれも、無理をするでないぞ。儂は、お主らの体も心配しておるのじゃ。『渡り』は皆、危なっかしいところがあるからのう。何かに取り憑かれておるというか、追われておるというか」


 ドリンはそう言って、けらけらと笑った。

 シズクとってそれが、初めて神が神に見えた瞬間だった。

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