45.黄金は寝床へ

 麻袋の荷下ろし場から煮沸釜の投入口まで隊列が組まれ、バケツリレーのような格好で、煮立った麦汁の海に矢継ぎ早にホップが投入されていく。


「――……し、シズ姉! 分量合ってる?? ホップって、そんなに沢山入れるの!?」


 始まってから、かれこれ十数分。


 水分補給しながらその様子をぼんやり眺めていたツクリだが、ペースを上げ続けるリレーに、さすがに心配になったようだ。


「ふぇっ? まだ半分くらいだよ。あそこに積んである分、全部使うんだから」


 シズクの目線の先には、ホップがぱんぱんに詰まった麻袋が山のように積まれていた。


「嘘でしょ! アレを全部!? ボクも、ドイチで醸造所の見学に行ったけど……あれより全っ然、少なかったけど!?」

「そうだねー……多分、その十倍くらいは入れるかな。ここの造り方だと、それくらいは必要なんだよ」

「十倍ぃい!? 凄い量だね……。ここのホップ園がやたらと広い理由、分かった気がするよ」


 空気中の酵母を取り込む方法では、単一酵母でビール造りに比べ、遙かに多くのホップを投入する。


 浮遊する野生酵母を活用するビールの魅力は、多種多様な菌が織りなす、複雑な味と香りの調和だ。だが同時に、腐敗の原因になる細菌も大敵。

 ホップは不思議と、それら「悪い」菌の繁殖だけを抑え、ビールを腐敗から守ってくれるのだ。


「よーし。投入、終わり! 後はひたすら煮込むだけだよ! みんな、魔法班の応援とサポート、頑張ろうねー」


 規定量のホップを投入し終えても、麦汁の煮沸はまだまだ続く。


 肝となる火の管理は、ツクリを中心とした、魔法が使える冒険者でローテーションを組んで行われていた。

 ホップの投入を終え、手が空いたメンバーは、魔法使い達をうちわで扇いだり応援したり、マッサージや食事の世話をして精一杯支えた。


  ▽


 火は絶える事無く、そのまま四時間ほどが経過――


 縦長ガラスに刻まれた目盛りを見れば、はじめは12,000Lもあった麦汁が7,000L程に減少していた。

 実に四分の一もの麦汁が姿を変えて排気筒を抜け、ヴァルハ丘陵の大気に溶けていったということになる。


「エルミナさん、体、大丈夫?」

「はい! ゆっくり休みましたから!」


 仮眠を取り、すっかり回復したエルミナが、胸の前ぎゅっと両手の拳を握りしめた。


 エルミナは、今度は屋根裏部屋に繋がる煮沸釜のポンプを操作する役割を務める。魔導具には個性があり、ウェルテ醸造所のポンプはエルミナの魔力と相性が抜群だったのだ。


 魔力が流され、操作盤が仄青く発光すると、煮沸を終えたばかりの麦汁がポンプに吸い込まれていく。


 途中のフィルターを通じてホップのかすは取り除かれ、黄金色の液体は身軽に。屋根裏部屋を目指して、管を這い上がりはじめた。


「それじゃ、私達も行ってくるよ!」

「おぉよ! しっかり頼むぜ」

「かっか! 儂が同行するのじゃ。泥船に乗ったつもりでいるがよい!」

「……神さん? 俺は、そんな使い古されたネタに突っ込みは入れねぇが?」

「ねた??」


 あきれ顔のソダツは、たっぷりとため息を吐く。ドリンははてなと首を傾げていた。


「はっは! 天然ってやつだなぁ。もういいもういい。早く行ってきな! ここの後片付けは任せとけ!」


 屋根裏部屋は狭く、全員が入る事はとても出来ない。次の工程に選ばれたのは小柄なシズク、ツクリ、そしてドリンの三人だ。

 ソダツ達に手を振り、三人は麦汁のスピードに負けまいと駆けだした。縄ばしごの代わりに新設された、隠し部屋へ続く階段も軽快に、跳ねるように一段飛ばしで上っていく。


 少しの息切れと共に辿り着いた屋根裏部屋。そこは、ツクリの手によってシズクのオーダー通り「適度」に清掃・改修されていた。


 整然とした部屋の奥では、ピカピカに磨かれた銅のクールシップがより一層存在感を増している。


「こっちはオッケーだよ、シズ姉!」


 部屋の高い位置に蘇った窓を全開に。脚立に立ったままのツクリとドリンが合図を出した。


「うぅ……緊張するなぁ」


 煮沸槽から伸び、クールシップに至る蛇口の前に立つシズク。息を呑み、震える手をそっと伸ばす―― 


 少しの力で堰は切られ、一時の旅を終えた黄金色の液体が、だばだばと勢いよく注がれはじめた。


 綺麗に濾過された麦汁はやがて、クールシップに薄い黄金の膜を作った。すぐさま、息苦しさを発散するように一気に湯気を上げる。


 折良く、森の枝葉がさらさらと音を立てた。秋の涼風が、待ちかねていたかのように西の窓から東の窓へと吹き抜け、白い煙をさらっていく。


「綺麗だねー……」

「うむ。実に風雅じゃのぅ」


 三人は並んで、クールシップに目を落とす。黄金色の水面には、空の茜と森の緑が映り込んでいた。


「皆の、努力の結晶……。やれることは、全部やったよね」

「たったの三ヶ月なのに、一生分働いた気分。ボクも早く、温泉で羽を休めたいよー」


 両手を天頂に突き上げ、ぐいっと身体を伸ばすツクリ。シズクはその緑の髪を優しく撫でて労った。


「この先、ビールを育てるのは神様の仕事――……」


 シズクが、ぽつりと呟く。


 酵母が麦汁の海でどのような活動をし、どのようなビールを生み出すのかを完全にコントロールすることは難しい。

 酵母や菌の種類も量も、比率も自然に任せた醸造であれば、なおのことだ。


「ん? 呼んだかえ?」

「あー……。ドリン様以外の神様に呼びかけたんじゃない?」

「かっか! 儂は酒の神であって、酒の神ではないからのぉ!」

「自分で言うことじゃないよね、それ!?」


 醸造所の外から、中から。多種多様な酵母や菌達が今この瞬間も風に吹かれ来る。


 心躍らせるシズクの純真な瞳には、野山に住む神々や、部屋に宿る妖精達の姿が映っていた。

 神様達は分け隔て無く、昔語りや旅の話、時には唄を歌って、輝く湯での湯浴みを楽しんでいるようだ。


 窓の開度を調整しながら、麦汁の冷却は夜通し続く。

 黄金の揺り籠は、来る者を一切拒まず受け容れ続けるのだ。

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