44.変化の深み

「な、なんじゃこりゃぁあああぁあ!!」


 ルーカスの両手に満たされたホップの姿を一目見たドリンもまた、その驚きを叫声で表した。


 無理もない。つい数日前までホップ園の太陽を浴び、萌える程に瑞々しい黄緑の光を放っていた毬花。ルーカスの手の中のそれは、すっかり乾燥して緑の色艶を失っていた。ばかりか、枯れ葉のような褐色さえ混ざっているのだ。


「あぁ……。こんな、こんな……事が」


 幾重にも重なり合い、可愛らしい毬花を形成していた苞葉も、形を維持する力を失っている。ドリンの小さな手で優しく触れるだけで、ひとりでにパラパラと砕けていく。


「これが儂らが育てたホップじゃと申すか! あの若々しい緑は、ルプリンの煌めきは! ハリのある毬花はどこへ行ってしもうたのじゃ!」

「あ、あのねドリン。これは――」

「……シズクよ。さてはお主、管理をサボって腐らせてしまったのじゃな!」

「ええっ!?」

「な、何だとぉ! 怠慢で無意味にホップちゃんの命を奪うなど、言語道断! 貴様、万死に値するぞっ!!」


 声を荒らげるルーカスは、見えない剣の柄に手を添えた。ちなみに、醸造所内では誰一人として武器を装備していない。


「ち、違うんだよ! ドリン、ルーカスさん! ホップは私の『微生物活性化』で、わざと熟成させたの。……三年分くらい」

「わざと、じゃと? ……何とも苦しい言い訳じゃわい!」

「おい、ソダツ! 農業班の長として、貴様は醸造所長シズクの体たらく、どう考えるのだ! 妹だからと、許される話ではないぞ!」


 二人は聞き耳を持たず、なおも声を荒らげ続けた。


「まあまあ、とにかく落ち着けよ、二人とも」

「あ、兄殿ッ!? 農業班リーダーとして其方、これが落ち着いてられる状況だと申すのか!!」

「農業一年生が収穫物を大切にする気持ち、俺にもよーく分かるぜ。だが、怒るかどうかを決めんのは、シズクの話を聞いてからだ」


 ルーカスとドリンの間に割り入ったソダツは、げらげら笑いながら二人の肩を抱いた。


「む……」


 落ち着き払ったリーダーの言葉を聞き、少し冷静さを取り戻した二人の新人。彼らは不承不承といった様子で頷き、シズクに冷たい視線を注いだ。


「ありがと、兄さん。まず、ビール造りでのホップの役割だけど――」

「麦汁を悪しき菌より守護するばかりか、びぃるに苦みと香りをつけ、泡持ちすら良くする……。ホップは、びぃるにとって最高の相棒なのじゃ!」

「へぇ、神さん。よく分かってるじゃねぇか」

「当然じゃ! その大切なホップを、このような状態にしてしまいおって……」


 麻袋の中で無残に砕けるホップに目を落とし、ドリンは怒りを表すようにとてとてと地団駄を踏む。


「ドリン、覚えてる? 昔飲んだ、ウェルテ醸造所のビールの味」

「うむ。優しい炭酸の刺激、何より、爽快な酸味が魅力的じゃったわい。……じゃが、孤独に飲めばその酸っぱさ。涙の味にも思えたのぅ」


 言いながら、ドリンはしょんぼりと肩を落とした。


「もう誰も責めてないから。安心していいよ。ね、ルーカスさん?」

「……貴様の事は、だな。ともに畑仕事をする内に、少しは理解したつもりだ。その……悪い奴ではないとな」


 口を尖らせたままでルーカスは、ぼそぼそと言葉を紡いだ。


「ルーカス! お主……」

「か、勘違いするな悪神! 『ウェルテの先人にビールを届ける』という約束を遵守する事が大前提だ!」


 うるうる目+上目遣いを駆使するあざとい女神に見つめられた元衛兵長ルーカス。頬をほんのり紅に染め、誤魔化すようにそっぽを向いた。


「長年の遺恨を断ち切ってくれたこと、感謝せねばならんな。……じゃが、シズク。それとホップ殺害とは別の問題じゃぞ!」

「さ、殺害!? ホップ、死んでないってば……」

「我らの目は誤魔化せん! 説明を求めるぞ、醸造所長シズク!!」


 シズクに向かって身を乗り出す二人の圧は、わかり合えたことで激しさを増しているようだ。


「ドリンの言った通り、ウェルテ醸造所で造られていた『野生酵母』ビールの特徴は爽快な酸味。でもね、ホップの苦みは、その酸味とうまく調和しないの」

「むむむ……。苦みと酸味……とな。確かに、互いの主張が強ければ喧嘩してしまうやも知れん」

「そ。だから、今回は熟成させたホップを使うんだよ。……ホップの苦みの元、α酸は時間が経つと消えちゃうの。なんとなんと、殺菌効果はそのままで!」

「ほぅ……熟成させることで、一方の特性だけを生かそうという訳か。あれこれ良く考えつくものじゃわい」

「智球のビール造りには、長い長ーい歴史がありますから! 観察と、試行錯誤の賜なんだよ!」


 右手を伸ばし、シズクは誇らしげにビシッと親指を立ててみせた。


「くっく……。お主が威張ることではあるまい」

「えへへっ。でもね、いつか若いホップも試してみたいと思ってるんだ。きっと、合う組み合わせが見つかるから。懐の深さとバリエーションの豊富こそが、ビールの魅力なんだよ!」

「なるほど。飽くなき探求心が導いた答え……か」

「農家と醸造家は試行錯誤して高め合っていくのさ。ほぉら、納得したなら仕事に戻るぜ! 煮立ったら一気呵成だ!」


 切り替えるようにソダツがパンパンと、爽快に手を打ち鳴らした。


「ホップ、もう入れちゃって大丈夫だよー!!」


 なんとも折良く、煮沸釜の近くでツクリが叫ぶ。


 絆を深めた四人は同時に頷き、熟成されたホップが詰まった麻袋に手を伸ばした――

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