38.宇宙はきっと黄金色
「綺麗に越したことはないけどね。大事なのは、その中身なんだっ!」
「空気の……中身?」
「ほっほう。目に見えぬ世界……というわけか。お主の得意分野じゃな」
ドリンの瞳が期待に満ち満ちていく。それを悟ったシズクは小さく頷き、ゆっくりと言葉を紡ぎ始めた。
「こんなに立派で、設備の整ってるウェルテ醸造所に、発酵タンクが無いことがずっと不思議だったの。何でだろー……って」
「ま、待ってよ、シズ姉! 発酵タンクって確か、冷やした麦汁に酵母を投入して、発酵を進めるための容器だよね。それが『空気の中身』と、どう関係してるのさ!」
「それが、全部繋がってるんだよ。この部屋の存在が、全ての鍵――」
「鍵!? ……この部屋が?」
慌ててツクリが辺りを見渡した。
狭い屋根裏部屋で圧倒的な存在感を放つ浅くて広い銅の槽に、一同の視線が自然と集まっていく。
「あの槽の名前は『クールシップ』。煮沸した熱々の麦汁を冷やすための装置なんだ」
「冷やす……ため? そっか! だから、浅くて広いんだ!」
「うん。それから、窓の方角も大切。涼しい風が吹けば、効率よく麦汁を冷却してくれるでしょ?」
「いやいや、それはマズいって! ……シズ姉、よく言ってるじゃない。ビールには雑菌が大敵だって、雑味の原因になってしまうって! そんなやり方じゃ、悪い菌だっていっぱい入ってきちゃう!」
暴走を止めるように右手をシズクに突き出し、ツクリは疑問を投げかけた。
「逆なんだよ、ツクリ! 風に吹かれてクールシップの中に入る微生物こそが、ウェルテ醸造所に隠された、最大で最強の秘密だったの!!」
「え? えぇっ!? 酵母が、空気で……秘密?」
情報をつなげるには、決定的に何かが足りない。必死に答えを求めるツクリは、目をぐるぐると回していた。
「ごめんごめん、突っ走っちゃったね。マイスターの養成課程で私、ドイチ以外の国のビール醸造についても教わったの。その中に、野生の酵母を使ったビールがあったんだ」
「野生の酵母じゃと!? つまり、お主が探し求めておった、ウェルテ醸造所のびぃる酵母というのは――」
「どこを探しても見つからないはずだよ。野生酵母のビール造りでは、培養された酵母は使わないんだから……。空気中の土着酵母とか、醸造所に棲んでる酵母が麦汁を発酵させてるの。虫が入るのを防ぐために、蜘蛛の巣だってそのままにしてるんだって!」
「そっか! だからさっき、シズ姉は蜘蛛の巣に反応したんだね」
「最後はツクリのおかげだよー!」
そう言ってシズクは、ツクリの頭を優しく撫でた。ツクリはむふふと鼻息を吐き、満足げな表情を浮かべている。
「……故に、先人はこの地を選んだと。そういうわけじゃな」
「やっぱり必然だったんだよ。野生酵母のビールって、どこでも造れるわけじゃないから。普通は嫌われる酵母とか細菌だって、ここでは大事な存在。皆が、力を合わせてビールを完成させていく……」
「ふわぁ……。何だか、ボク達みたいだね」
じっとクールシップの中を見つめ、黄金色の海に泳ぐ微生物を想像しているのだろうか。ツクリは、感嘆のため息を漏らした。
「さっすが! いいこと言うね、ツクリ!」
「でしょ?」
「ウェルテ醸造所のビール造りには、今も昔も奇跡がいっぱい詰まってる――」
自然と手を繋ぎ、輪になった三人は、その手にぎゅっと力を込めた。まるで、出会いの喜びを噛みしめるように。
「よーし! それじゃあツクリ! この部屋の修繕、今すぐ始めよっか!」
「まずは窓だね。奇跡を届けてくれる、大切な風の通り道」
「あとは、掃除かな。クールシップはピカピカにしなきゃだけど、部屋は適度に……だよ。大事な菌が、どこに住んでいるか分からないんだから」
「えー……。何だかムズムズするなぁ」
「確かに。きれい好きのツクリには、拷問かも」
シズクは口元を嫌らしくつり上げた。
「むぅー……」
「かっか! ズボラが適任と言うのであれば、ここは儂の出番――」
「おーい! 神さん! いつまで寝てやがるんだぁ! 天気はいつまでも待っててくれねぇんだぞ!!」
適当の権化、駄女神ドリンが手を上げかけたその時。書斎のドアを激しくノックする音とソダツの威勢の良い声が、同時に屋根裏部屋まで侵入してきた。
「し、しまった! もうそんな時間じゃったか!」
呼ばれたドリンは、二度寝から覚めたかのように小さく飛び跳ね、はっと目を見開く。その向かいではシズクとツクリが、目を合わせて微笑んでいた。
「シズク、ツクリ! 其方らに奇跡の場は託したぞいっ!」
「任せといて。ドリンも、怪我しないように気をつけてね」
「行ってらっしゃい、ドリン様」
「後ほど、カイエンの酒を呑んで語らおうぞ! まっこと、びぃる造りは天界の営みよりもよほど神秘的じゃわい――」
上機嫌にからからと笑い、ドリンは急いで縄ばしごを下りていく。
偶然が重なり合って生まれた『奇跡』のチームは、実に上手く機能している。
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