37.奇跡の所在
「……カラ、だね」
「うむ。空じゃな。清々しいまでじゃわい」
「おっきいお風呂? まさか、プールとか?」
長板による封印が解かれた槽は、意外なほどに浅かった。中には何もなく、液体を溜めるためのもので間違いは無いだろう。しかし、縦七メートル横五メートル、深さ五十センチの槽は、ツクリが推理した風呂やプールにしても中途半端である。
槽の内部は褐色の深い光沢を放っており、その色あいには見覚えがあった。ツクリが縁から身を乗り出し、内側を叩いてみれば、屋根裏部屋に金属の響きが広がっていく。
「全部銅で出来てるよ、これ! 下にあった糖化槽とか、煮沸釜と同じものだ! ……だけど、どうしてこんなに大きな銅の槽が、屋根裏なんかにあるんだろ?」
ツクリは首を傾げながら、槽の輝きをじっと見つめていた。蓋をしてあったため、酸化があまり進んでいない。百年の時を超えた今でも、銅特有の輝きがはっきりと保たれている。
「屋根裏、銅製の槽……――」
再び顔を伏せたシズクは、ブツブツと呟きながら、落ち着き無く狭い部屋を行ったり来たりしている。
「よくわかんない部屋だけど、まずは掃除からだねー。それから、窓を作り直して……――きゃっ!」
部屋の端を「窓」伝いに歩いていたたツクリが、突然悲鳴を上げた。
「うへぇ……。もう、最悪……っ!」
ぼやきながら、ツクリは美しい緑の短髪に手ぐしを入れた。
「何があったのじゃ? 妹君よ」
「ごめんごめん、驚かせちゃって。蜘蛛の巣にかかっただけ。この部屋、魔蜘蛛でも住んでるのかなぁ……。立派な巣が、そこら中に張ってあるよ」
ツクリは頭の上にげんこつをのせ、小さく舌を出してはにかんだ。
「――……ツクリ? ねえ、ツクリ! 今、何て言ったの!?」
「え? 蜘蛛の巣がいっぱいあるなー……って」
「蜘蛛……! それだよっ!」
狭く閉ざされた部屋に、露わになった巨大な銅の反響板。叫ぶと同時にシズクがぱんと合わせた手の、乾いた音が折り重なり、一同の耳の奥を激しく揺らした。
「うわっ! 突然どうしたの、シズ姉。びっくりするじゃない!」
「わかったんだよ! ツクリ、ドリン! この部屋の正体! どうして隠されていたのか! ……それからそれから! 酵母の居場所も!!」
声を張り、嵐のように捲し立てるシズクは、興奮のままに瞳をギラギラと輝かせていた。
「ちょ、ちょっとシズ姉、一人で納得しないで! ……落ち着いて、ボク達にも分かるように、一つずつ話してよ」
すかさずツクリは、頬を紅潮させたシズクの背中を優しくさすりはじめた。さすがは姉妹、暴走を鎮める術は熟知しているようだ。
「――……はっ! ありがと、ツクリ。うん、もう大丈夫」
胸に手を当てて深呼吸を一つ。落ち着きを取り戻したシズクは、静かに口を開いた――
「……私ね。ウェルテ醸造所のこと、何か変だなーって、ずっと思ってたんだ」
「変、じゃと? なにゆえじゃ?」
「まずは、立地だよ。ビールは重たくて、運ぶのが大変。それなのに、わざわざ山奥に、こんなに大きい醸造所を建てるなんておかしい」
「何じゃ、そんなことか。大方、そこの川に樽を浮かべて流しておったのじゃろ」
小さく肩をすくめ、ドリンがすぐさま切り返す。
「はじめは私もそう思ってた。だけど、山の川は水量が不安定だし、途中で岩にぶつかったりしたら、肝心のビールの品質が落ちちゃうよ」
「うぅむ……確かに、それもそうじゃ」
「普通はウェルテに建てるよねー。人も沢山いるし、住居も街道も整ってる」
「つまり、シズク。其方は、醸造所を、どうしてもここに建てなければならなかったと申すのじゃな。この地に、唯一無二の何かがあると」
「ここにしか無いもの……。わかった! 水だ!!」
ツクリは目を輝かせ、指をぱちんと爽快に鳴らした。
「それも正解! ビールは九割が水だから、水はとっても大切。ここの地下水は、ビールの宝石箱って呼ばれてる、ベルジーの水質によく似てるんだよ」
「やった! だけど理由、まだあるのかー……」
「儂にもわかったぞい、シズク! 農地じゃな! 兄殿が、ここの土目は大麦やホップ栽培に最適だと言っておったわ」
「うんうん。ソダツ兄さん、『土壌診断』のスキルで隅々まで調査したんだってね。ホップは暑さに弱いから、ウェルテより標高が高いこの場所は、きっと楽園だよ!」
「うむうむ。作物は皆、心地よさそうに育っておる」
腕を組み、感慨深げにドリンは首をゆっくりと縦に振る。が、しばらくすると、再び沈黙が屋根裏部屋を支配した。
「よもや、他にも理由があるのかえ?」
「うん。……最後の要素はね、ここにしかない『空気』」
「空気ぃ!? そりゃあ山の中だから澄んでるけどさ……。ウェルテだって、十分綺麗じゃない?」
シズクが出した意外な答えに、ツクリは目をぱちくりさせる。
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