36.悪神から逃れる術

「……――よいしょ……っと!!」


 最後はツクリに手を引かれ、辛辛はしごを登りきったシズクは、屋根裏部屋の床に尻餅をついた。

 幼い頃、故郷の卜島で、木という木を全て登り切った彼女だが、久々の高さに心が乱れ、恐怖と安心で足がすくんでしまったようだ。


「シズ姉、お疲れ様っ!」

「怖かったよぅ……。うわわ……! この部屋も真っ暗だ」


 シズクは周りを見渡そうとしたが、目を凝らしても何も見えない。屋根裏部屋には窓一つ無く、四方を暗闇が包んでいた。日中だというのに、部屋は深い夜のように静まり返っていた。


「ここにはランタンがないから……。ちょっと待っててね、シズ姉。今度はボクが、光を作るから」

「ほよ? 光??」


 夜目が利くエルフのツクリは立ち上がり、胸の前で掌を上に向け、水を掬うように両手を合わせた。そして、優雅に詠唱を始めた。


『月の白抱く明けの魂魄。夜宵と行燈携えよ――【幻燈】』


 ツクリの掌の上で、無数の小さな光の球がきらめき始める。


 溢れんばかりの光の粒々にツクリが息を吹きかけると、それは軽い羽毛のように飛び散りっていき、やがて自力でふわふわと浮かんだ。


 幻想的な明かりが、日中とは言わないまでも、薄明程度の明るさで部屋を満たしていく。


「おー! 初めて見る魔法だ! やっぱり格好いいねー!!」

「ソダツ兄と再会してから覚えた魔法なんだ。生活魔法の一種だから、シズ姉にも今度教えてあげる」

「やった! ウェルテ醸造所って暗いところが多いから、大役立ちだよ!」

「夜中のお手洗い、もう我慢しなくても大丈夫だね」

「気づいてたんだ!? 何度か挑戦してみたけど、怖くって……。ところでツクリ、この場所は?」


 ツクリの魔法の光で照らされた屋根裏には、縦横十メートルほどの小さな空間が広がっていた。

 切妻屋根の頂点にあたるために天井は低く、身長百九十センチ近いソダツなど、まともに歩くことも出来ないだろう。


 所々剥がれた壁の漆喰の裏で下地のレンガが露わになり、冷たい石の圧迫感が、部屋の不気味さを際立たせていた。

 対して、部屋はがらんとしており、奥に直方体の巨大な槽が鎮座しているのみだ。


「不思議な場所だよね……。二重構造になってて、外からは絶対に分からない。屋根を直している時にも、気づかなかったんだよ。書斎で見つけた図面にだって、書かれてなかった」

「図面にも!? それじゃあここは、存在しない部屋……ってこと?」

「そうなるね。前に使っていた人達、かなり強い意志を持ってこの部屋を隠していたんだと思う。……シズ姉、ドリン様。ここ、見てみて」


 ツクリが指さす先に光の球が集まり、壁の漆喰が剥がれた部分を照らした。そこには、木の縁が顔を覗かせていた。


「これ……窓だね、ツクリ!」

「正解」


 木の窓枠の中はびっしりとレンガで埋められ、更にその上から漆喰で塗り固められていた。厳重に偽装された窓の存在は、部屋の謎を一層深めた。


「普通はここまでしないよ。……執念、っていうのかな?」

「まっこと、不気味な場所じゃのう。まるで、宝物を邪神から隠すかのようじゃわい」


「「……」」


「な、なんじゃお主ら、その目は!」


 反省の色は消え去ってしまったのだろうか。姉妹は揃って口を真一文字に結び、ジト目でドリンの事を睨みつける。


「……冗談じゃよ。場を和ませようと思うての」


 二人の放つ圧力に耐えかねたドリンは、そっぽを向いて唇を尖らせた。


「ドリン様のユーモアセンスは置いておいて……。ボクがここを見つけたのは偶然なんだ。排気筒を点検していたんだけど、中にもう一本、管が通っているのを見つけたんだよ。それだけなら、単なる断熱構造かなって思うんだけど――」


 うっすら埃の積もった床に膝を突き、ツクリは醸造所の断面図を書きながら続けた。


「エルミナさんが、中の管に魔法式が刻まれていることを見つけたんだ。変だなと思って辿ってみたらその管、この部屋に繋がってたんだよ。ほら、見て!」


 ライトアップされた部屋の隅。長方形の槽の中へ液体が吐き出されるよう、床下から立ち上がった銅の管が直角二度、曲げられている。加え、管にはポンプの術式が刻まれているという。何らかの液体をこの部屋に運ぶ意図は明らかだ。


「部屋の手がかりとなる管までもが、隠蔽してあったと言うことじゃの」

「そういうことになるね。誰かさんが襲ってくるのを、予見していたみたい」

「むぅう……」

「ホップを入れて煮沸した麦汁が濾過されて、魔法の力で屋根裏に運ばれる……」


 ツクリとドリンの小競り合いにも気を取られず、シズクは顎に手を添え、深く考え込んでいた。彼女の瞳は、在りし日の醸造所の姿を探しているようだった。


「意味も無く、こんなに手の込んだことをするはずない。だけど、ボクにはさっぱり。見当もつかなくて。シズ姉ならもしかして、って思ったんだけど……どうかな?」


「……――かも」


 シズクは、思惑にふけるように顎に手を添え、何やらぼそぼそと呟いている。


「え?」

「ねえ、ツクリ! ……他に、他に特徴は!?」


 突如顔を上げたシズクはツクリの両肩を掴み、その小さな体を前後に大きく揺さぶった。


「そ、そうだね……。窓は、東と西にいくつもあったみたい。この季節は西風が強いから、風通しがよさそうだなー……とか?」

「強い風。夏風に、換気――」

「一番気になるのは、この槽の中だよ。上に乗ってる板、蓋だと思うんだ。ほら、卜島の実家の、古いお風呂のみたいな分割式だよ。大きくて、一人じゃ蓋を外せなくて、シズ姉達のこと待ってたんだ。……ほら、シズ姉、そっちの端持って」


 金属の大きな槽の上には、長方形の長細い板が渡され、隙間無く蓋がされている。横八メートル、縦五メートルもある巨大な槽を封印する木の板は長く、重い。


 二人で両端をしっかりと持ち、かけ声をかけながらゆっくり慎重に、一枚ずつ蓋を剥がしていく。狭い部屋には、金属と木の擦れ合う音が切れ目無く響いていた。

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