34.ホップ園の異臭騒ぎ

 色々あったドリンの謝罪劇から、ふた月の時が流れた。


 どうにも辛気くさい雨の季節は過ぎ去り、ヴァルハ丘陵の奥地に突如として姿を現したウェルテ醸造所遺跡は、連日の青空が広がっていた。


 シズク達の呼びかけに応じたのは、総勢二十名であった。冒険者ギルドより十名、ウェルテ村より十名と半々。その中には、「元」衛兵長のルーカスはもちろん、横暴なギルド長に休職願を叩きつけ、冒険者として自由の翼を再び得たエルミナの姿もあった。


 少々威圧的な嫌いはあるが、ルーカスのリーダーシップは優れているし、気性の荒い冒険者達との折り合いも悪くない。エルミナの包容力と明晰な頭脳は、里を離れて暮らす若い職人達はもちろん、シズクやツクリにとっても大きな支えであった。


 移住当初は、野営を張って暮らしていたのだが、労働環境を重視する醸造所長シズクの判断で、醸造所内の宿舎が最優先で改修された。ホップ園の木陰のスペースも一部切り開き、ツクリ主導で仮設宿舎の建設も済んだ。

 「後回しでいいのでは?」という声もあったが、肉体労働には休息が肝要である。銘々が個室を得、しっかり休めることが士気の向上につながり、最高のパフォーマンスを生み出すのだと、シズクは力説して譲らなかったのだ。

 単に、地鳴りのようなソダツのいびきが我慢ならなかったという裏話があるとか、ないとか……。


 暖かくなっていく初夏の季節。植物の生長は勢いを増し、農作業に切れ目はない。

 けれど、多くの人手があれば話は別だ。ネクタリアの人員だけでなく、管理職であるシズク達もまた定期的に休みを取れている。

 惰眠をむさぼったり、奥山に探索に出かけたり。時には、エルミナに教わった秘湯に出かけてリフレッシュが出来ているというわけだ。厳しくも楽しく、今のところ誰一人として脱落者は出ていない。


 ソダツとツクリの財布から、報酬もたっぷり出ている。超ホワイトな労働環境の噂を聞きつけ、あるいはシズクやツクリ、ドリンといった美少女を目当てに、就職希望者は絶えない。苦労して奥地まで辿り着いても皆、シスコン気味なソダツの鬼の面接と、「テスト」と称した無茶な課題に皆、はね除けられてしまうわけだが。


  ▽


 ウェルテ醸造所西側のホップ園では、真新しい竹の支柱から下がる誘引紐を頼りに、淡い緑のホップ達がその蔓を伸ばしていた。

 総出で行われた草引きや、ソダツによる剪定の甲斐もあって、ホップはぐんぐん育ち、人の背丈などとうに追い越した。節々から分岐する蔓の先では毛花が一斉に咲き、それらはいずれ、可愛らしい毬花となる。


 初収穫への期待は、日に日に高まっている。


「がぁー……――ッ!! 重ぃいい!!」


 昼下がりのホップ園に、ふてくされたようなダミ声が響き渡った。「元」衛兵長ルーカスが、両肩に担いだ麻袋を、丁寧に除草された褐色の大地に下ろしたのだ。


 袋の口からは粉塵が飛び出し、一帯には独特な臭気が漂った。


「臭すぎじゃないか、この肥料は! こんなものを撒いて、我の愛するホップちゃん達は本当に大丈夫なんだろうな、農場長ソダツ!」


 指先ほどの新芽の頃から毎日成長を見守っていれば、自然と情も移るというものだ。作物を愛称で呼ぶルーカスの毒気は、すっかり抜けたらしい。


「はっは! こいつを臭いと言うようじゃあ、まだまだ甘いぜ、ルーカスのおっさんよぉ!」

「……なッ!?」

「俺くらいのレベルになればよぉ、有機肥料が奏でる美しいハーモニーが聞こえるんだぜ。分かんねぇか? この香りも、メロディの一つなのさ」

「ぐぬぬ……!! 技術も知識も遠く及ばんだろうが、ホップちゃんを愛する気持ちでは貴様にも負けん!」

「おー、おー! いい感じじゃねぇか、おっさん! 農家ならまず、作物への愛情を持たなきゃなんねぇよな!」


 ソダツの言葉にルーカスは一瞬口端を緩めたが、すぐに首を勢いよく左右に振った。


「い、いやいや! 我は誇り高きウェルテの衛兵長! 農家になったわけではないぞ!」

「言ってろ。農業の魅力に、いつまで耐えられるかな? おっさん」

「……」


 挑発するようなソダツの視線から逃れるように、口を真一文字に結んだルーカスはぷいっとそっぽを向いた。


「そうは言ったが、実際匂うって気持ちも分かるんだ。なんたってこいつの原料は、ロック・クラブとスカイ・シュリンプの殻、そしてイビル・オイスターの貝殻だからな」

「なっ……!? どれもこれも、食用にはほど遠いゲテモノではないか!」


 ロック・クラブやスカイ・シュリンプは、岩のように固い殻を持つ魔物だ。食用可能な身などほとんど無い上に、えぐみが強く極めて不味い。

 イビル・オイスターは美味いが毒を持っており、誤って食せば一ヶ月は腹の調子が戻らない。漁師の網にかかっても、真っ先に廃棄されてしまう。


「ああ。だが、そいつらを徹底的に砕いて鶏糞と混ぜ、納豆菌を振りかけて熟成させれば、最高のぼかし肥料に仕上がるんだぜ」

「納豆!? ……我はアレも、食い物とは認めてはおらん」

「はっは! 泣く子も黙る衛兵長様が、随分丸くなったもんだぜ!」


 草引きの次にソダツが取り組んだのは、納豆造りだった。納豆の原料となる大豆に似た種は王豆として、ネクタリアにも存在していた。


 軽くゆでた王豆を、麦藁で編んだ藁苞に包んで縛り、炭を燃やして温めておいた穴の中に投入。藁に熱湯をかけて殺菌をしてから埋め戻し、一週間も待てば粘り気のある納豆の完成だ。


 納豆は、食用としてはもちろん、菌体としても非常に有用だ。納豆菌とヨーグルトを培養した菌体エキスを散布すれば、大麦やホップを致命的なカビの病気から守ってくれるし、ぼかし肥料を作れば、作物の生育を助けるばかりか、味の向上にも繋がる。


「人が食えねぇもんでもよ。植物にとっては宝になったりするのさ――」


 言いながら、ソダツはホップの宿根を傷つけないように浅く溝を掘っていく。そして、その中に特製のぼかし肥料をさらさらと投入し始めた。


「肥料はよ、雨水なんかと一緒に大地に染みこんでいく。そっからは根の仕事だ。必要な形にバラして吸い上げてくんだぜ、凄ぇだろ?」

「想像もつかないな……」

「はっは! おっさんは頭が固ぇからな! 今度イメージの仕方をシズクに習うといいぜ」

「あのムスメとは、少しも話が合わん」

「そのうちあいつの魅力も分かるさ。……ちなみに、こいつに似た肥料は、俺がいた世界でも大好評だったんだぜ。毬花はまんまる太るし、ホップに大切な苦みも香りも、一段レベルアップすること間違いなしだ」

「……そこまで言うなら、承知した。だが、やはり素手掴むことには抵抗があるな。奇妙な匂いが手に移って、メシが不味くなってしまいそうだ」

「なーにをぐずぐずしておるのじゃ、ルーカス殿! ほれ、そいつを儂に寄越せ!」


 怒声とともに現れ、躊躇うルーカスの目の前から、ぼかし肥料の入った袋を奪い取ったのは女神ドリン。一応は神なので、ドリンには選択の自由を与えていたのだが……誰にとっても意外なことに、ドリンは農業の魅力にどハマりした。


 デニムのオーバーオールと麦わら帽子がよく似合うドリンは、雨中で泥だらけになることも率先して行う程だ。独特な匂いを放つぼかし肥料を躊躇なく手に取るドリンの作業服は、土埃でくすんでいる。

 なりふり構わず汗を拭ったのだろう、額と頬には泥の跡がくっきりと残っていた。


 女神然としたその美しい容姿とアクティブさのギャップが人の心を動かし、農業に携わる冒険者の中で彼女は、すっかりアイドル的な人気を博していた。


「だ、駄女神ドリン! 貴様ぁあ!! 我の仕事を奪うつもりか!!」

「ふん。ホップの栄養となる大切な肥料を、臭い臭いなどと嫌う者には任せておれんわ!」

「嫌ってなどいない! このっ! 返せ、返すんだ、この駄女神――」

「いやじゃ、いやじゃー!!」

「まーまー。仲良くやってくれよ、お二人さん。袋は二つあるんだからよ」


 ぼかし肥料の入った麻袋を引っ張り合う二人の間に割り込んだソダツは、両手を左右に突き出して二人を引き剥がす。


「……今回は、神さんが正しいな。世話する人間のギスギスもよぉ、植物の生長に悪影響を与えたりするんだぜ? 逆もまた、然りさ」

「ぐぬぬ……」

「くっく。聞いたかえ、ルーカス殿? さすがは兄殿じゃわい」


 ソダツに窘められ、ルーカスは悔しそうに歯を食いしばった。ドリンは得意気に顎を上げてニヤニヤしている。


「ほれほれ、大切なホップの為じゃ。四の五の言わずにやるぞ、ルーカス殿。儂はあっちを務める。其方は――」

「指図するな、悪神! 言われずとも分かっている!」


 麻袋をそれぞれ持ち、二人は背中を向けて別々の方向へ走って行った。


「全く。無駄な体力使うんじゃねぇって、何度も言ってるのによぉ……――」


「ソダツさーん! すぐに来てくれ! 大変だ、大変だぁぁあーー!!」


 ため息を一つ吐き、やれやれと肩をすくめたソダツの耳に、ホップ園の端から、助けを求める声が届く。


「お、そろそろヤツのお出ましだな?」


 ソダツは革の肩掛けバッグから、デビル・ペッパーをあるふぁか酒に漬け込んだ液体が入った容器を取り出した。


 目を近づければたちまち涙が止まらなくなるこの刺激的な品は、ホップを害するアブラムシにてきめんな効果を発揮する、ソダツ特製の「農薬」である。


「ここからが正念場だぜ――」


 何度も息を吹き返す雑草に、病気、害虫、肥料切れ……。


 毛花が咲いてから、およそ二ヶ月。収穫の時を迎えるまでホップ栽培は、決して予断を許さない。

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