26.魔導具の不思議
「ふぁー……この落書きと魔法の力で? 便利な世の中だよ……」
「ははっ。どこから目線なの、シズ姉? 智球で使ってたようなものも、魔導具として実用化されてたりするんだよ。きっと、ボク達みたいな『渡り』が作ったんだと思う」
「そうなんだ。だから『渡り』って厚遇されるんだね。でもでも、ウェルテではまだ大井戸が現役フル回転だったよ?」
「魔導具って、めちゃくちゃ高いんだ。それに、起動には魔力の繊細なコントロールが必要になる。ボクはたまたまポンプを何度か使ったことがあったから上手くいったけど、他のはまだ無理かなー。両脇の煮沸釜を加熱するっぽい装置があるけど、一般型の魔導ボイラーとは式が違って、起動もできなかったし……」
Aランクの魔法使いとしては、ショックなのだろう。ツクリはがっくりと肩を落として暗い息を吐いた。
「それなら心配要らないよ、ツクリ! 私には、『温度操作』のスキルがあるんだから!」
「醸造家のシズ姉には、最高のスキルだね! 糖化槽に付いてる魔導ミキサーの使い方も分からないけど、撹拌にはボクの『混合』のスキルが役立つよ。細かさも速度も自由自在なんだ」
「何それスゴイ! 頼りにしてます! 私の自慢の妹、ツクリ様!」
おだてられたツクリはふんすと息を吐く。
「かっかっか! 恐れ入ったか! これぞ偉大なる主神オリオンデ様のご意志、天の配剤!」
「ゴミスキルだと思ってたくせにー。調子いいんだからっ!」
体を反らして豪快に笑うドリンの額を、シズクは人差し指で軽く押した。バランスを崩し、転倒しそうになるドリン。
シズクとツクリは、コミカルなその様子を見て、指さしけらけらと笑い合う。すっかり神の威厳を失い、「むぅー」とむくれるドリンであった。
「この醸造所、本当に使い勝手がよさそう。とても、最初で最後のビール醸造所だとは思えないよ」
ひとたび三つの釜に背を向け、改めて醸造所内を見渡すシズク。研修中に資料で見た古代の醸造所というよりは、近代的な施設に近い。
「ボクも同意見。銅製の糖化槽に煮沸釜、温度調節機能付きのポンプ、ミキサーにボイラー……。大切なところには、高性能な魔導具が使ってあるし」
「発酵タンクがないのは気になるけどねー……地下にあるのかな?」
「地下には大きい樽しかなかったよ? ま、まさか、発酵タンクもドリン様が……――!?」
「何を。儂は現物にしか興味が無いと言っておろう!」
「そんなこと言い切らないでよ! もはや清々しさしか感じないよ!」
「ははっ! いいコンビだね、二人は。……そうそう、使い勝手と言えば、二階には素材置き場と宿舎、書斎なんかもあるんだよ」
「宿舎!? やっと屋根の下で眠れるの!」
「……ネクタリアでどんな生活送ってたの、シズ姉?」
ツクリが怪訝な顔で疑問を投げかければ、シズクとドリンは目を合わせ、苦笑いで答えた。
「面白そうだから、今度聞かせてね。……他にも色々、本当に使いやすいように改良を重ねられてたって感じ。歴史が続いていたら、どんなビールが出来てたんだろうねー」
嫌らしく口端をつり上げ、ツクリは肘先でつんつんと、ドリンの脇腹をつついた。
「や、やめいやめい! ……全く、お主らは神を何だと思っておるのじゃ」
「何って、厄介者? うーん……略奪者?」
「む、むむっ!」
シズクの口元には思わず笑みが浮かんだ。
小柄な二人がじゃれ合う様子を見ていると何だか平和な心地になるのだ。
「……それで、ドリン様はどうするの? そろそろ天界に戻っちゃう?」
「言ったじゃろ。エーテリアルに、もはや神が存在する必要はほとんど無いと。人族は文字通り、独り立ちしたのじゃ。よりよい関わり方とは何か、それは天界でも議論がもつれておる。……というわけで、儂は見聞を深めるため、其方らと寝食をともにし、汗水を垂らし文化の復興に力を貸す所存じゃよ」
「おっけー。それじゃあ、しばらくは四人住まいって事だね。それなら、まずは二階から復旧を進めていくよ。長い間、ここに住むことになると思うから、安心して休めるスペースは必須」
「四人で一緒に暮らすんだ! 楽しそう!」
爽快な音を立て、シズクが両手を合わせた。
「三兄妹がドイチに渡ってから全員揃うのなんて、お正月に和本に帰った時くらいだったもんねー」
「それも、長くて二日。卜島行きのフェリー、全然無いんだもん」
「そうそう! お父、落ち着かないから早くドイチに戻れってうるさかった」
「行かないでくれー……って、顔に書きまくってあったけどね! お父さん、元気にしてるのかな……」
再び振り返ってシズクは、すっかり元の輝きを失った銅の糖化槽をぼんやりと眺めた。
「シズ姉、大丈夫? ……それ、智球シックじゃない?」
「ツクリも兄さんも、ドリンだっているんだから大丈夫。夢を叶えるまでは、立ち止まって何ていられないんだから!」
気付けにと、シズクは両頬をぱんと叩いた。
「夢?」
「もちろん、お父さんに私達のビールを届ける夢だよ!」
「三人の大事な夢。ボクだって、忘れたことはないよ。だけど――」
「無理だと思ってるでしょ? 切り札があるんだよ。お姉ちゃんに任せなさい!」
「切り札? シズ姉が言うなら、きっと大丈夫だね」
「そうそう! だから美味しいビールを造らないとね、ツクリ! 稼働まで、どれくらいかかりそう?」
「うーん……。別のタンクで小規模な醸造を目指すなら、ホップが穫れる夏までには……なんとか」
「そっかぁ……。一年目はお試しになっちゃうねー」
「お、おお、お試し、じゃとぉ!? それではいかんぞ、シズクよ!」
突然ドリンが声を荒らげ、二人の間に割り入った。
「『飲み足りんのじゃー!』とか、わがまま言っちゃだめだよ、ドリン。一番はじめにビールを飲むのは、ウェルテの人達。これは絶対」
「……ぐぬぬ」
ドリンはうつむき、唇を噛んでいる。
「だってさ。ドリン様? もう分かってると思うけど、こういうときのシズ姉は死んでも意志を曲げないから。諦めた方がいいよ」
「私達用に一樽くらいは確保するから、完成パーティーしようね!」
「主らとびぃるを飲み交わす日は楽しみじゃ。まっこと楽しみなのじゃが、それだけでは……――!!」
甲に血が滲むほどに、ドリンは拳を握りしめている。力がこもった「ぎりり」という音が、二人の耳にもはっきりと届いた。
「おーい! シズク、ツクリ、そんでから神さん! 調理を始めるぞー! カイエンと大物を獲ってきたからよぉ!!」
険悪になりかけた空気を破るのは、威勢の良いソダツの声だ。
「わわ。兄さんの声だ! ご飯、日が落ちてからって言ってたけど……もうそんな時間?」
気づかぬ間に、随分時が過ぎていたらしい。壁の隙間から差し込む光が、仄かに赤みがかっている。
「ソダツ兄だもん、フライングがデフォだよ。腹が減ってはなんとやら、だからね。とにかく何か食べようよ、シズ姉、ドリン様」
「そうそう。ご飯食べながらゆっくりお話ししようよ、ドリン! 今日はごーるでん・あるふぁか酒と、美味しいお肉のマリアージュだよ!」
今度はシズクがドリンの手を強く引き、醸造所の入り口へと小走りで向かっていく。
途方に暮れるドリンの耳には、いずれの呼びかけも届いてはいないようだった。
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