24.地下の秘密
「おじゃましまー……す」
醸造所の守り手とも言えるのは、見上げるほどに巨大な扉だ。
その楢の横板は、過ぎた月日を映すように白く色褪せており、蝶番は錆びついて元の姿をすっかり失ってしまっている。
扉が開くたびに響く軋む音は不安を掻き立てるが、シズクは息をのんで、恐る恐る一歩を踏み出した。
ウェルテ伝統の建築様式――木造骨と漆喰、スレート葺き――の建物の中には、木々に隠れていた外観からは想像もつかないほどの空間が広がっていた。
奥行きも十分あり、吹き抜けの二階建ての天井は、圧倒的な高さを誇っている。シズクの故郷、卜島の、生徒数全十名の小中学校の小さな体育館が記憶と重なった。
「ひゃう!!」
窓ガラスが割れ、枠だけになってしまった窓から木陰の冷たい風が吹き込み、シズクの鼻先を悪戯にくすぐった。
剥がれ落ちた漆喰の壁の隙間からはもちろん、繰り返す嵐に耐えきれず吹き飛んだスレート屋根の隙間からも、幾本もの光の柱が降ってきている。
要は、屋根は水を通し、壁も朽ちて風を通し、建物としての機能をほとんど失ってしまっている、という有様なのだ。
醸造所遺跡は、ファンタジー世界特有の神秘性と、幻想的な雰囲気をはっきりと併せ持っていた。改修して利用するという現実から目を背ければ、冒険心を掻き立てられるに違いないのだが。
「ツクリ? ねえ、ツクリー! どこにいるのー!!」
シズクは声を張るが、穴だらけ故に反響することはなく、声はどこかへと吸い込まれていく。
「下だよー! シズ姉!!」
少し遅れて、階下から転移してエルフになった妹、ツクリの声が聞こえてきた。
「ふぇっ? ……下?」
シズクは疑問に思いながら、声の元を探して醸造所の中を見回した。
右奥にある開いた口が目に留まり、朽ちた手すりが見えた。どうやら、そこが地下へと続いているらしい。
一人で居続けるのはどうにも不安だ。シズクは迷わず、その方向へと小走りで向かった。
「ねえ、ツクリー……! そこにいるの?? 下りても、大丈夫?」
「大丈夫、大丈夫。早くおいでよ、シズ姉!」
暗闇の中から、ツクリの声が這い上がってくる。その声を頼りに、シズクは地下へと続く階段に足を踏み入れた。
地下へと続く階段は、石と土でしっかり固められており、その頑強さには安心感がある。しかし、壁に固定されている手すりは見るからに老朽化しており、その機能は怪しいものだ。シズクは手すりに頼ることなく、一歩一歩慎重に階段を下りていった。
「ツクリー……。どこー? ……って、寒っ! 暗ッ!!」
なんとか階段を下りきったが、光のシャワーもさすがに地下までは届かず、全く先が見えない。地下の暗さと冷気に急襲され、ついつい素っ頓狂な声が出てしまう。
「ははっ! そっかそっか。シズ姉はヒューマンだもんね。ボクはエルフになったから、夜目が利くんだ。夜動けないのは不便だよねー」
「種族特性、ずるい……」
シズクは頬を膨らませた。
「拗ねないの。……はい、ランタン。燃料は鉱油かな。まだ腐ってないみたいだから、火種があったらつけられるよ」
肩口に、ぼんやりとツクリの姿が見えた。暗闇にいきなり人が現れても驚かないのは、長い時間を共に過ごした兄妹だからに違いない。
「ありがと、ツクリ。相変わらず気が利くねー」
「シズ姉のお世話は慣れてるから。……だけど火種、どこかにあるかなー? ボクの魔法で着けてもいいけど、細かい調整って難し――」
ツクリが何やら話している間にシズクは、ランタンの火屋を持ち上げ、つまみを軽く回し、煤けた芯を出す。そして、焦げたその先端に指先を向け『温度操作』のスキルを発動した。
瞬間、大きな火と黒い煙が上がる。シズクは、慌てずつまみを回して火の大きさを調整、手早く火屋を閉じて手に提げた。
「……これで、よし」
趣味であるキャンプのお供に、よく似たタイプのランタンを愛用していたこともあり、操作の手際に迷いはない。
明かりを掲げると、地下室の壁には等間隔にカンテラが架けられている事が分かった。暗いところが苦手なシズクは、すかさず『温度操作』を遠隔で使用し、全てのカンテラに火を入れる。
「ふぁー……お見事! シズ姉のスキル、『温度操作』だっけ? 便利だねー」
「分かる? さすがツクリ! このスキルね、頑張れば鉄だって溶かせるし、食べ物を冷凍だって出来るんだよ!」
「て、てて鉄までっ! それも、スキルだから無詠唱、ラグ無し!?」
「そうなんだよ! なのにドリンったら、私のスキルのこと、ランク外のゴミスキルだからって、隠してんたんだよ! ひどいよね」
「……あのさ、シズ姉。そのランク外って、逆に――」
ツクリが言いかけたが、慌てて言葉を飲み込んだ。
「……どしたの? ツクリ」
「う、ううん。何でも無いよ」
(色んな概念ぶち壊しちゃうチートスキルだと思うけど……。姉妹げんかの時に怖すぎるから黙っとこ。……うん、決まり)
「? 変なツクリ。 ……それより、どう? 建築専門のツクリが見て、この醸造所の状態」
「どうもこうもって感じ……。きっと、シズク姉が思ってるのと同じ感想だよ」
ツクリは軽く両肩をすくめ、続ける。
「酷いとしか言えないねー……。基礎はしっかりしてるけど、それ以外は徹底的に手を加えないと、醸造所としては使えないかな」
「ビールは繊細だからね。環境の安定は必須だよ。うう……前途多難だ」
「こればっかりは、時間をかけて直していくしかないや。……ただ、いいこともあるんだ」
「ふぇっ? いいこと?」
「うん。まずは、この地下室。後から作るのはほとんど不可能だし、修繕も難しい場所だよね。隔離されていた間、地殻変動とかもなかったみたいだから、このまま使えそう」
「やった! ここは暗くて涼しいから、後発酵とか、貯蔵にも大役立ちだよ! でもでも、この醸造所の規模に対して、樽の数が少ないのが気になるなぁ」
多数のカンテラで照らされた地下室は広大で、地上階の半分くらいの広さはありそうだ。古い醸造所の地下には、両脇に所狭しと樽が並べられている印象があるが、ここでは奥の方に数個、退屈そうに転がる巨大な樽が見えるばかりだ。
「ふん! そいつらは空じゃった故に捨て置いたのじゃ! 空気など、美味くもなんともないわい」
ぽてぽてと呑気な足音を立て、ドリンが二人の許へやってきた。
「ま、まさか! 樽ごと略奪しちゃったの? ドリン?」
「無論じゃ! どれもこれも少しずつ味が違っておってのう。まっこと美味じゃったわい!」
何故かドリンは得意気だ。
「……最低。ビール酵母の生き残りだっていたかも知れないし、樽には独特の風味を生む力があるんだよ! 醸造所の歴史と信念が詰まっているんだよ!」
「そ、そうなのかえ?」
「はへぇー……ドリン様って、噂以上の駄女神だね……」
怒りで声を荒らげ、顔を赤く染めるシズク。その隣で、眉間にしわを寄せたツクリは深いため息を吐いた。
「まあまあ、抑えなよ、シズ姉。調度品作りはボクの専門外だけど、勉強して何とかするよ」
「お手伝いするよ、ツクリ」
「かっか! シズクの妹君は心強いのぉ」
「人任せにしない! ドリンも一緒に作るんだよ!!」
「しょ、承知したとも!」
叱責を受けた子どものように、ドリンはピシッと背筋を伸ばす。
その様子を見たシズクとツクリは目を合わせ、口元にわずかな笑みを浮かべた。
「そうそう。シズ姉に見せたいものがもう一つあるんだ」
「見せたいもの?」
「うん! 絶対に驚くと思うよ。一階にあるから、行こっ、シズ姉!」
ツクリがシズクの手を引き、階段を一段飛ばしで駆け上っていく。
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