23.淡緑の海そよぐ
「……よし、よし。上出来だぜ! この辺だけでもざっと三十株は生きてやがる。『土壌診断』のスキルで診てみたが、土の状態もいい。この草勢なら、夏の終わりには収穫までもっていけるぜ」
「わわ、今年の仕込みに間に合うね! やることがてんこ盛りだよ!」
「植物の生長にケツ叩かれて仕事してりゃあ、夏なんてあっという間だぜ。密度の調整がてら株分けして、次の準備も同時にやってく。そうすりゃ、来年の収量は何倍にもなるって話だ」
「数倍!? なにそれ凄い!」
「一粒万倍ってな。植物の驚異的なところで、それが農業の醍醐味さ。だが、放置が長かっただけに手はかかるぜ。除草、追肥に誘因はもちろん、雑草が幅きかせてた間に、厄介な害虫も増えちまってるだろぉな。農薬も、化成肥料もエーテリアルには存在しねぇから、試行錯誤だな。ちっ! 忙しくなりそうだぜ」
「えへへ。何だか楽しそう、兄さん。お仕事、私も混ぜてね!」
「おぅよ。シズクは土いじりも得意だったからなぁ。ドイチに渡ってからは別々だったが……また一緒に畑やれんの、楽しみにしているぜ」
「きゅ!」
二人の間に長い首を差し入れ、カイエンが甲高い声で鳴く。
「おぉ! もちろん、カイエンもだ! 見ての通り、ホップ栽培は高所での作業も多いのさ。文字通りその背中貸してもらうからよぉ、相棒」
「きゅきゅ!」
気風の良いソダツは、昔から動物になつかれる。体を寄せ合って、がははと笑う様子は、出会ったばかりというのに相棒と呼ぶことに少しも違和感がない。
「ひとまずホップの問題は片付いたとして……。ビールってのは麦酒。ネクタリアは小麦が主食だから『麦』の調達は出来るが――」
「小麦を使ったビールも美味しいけどね。ビール造りの主力は大麦だよ。堅くて大きなデンプンを、ビール酵母が食べられる小さな糖に代える酵素が豊富だからね!」
「説明ありがとよ、シズク。俺も、大麦の重要性は承知しているつもりさ。だが、実を言うと、大麦についてはちと不安があってな」
「ふぇ? どうして? ホップ探しと同じようにすればいいんじゃないの?」
シズクの疑問に対し、ソダツとカイエンは横並びで、同じように首をふるふると振って答えた。
「あははっ! カイエンも農業マイスターだね!!」
「きゅ!」
「生まれついての、ってヤツだな。心強いぜ!」
ソダツはカイエンの頭を一撫で、二撫で。
人懐っこく、毒をまき散らして魔物を虐殺していた生物と同一とは思えないほど愛らしい。
「よしよし……っと。話を戻すが、俺がネクタリアに来てからちょうど一年。ここの気候はドイチによく似てるんだ。つまり、生育に適しているのは今から種を蒔く春蒔きの大麦じゃあなく、秋蒔きの大麦って事になる」
「……そっか。もう種まきのタイミングが過ぎちゃってる」
「それだけじゃねぇ。草引きはもちろん、土作り、溝掘りに肥料の仕込み、そして麦踏み……栽培に重要な過程が全部手遅れだ。……ま、ともかく生き残りがいなけりゃ始まらねぇが。なあ、シズク? お前確か、運が良かったよな?」
「そのつもりだったけど……。最近、自信無くしてるんだ」
「神さんのせいか?」
「カジノで爆勝ちしたり、どさくさに紛れて転移できた兄さんのせいだよ!」
「はっは! ならよぉ、二人分の強運を突っ込んでみようぜ! ホップは暑さを嫌う。だから木が残してある川の西側に。大麦畑はだだっ広いあっち側だろぉ」
「うんうん。川の畔に製麦用の水車もあったから間違いないよ! 行こっ! 兄さん!」
シズクはソダツの手を取り、無邪気に遺跡を駆けだした。カイエンはぴったりと、二人の背中を追っていく。
▽
奥山の中腹に端を発し、醸造所遺跡の敷地を南北に貫く小川の東側。そこに架かる小さな、朽ちかけた木造の橋を恐る恐る渡ると、またしても景色が一変した。
一面の木々はきれいに伐採されており、燦々と降り注ぐ日中の光と春のぽかぽか陽気の下、草本たちが絶賛成長中。その活気は、遠くから見ても感じ取れるほどだった。
そんな、淡い緑の絨毯の端に辿り着いた二人を出迎えたのは、思いも寄らない光景――
「兄さん……! これって!」
「ああ……ぶったまげたぜ」
シズクとソダツ目の前に広がるのは、そよぐ風で波立つ緑の海。その水面は太陽の光を受けて煌めき、ころころ顔色を変えて二人を魅了する。
近づくだけで、それが群生する単一の作物だと分かった。四月の抜けるような青空に向かって、単子葉類の特徴である平行脈の長細い葉を一斉に突き上げている。
そんな葉の中から顔を出しているのは、決して埋もれるものかと精一杯背伸びをしている、一際淡い緑の可愛らしい穂。
畑全体が生命感に溢れ、実りの時を今か今かと待ちわびているようだ。
「やった! ぜーんぶ大麦だよ、兄さん! それも、二条大麦っ!」
緑の海に分け入ったシズクはその中に溺れ、まだ低い位置にある穂を指先で擦って確かめた。
二条大麦は、元来六列ある穂のうち四列が退化し、残る二列に大きな実をつける大麦だ。ビール大麦とも呼ばれ、デンプンを糖に変える酵素の含有量が多いことからビール造りに重宝されている。
「ああ、間違いねぇ……。だが、普通は時間が経てばよぉ、さっきのホップ園みたいに色んな草木が入り混じっちまうもんだ。どれだけ完璧な栽培環境を整えても、その運命は避けられねぇ」
「運命……か。きっと兄さんの『強運』と私の『幸運』が合わさって、『超運』に進化したんだよ!」
シズクは片目を閉じ、ソダツの顔の前にビシッと親指を突き立てた。
「はっは! そうに違いねぇ! こりゃあ奇跡だぜ! 俺は世界の色んな農地を見て回ったが、こんな状態は見たことがねぇぜ。エーテリアルの生態が特殊なのか、この畑の作り手がよほど凄かったのか……。とにかく、大麦にとっちゃあ、ここは天国みてぇな場所なんだろぉな!」
「黄金色の絨毯はね、醸造家にとっても天国なんだよ――」
遠く、畑の果てを見つめながらシズクは静かに頷いた。彼女の瞳には、豊かな実りの未来が映し出されているのだろう。
「任せとけ、兄ちゃんがここを金ぴかに仕上げてやる」
力強くそう言ってソダツは、シズクの黒髪をわしゃわしゃとかき交ぜた。
「うん! 頼りにしてるよ、兄さん。これでまた、一歩前進だね!」
「おぅよ、夢が手招きしてやがるぜ。……だが、何だ? この畑の作り方、癖ってのか? ちょっと懐かしい気もするが――」
大麦の穂に合わせて身をかがめたソダツは、ぽつりと呟く。
「……兄さん?」
「いんや、何でもねぇ。……よぉし、現状把握はこれでいいな。俺は、ひとまずカイエンとホップ園をもう少し見回って、これからの栽培計画を立てるとするぜ。シズクは、どうする?」
ぱんぱんと手を合わせて汚れを払い落とし、ソダツは再び立ち上がった。
「そうだねー……。ツクリとドリンの様子も気になるから私、醸造所に行ってみるよ」
「そうくると思ったぜ。……そうだ。さっき、いいサイズの鹿を見かけたんだ。一通り見回ったら、カイエンと狩りもしておく」
「やった! そろそろお肉、食べたかったんだ! 狩人の兄さんがいると心強いよ!」
「任せとけ。じゃあ、また後だな。日が落ちたらメシにしようぜ」
「日が落ちたら……か。いいよね、そういう緩いの。
満面の笑みを浮かべたシズクは、カイエンの背にまたがってホップ園に戻るソダツの背中を、大きく手を振って見送るのだった。
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