5.幻の醸造所
「おまけに奴ら、儂の祠の前で酒造りに関する書物や道具を焼き払いおってのぅ。知識すらも土に帰ってしもうたというワケじゃ」
「めちゃくちゃ恨まれてるじゃない! ……はぁ。それだけ酷いことをされたんだからウェルテ村たち、生卵でも投げたくなるよね」
「奴ら、よく心得ておるわ。火器で儂は殺せんからのぅ。さらにネクタリア全土に、『酒を造ると女神に奪われる』などと、風説を流布される始末――」
「風説じゃないよね!? 純然たる事実だから、それ!」
「……分かっておるわい。全ては儂のせいだということくらい」
ドリンは呟く。今にも消え入りそうな声で。
「もう何も隠してない? ちゃんと反省してる?」
「む、む、むりょんじゃ!」
「噛んでるし……。やっぱり怪しいなぁ……」
泳ぐドリンの瞳を、シズクはジト目で睨みつけていた。
「信じておくれ、シズク! 儂はネクタリアに、酒造りの文化を復活させたいのじゃ! じゃが、今までその知識を持った『渡り』は、誰一人としておらんかった」
「……だから、私がビールマイスターの称号を持ってるって知って、あんなに喜んでたんだね」
「むぅ……。下心があったことは認めるとも」
「それだけ?」
「多少強引であったことも詫びよう。その……すまなかった! 其方に逃げられてしまってはと不安で、不安で……」
唇を噛み、ドリンは深々と頭を下げた。
「わかったよ。わかったから頭を上げて、ドリン。正直に話してくれて、素直になってくれてありがと。私の方も、強く言いすぎてごめんね。私、ドリンともっと仲良くなりたいんだ」
「シズクぅうう……」
ドリンはシズクの胸に飛び込んだ。
勇気を振り絞ったのだろう。アメジストの瞳が、海に溺れている。
「一緒にがんばろうよ! 私はお酒、飲むのも造るのも大好きだから。実はね、私。バトルものにも憧れたけど、異世界に転移したら物作りとか、スローライフかなー……って、ずっと思い描いてんだ」
「助かる! 感謝するぞ、シズク! この恩は必ず返す!」
「恩? 私、そんなの別に――」
「そうじゃ! びぃるが復活した暁には、其方の望みを叶えると約束しよう!」
「お願い聞いてくれるの!? ほんと!?」
「さ、さすがに、元の世界に戻りたいとかは無理じゃぞ! ……悔しいが、儂の神ポイント残高では、とても足りん」
「神ポイントって、何? まさかのポイント制!?」
「うむ……。神は主神より与えられるポイントを使って、様々な奇跡を起こせるのじゃよ。主神や神の世エーテリアルへの貢献度で、神ポイントは付与されるのじゃが……知っての通り、儂は駄女神でのぉ」
たっぷりとため息を吐き、ドリンはがっくりと肩を落とした。
「そんなこと自分で言わないでよぅ……。悲しくなっちゃうじゃない」
「すまぬ……。じゃが、其方を戻すとなれば、時を巻き戻さねばならん。かように大規模な奇跡など、とても起こせはせん」
「わかった、智球に戻りたいとは言わないよ。……私の願いは一つだけ。和本に、お父さんに私達が造ったビールを一樽、届けてほしいんだ。それが私がビールマイスターを目指したきっかけで、私達兄妹の夢だから」
「夢……とな?」
「うん。山から帰ってきたお父さんがビールを飲んで『生き返ったー!』って笑顔になるのが大好きでね。いつか私達のビールを飲んでほしいなって」
「……そうじゃったか。異世界への物質の転移もかなり難しいが、約束しよう。びぃるを使ったポイント集めの秘策もあるのじゃ」
「接待ってことだよね!? もう、生々しいなぁ」
口元に手を添え、シズクはくすりと笑う。
「ポイント稼ぎに国境はないのじゃよ」
目を閉じて首をゆっくり左右に振るドリンの口端は、嫌らしくつり上がっていた。
「よーし。それじゃ、これからのことを考えよう! さっきの話だと、ビール造りの設備も素材も、ネクタリア中どこにも無いんだよね……」
「あらかた焼き払われたからのう」
「うわわ! せっかく気合い入れたのにこれ、最初から詰んじゃってるよ!」
「じゃが、あの村は……ウェルテ村だけは特別なのじゃ」
「特別? どうして? 私には、普通の農村に見えたけど」
頬に人差し指を添え、シズクははてなと首をかしげた。
「あの村、ウェルテの奥に広がるヴァルハ丘陵の深奥にはかつて、ネクタリア唯一のびぃる醸造所が存在したのじゃよ」
「そうなんだ……――って! えぇ!! ビールもあったんだ! ……も、もしかしてそこも、ドリンが?」
「……面目ない。あまりにびぃるが旨く、独占欲がちぃと、の……。それ故、かの醸造所にだけは結界を張って錠をかけ、一切の人の侵入を遮ったのじゃよ」
「独占欲って……こわ」
「儂も若かったのぉ」
ドリンは遠い目をして呟いた。
「それで、結界……結界。そっか! わかったよ! ウェルテの醸造所は燃やされてない!」
「左様、左様。これまた僥倖じゃ」
「醸造に必要な設備とか、ホップ、大麦に水! ハーブだってあったかも!」
「現物にしか興味は無かったからのぅ……。周りなど、ちぃとも見てはおらんのじゃ。が、おそらくは――」
「とんだお酒の神様だよ! もう酒乱の女神に肩書き変えたほうがいいよ!」
「よく言われるわい。……照れるのぅ」
うなじに手を添え、ドリンははにかむ。
「勘違いしてるみたいだけどそれ、全く褒められてないからね?」
「そうなのかえ?」
「呆れた……。ま、ドリンらしくていっか。つまり、ウェルテにはどうしても入れてもらわないといけないんだ」
「やはり、力尽く――」
「ダメ! 暴力で奪い取った場所でビール造りなんて、私絶対にイヤ! ドリンだけじゃなく、皆と仲良くしたいんだよ。私の憧れたスローライフって、そういうものだから」
「……ふむ。承知した。決して威力は使わんと約束しよう」
「うんうん。わかってくれて嬉しいよ。でも、どうしよ……私も顔を覚えられちゃっただろうし。ドリンが一緒だとお話、聞いてくれそうにもないよね」
「儂は、小動物にでも化けよう。シズクの事は案ぜずとも良い。エーテリアルには元来、『渡り』を大切にする習わしがあるのじゃ。手土産一つ持って行けば、其方の入村は許されよう」
「何それ!! はじめからそうすれば良かったんじゃ……」
「お前さんの前で、格好をつけたかったのじゃ。ほんの神心じゃよ」
小さな胸を張って鼻息は荒く。なぜかドリンはとっても偉そうだ。
「出来心みたいに言われても! ……もう。神心なんて、初めて聞いたよ」
シズクの口元には、思わず笑みがこぼれた。
「それにしても、お土産、お土産……かぁ。何がいいんだろ」
「なに、簡単じゃよ。古今東西、金品を嫌う者などおらん!」
「まさかの袖の下っ!? なんかヤダ。そういうのは、悪者がやるんだよ」
「むぅ……。こだわりの強い奴じゃのう」
「職人だからね。これでも」
「ならば、ネクタリアらしく酒はどうじゃ! 吐瀉物に酒精を含む幻獣『あるふぁか』を捕獲するというのは!」
「吐瀉物って……ゲ●を飲むの!? 私のファンタジー像ががががが――」
「貴重な酒源として、珍重されておるのじゃぞ? 特に、希少種『ごーるでん・あるふぁか』の吐瀉物は極上品じゃ」
「酒源って何!? 想像できないけどもう、それでいいよ。私が飲むわけじゃないし……。それじゃあ、その『ごーるでん・あるふぁか』を探せばいいんだね」
「左様。……じゃが、きゃつは凶暴凶悪ゆえにテイムは至難。その上、儂が前任者よりネクタリアを引き継いで千年。一度しか遭遇したことはないのじゃ」
「千年で一回だけ!? そんなの絶望的……じゃ、な……――い??」
森の奥に目を遣ったシズクは、黒の瞳をぱちくりとさせ、口をあんぐりと開けた。
「なんじゃいシズク、その間抜け面は」
「……ね、ねえ! ドリン!! 『ごーるでん・あるふぁか』の特徴、教えて?」
「ふむ。確かお前さんの記憶に、似たような動物がおったのぅ。智球の、アルパカによく似た生物じゃ。首長でずんぐりした体型に、四本脚。お主ならば、十分に騎乗可能な体躯。なにより、天にも昇るとされるほどの、ふわふわの毛並みが特徴じゃな」
「うん、うん! 『ごーるでん』っていうくらいだもんね。その希少種の毛の色は……金色」
「察しの通りじゃ! 光り輝く黄金――……?」
左の人差し指を口の前に立て、右手では向かいに座るドリンの肩口を指すシズク。
無言の指示に従い、ドリンはゆっくり振り返り――
「おったぁあああ! 奴じゃ! 奴こそが、『ごーるでん・あるふぁか』じゃああ!!」
がばっと立ち上がり、ドリンは叫び声を上げた。
「しっ! 静かに! 逃げちゃうでしょ!」
シズクは慌ててドリンの口を塞ぐ。
「……?」
しかし意外なことに、かの『ごーるでん・あるふぁか』は逃げるどころか、倒れ伏したまま微動だにしないでいた。
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