3.歓迎は白球で

「童どもよ、聞けい! 儂こそが神! ネクタリアを統べる偉大なる神、ドリン様じゃぁあああ!!」 

「偉大とか自分で言ってるよ! いくら神様でもそれはないよ!! は、恥ずかしすぎるぅ……」


 ドリンの背に生える羽の数が増えるにつれて、羞恥心も増大していく。堪らずシズクは両手で顔を覆って頽れた。


「ドリン……? ネクタリアの神……だって!? あの子の言っていることは本当なのかい! なあ、お姉さん! あんたが保護者なんだろ?」

「さ、さあ? どうなんでしょ? あの痛い……違う、変な子とは私、さっき森の出会ったばかりで……保護者とかじゃ全然無いんです! 他人なんです! ごめんなさい!」


 火を噴き出しそうなくらいに赤面したシズクの目は、泳ぎっぱなしだ。


 状況などお構いなしに、ドリンは一人続ける。


「ウェルテの奥地にある我が聖遺跡に用があって参った。今すぐ頭を垂れ、道を空けよ!!」

「おい、ヤーレス! 連絡番号『零』だ。今すぐ衛兵長に通達してくれ!」

「ぜ、ゼロですってぇええ!! りょ、了解しました!!」


 ヤーレスと呼ばれた後輩門番は槍を投げ捨て、慌てた様子でウェルテを守る門の中へと駆け込んでいった。


「くっく……あの間抜け面、傑作ではないか! これでよーくわかったじゃろう、童。儂には、ネクタリアのいかなる関をも通る権利があるのじゃ!」

「ええ、ええ。理解しましたとも。ですが、あいにく私は、上官に聞かねば何も出来ない一兵卒でして。使いを送りましたので、少しお時間をいただけませんかね?」

「……ふぅむ。そういうことなら仕方があるまい。せっかくの機会じゃ! 偉大なる神の美貌、しっかり目に焼き付けておくが良いぞ! かっかっか!!」


 元の姿に戻り、着地したドリンは両手の拳を腰に添え、体を反らして高笑い。


 すぐにシズクはドリンの手を力一杯引き、村の門に背を向けたまま屈んでドリンをたしなめた。


「他にやり方があるでしょ、ドリン! あんなのって無いよ! ……恥ずかし過ぎだよぉ!」

「何を恥じらうことがある。お主もやってみるかえ? 今なら特別に翼をサービスしてやるぞ」

「絶対イヤ。……ねえ、ドリンが最後にウェルテに来たのって、どれくらい前なの?」

「確か、千年ほど前かのぅ。ほんの少し前の事じゃ。むぅ、その顔……さては疑っておるな? あの頃は、顔パスだったのじゃぞ」

「せ、千年っ!? はぁ……それじゃあ誰も知らないはずだよ。ねえ、門番さん達にちゃんと事情を話そうよ」

「どうやら、その必要はなさそうじゃぞ」

「え? ――……えぇぇ!?」


 先に立ち上がったドリンが指さす先。ゆっくりと振り返るシズクの瞳に飛び込んできたのは、柵の前にずらりと横並びになった人、人、人。


 革鎧を身につけた門番だけではなく、農作業真っ最中というような、泥の付いた野良着の男達も大勢いる。ざっと百人はくだらない規模だ。


 小さい農村の、若い労働力が全員集合しているのでないだろうか。


「くっく……歓迎の神楽でも披露してくれるの――」

「貴様が超馬鹿者のドリンかぁあ!!!」


 噂の衛兵長だろう。唯一、金属の全身鎧を身につけた大男が、腰に佩いた剣の束に手を添えたまま、ドリンの目の前で声を荒らげる。


「ば、ばば、馬鹿じゃとぉお!! 何をのたまうか! この小僧っ子め!!」


 顔を真っ赤に染め、とてとてと地団駄を踏むドリン。


「ただの馬鹿ではない。その遙か上を行く、超馬鹿者と言ったのだ!」

「む、むきーーー!!!!」

「……ねえ、落ち着いてよドリン。ただ事じゃないよね?」

「これが黙っていられようか! 聞いたじゃろ、シズク! 奴は儂のことを超馬鹿と言いおったのじゃぞ!」


 怒りの叫声とともに、頭の上から蒸気でも噴き出しそうである。


「噂に違わぬ愚者のようだな。……で、隣のお前は何者だ? 妙な格好をしておるが、外国の民か」

「わ、私はコガネ・シズクといいます。女神様、ドリンと一緒に空から……えと、ええっと……何て言えばいいんだろ」

「ふん! 『渡り』と言えば戯け者にもわかるじゃろ!」

「『渡り』……です!」

「ほう……『渡り』とは珍しい」

「こやつに役割を与えるため、神自らかような辺境まで来てやったのじゃ。理解できたのなら早う通せ! 今なら特別に許してやっても――」


 大股で衛兵長に詰め寄ろうとしたドリンだが、すぐさま左右の男が長槍を交差させてそれを遮った。

 柄が赤く染められていることもあって、進入禁止と拒絶を示す巨大な「×」に見える。


「無礼者めが……! 村ごと焼き尽くしてくれようか!!」

「やめてよ、ドリン! ねえ、一度引き返そ? やっぱり……変だよ」

「異空より来る『渡り』を供に。何より、聞きしに勝る傲慢な態度……もはや、疑う余地はないだろう」

「はい、兵長! 我が家に代々伝わる人相書きとも完全に一致します」


 似顔絵とともに『悪神ドリン』と荒々しく書き殴られた古い羊皮紙が、ドリン本人の鼻先に突きつけられた。


「……ちっ、根深いのぅ。これだから人間は嫌なのじゃ」


 吐き捨てたドリンは、シズクに見られないよう瞬時に羊皮紙を取り上げ、ぐしゃぐしゃに丸めて放り投げた。


「よぉし!! 確定だ!! 総員、構えぇぇええ!! 標的は悪神ドリン! 先祖代々続き深まる我らが恨み、ここで晴らしてやろうぞ!」


「「「「おぉおおお!!」」」」


 衛兵長の鼓舞に応じる鬨の声。百人以上もの咆哮が、大地を揺らす。


 隊列をなした男達が、肩掛けのバッグから白い球体を取り出し、一斉に投擲の構えをとった。数多の鋭い眼光は、ドリンだけを見据えている。


「あ、悪神!? どういうことなの、ドリン?」

「話はあとじゃ! ともかく今は撤退するぞい!! 走れ、シズク!!」

「え、えぇ!?」


 ドリンは脱兎のごとく駆け出す。


「――……てーーッ!!」


 衛兵長のかけ声だ。

 直後、かの白い球体が、弧を描きながらシズクに迫る。


「嘘っ! あれって……もしかして!?」 


 シズクは反射的に森側の大地に飛び込み、ごろごろと体を前転させてそれを回避――


「……やっぱり生卵だ。ゆで卵じゃないところに少しの優しさと、強い恨みを感じるよ」


 かなり練度が高いようだ。振り返れば、先ほどまで二人が立っていた場所に、黄色と半透明が混じりあった粘性のある水たまりが生まれていた。


「手を休めるな! 最大の屈辱を与え、駄女神ドリンに二度とこの村に近づく気を起こさせるな! 供の『渡り』も同罪だ! たっぷりお見舞いしてやれ!」

「悪神の次は駄女神って……。薄々感づいてはいたけどね」


 ため息とともに、頽れたままのシズクはがっくりと肩を落とした。


「何をしておる! ぐずぐずするでない、シズク!! おいてゆくぞー!」

「逃げ足早っ! 待って! 待ってよーー!!」


 ドリンは既に、百メートルは先。背後からは怒号。


 一息の後に空に放たれる、おびただしい数の生卵。ちらりと見えたが、鏃の代わりに卵を括り、弓に番えている者もいた。ためらっている時間はなさそうだ。


「……卵汚れも少しは覚悟、だね。これも『楽しい』異世界体験ってことで!」


 短時間で二度も酷い目に遭わされた。そんなドリンと別れる道も頭をよぎったが、

「迷ったときは楽しそうな方を選ぶ」とはシズクの座右の銘だ。


 今度こそドリンを詰問する意志を固めたシズクは、くすりと笑って再び森へと駆けていく。


  ▽


「はぁ……はぁ……」

「ふぅ……。ここまで来れば安全じゃろう」


 走り続けること約半刻。疲れ果てたシズクとドリンは、身を隠すのにちょうど良い茂みの中で、へなへなと尻餅をついた。


「怖かったよぅ……。ねえ、ドリン? ウェルテの人たち、ドリンの名前を聞いて豹変したよね? それに、ドリンの事を悪神とか、駄女神とも言ってた。どういうことか、説明してくれるんでしょ?」

「ふん。大方奴ら、神たる我の突然の訪問が嬉しすぎて取り乱し――……ひえッ!」


 唇をとがらせたドリンのすぐ隣、立ち上がったシズクの正拳が、巨木の枝葉を揺らしていた。


「――……はぐらかさないでちゃんと答えて! そろそろ私、怒るよ?」

「え、いや、それは、その……」


 この場を乗り切る詭弁を必死に考えているのだろう。脳の回転とともに、ドリンの目もくるくると回る。


「あの剣幕、ただ事じゃないよね! ……私の世界では生卵を投げつけるなんて、最大の侮辱なんだよ。積年の恨みとか、悪神とか、駄女神呼ばわりだって! 私にもしっかり聞こえていたんだからね!」

「はて。どれも心当たりがないのう」

「……いい加減にして。ちゃんとお話ししてよ、ドリン。……私、本当に悪神にだまされちゃったの?」


 へなへなと頽れるシズクの瞳には、うっすら涙が浮かんでいた。


「五百年も恨みを持ち続けるとは、人間とは器の小さい生き物じゃ!」

「恨み? ……やっぱり。ウェルテ村で昔、何かあったんだ」

「しまっ――……!? ……ふぅ、仕方が無いのぅ。其方に悲しい思いはさせられん。白状するとしよう」

「聞くよ。全部話して」

「どこから話そうかのう……。ふむ。まずは謝らねばならんか。この国、我がネクタリアは酒の国と申したが、其方の世界、智球にあるような、いわゆる酒は一滴も残っておらんのじゃ」

「そう、無いんだ。……って? 無いの? えぇええええ!!!??」


 衝撃の事実だ。シズクの叫びが、初春の木の葉をかさかさと揺らした。

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