2.異世界の農村
「ひどい、ひどいよ、ドリン。……もう一回死ぬかと思ったじゃない! こんな仕打ち受けたら、信頼関係もなにもないよ」
天上からの落下で乱れてしまった黒の長髪に手ぐしを入れながらシズクは、ドリンの後にぴたりと続いて雪解けの林道を歩いていた。
その声には、はっきりと不満の色がにじんでいる。
「そう言うでない、シズク。何事も勢いが大切じゃろう? それに、神たる儂が特別に同行してやるのじゃ。其方の異世界生活は成功したも同然ではないか」
「……ドリン、私がネクタリアに仕向けられた理由も、スキルの事も何も教えてくれないんだもん! 安心なんて出来ないよ」
「なんじゃなんじゃ、またその話か。追い追い話すと言っておるじゃろう」
「オイオイオイオイって、ドリンこそそればっかりじゃない! どうして隠すのかなぁ……。わかった! やましいことがあるんでしょ!」
「……そ、そのようなことは決して無いとも! 目的地のウェルテ村に着いたら、酒の肴にと思い、秘蔵しておるだけじゃ」
「ふーん……。なんだか歯切れが悪いなぁ」
「気のせいじゃろ」
そっぽを向き、唇をとがらせるドリン。
ドリンの口笛は少しも鳴らないが、初春の木漏れ日に満ちるネクタリアの森からは、和本でもドイチでも聞いたことのない鳥のさえずりが聞こえてきた。
自然派のシズクの足取りは、いやが上にも軽くなる。
「ま、いっか。ところでドリン? 今から行くウェルテ村にはお風呂、あったりする? 長靴じゃないから泥だらけだし、汗もぐっしょりなんだ」
これも神の力なのだろう。かなりの高度から落下したにも関わらず、着地の衝撃はまるで無く、シズクは無傷だ。
けれど、空気の抵抗と恐怖の涙で顔も髪もぐちゃぐちゃだし、良いか悪いか気絶することもなかったので、叫び続けて喉も嗄れてしまっている。
「音に聞こえし和本人とな。確か、ウェルテの裏山には秘湯があったはずじゃぞ」
「温泉!? やった! それなら頑張って生きていける気がするよ」
シズクはぴょんと軽く跳ね、ドリンに向かってにへへと微笑んだ。
「その意気じゃ。お前さんはやはりそうでなくてはな」
「どうせ私は脳天気ですよー!」
「そんなことは言っておらんじゃろ。……見るが良い、あれがウェルテじゃ」
ドリンの指差す方向に目を向けたシズクは、異世界の村の光景に息を呑んだ。
小高い丘の下に見える集落では家畜がのんびりと草を食べ、昼時だからか、家々からは細く白い煙が空に上っている。
「わわっ! 異世界の村だ! 家畜と、煙の匂い! 懐かしいよ……研修で行ったドイチの村の……ううん、冬の卜島と同じ匂いがする!」
大好きな故郷の風景と重なる。興奮のシズクは両手を広げ、ドリンの前を駆けだした。
「ま、待つのじゃ、シズク!」
慌てた様子でドリンが腕を前に突き出すと、不思議な力がシズクの自由を奪った。
「う、うぎゅう……」
すぐに追いついたドリンは、少しだけ背伸びをしてシズクの肩をぽんと叩いた。
「全く、困った奴じゃわい。……忘れてはおらんじゃろうな? お主が異世界人だということを。警戒されてしかるべき存在なのじゃぞ?」
「……それもそっか。身元不明の美人なんて、一番に奴隷商人に売り飛ばされちゃうよね!」
「自分で言う奴がおるか」
「えへへ」
後ろ髪を撫で、シズクははにかむ。
「まあ、儂がついておれば、かような心配は無いじゃろうがの……。のう、シズクや。智球では、お主の歳ならとうに成人のはず。その、お主の言動はちぃと……――」
「年齢でのバイアスなんて、とっくに時代遅れでーす!」
シズクは歯を見せ、スキップで軽やかに前へ進む。
異世界に物怖じしないシズクの無邪気な様子に、ドリンはふぅと息を吐き、小さく肩をすくめた。
「全く……。ほれほれ、まもなく着くぞ。少しは身なりを整えておくのじゃ、シズク。いらぬトラブルは避けたいからの」
「分かるけど……ドリンが言うと、フラグっぽく聞こえるなぁ」
「ふらぐ? なんじゃい、それは?」
「な、なんでもないよ! お願い、聞かなかったことにして!」
「?」
体や顔に付いた泥や汚れを両手で払い落とし、シズクは髪に手ぐしを入れ始めた。
▽
「見ない顔だが……旅人かい? すまないが、身分証を確認させてもらうよ」
ウェルテは小高い丘から一望できるほどに小さな村だが、竹のような植物を組み合わせた高い柵で囲まれていた。ドリンによると、農作物を荒らす獣や魔物をよけるためのものらしい。
間近で見る出入りの門は意外に広く大きい。馬車三台は悠々と通れるだろうか。その脇には、門番と思しき、革鎧を身につけた村人が長槍を携えて立っていた。
門番は初春の心地よさと平和ゆえ、大あくびなどして今にも眠ってしまいそうである。が、仕事は仕事だ。じゃんけんに似たゲームの末、負けた男がシズクに歩み寄り、声をかけた。
「身分証……じゃと? この儂に、かような物など不要じゃ!」
「はへっ!?」
予想外の切り返し。驚きに素っ頓狂な声を上げ、あんぐりと口を開ける門番の男。
「そんなことだろうと思ったよ……」
たっぷりため息を吐き、シズクは頭を抱えてうなだれる。
異変を察知したもう一人の門番が、小走りでシズク達の許へとやってきた。
「何? どうしたの?」
「あ、先輩。それがですね――」
そちらが上官なのだろう、後輩門番があれこれ事情を説明し始めた。
「……あのね、お嬢ちゃん。身分証を持たずに旅をするなんて考えられないの。俺たち、ウェルテ村民の顔は全員覚えているし、荷車も馬車もないなら、外国からの行商ってワケでもないんでしょ?」
先輩門番は腰を落として目線を合わせ、ドリンを完全に子ども扱いしている。
「ほう、ほう。つまりお主は、この儂を通さんとのたまうのじゃな?」
「儂? のたまう……? 何言ってるのか分からないけどまあ、そうなっちゃうよね。悪いけど、村の安全を守るのが俺たちの仕事だからさ」
「職務の全う、さすが我が国の民。殊勝なことじゃ」
「? だからね、身元不明の人たちを入れるわけにはいかないんだ。食糧と水は売ってあげるから、身分証を取得して出直し――」
「くっく……仕方が無い小童じゃ。懺悔したとて、もう遅いぞ。我が威光にひれ伏すがよい!」
「ん?」
不敵な笑みを浮かべながら一歩二歩と後退り。ドリンは背中から翼を生やしてゆっくりそれを羽ばたかせ、ふわりと宙に浮かんだ。
さらにその背後からは、後光というのだろうか、太陽の光にも負けない放射状の白い光が放たれた。
「あれは……魔法? お姉さん、保護者なんでしょ? あの子は一体、何をするつもりなんだい?」
「さあ……私にきかれましても」
苦笑し、首をかしげるシズク。あれこれ浮き世離れしているドリンの行動など、まだ出会って間もないシズクに読めるはずもない。
目を見合わせた二人の門番は、警戒を強めて腰を落とす。
そして、長槍の穂先をドリンに向けて静かに構えた。
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