異世界ビール園づくりを駄女神と!

kaede7

1.酒の国へ

 ドイチ発、和本行き。高度37,000フィートの機上。


 エコノミークラスの窓側席に腰掛けたコガネ・シズクは、提供されたばかりのビールを一気に飲み干し、覚醒を促すように何度も目をこすった。


「……うん。奥ゆかしい麦芽の甘みに、キャラメル様のアロマもちゃんと感じる。あと、目はめちゃくちゃ痛い。私、ちゃんと起きてるよね?」


 夢と疑うのも無理はない。

 大型旅客機の小さな窓の外で今、雲上の抜けるような空よりも美しく蒼い羽毛に包まれた鳥が一羽、悠然と飛行しているのだ。


 距離が近づくにつれて、次第にその巨大さが明らかになる。驚きと少しの好奇心で目を奪われたシズクは、さらなる衝撃を受けた。


 シズクが乗る旅客機よりも遙かに大きい鳥の背に、幾人もの姿が見えたのだ。

 それも、生身の!


「あ、あり得ないよ! だって外、マイナス50℃だし!! それに、対地速度は時速……きゅ、900キロぉお!!」


 呆気にとられたままシズクは、機内モニターに表示される情報と、外の「鳥」の様子を何度も見比べていた。


「嘘! こっちに来てるの!?」


 酒酔い飛行とでもいうのだろうか。ふらふらと飛行するその蒼は、視点を移すたび、みるみる大きくなり――


 気がつけば、その腹が旅客機の左舷、全ての窓を埋め尽くしていた。


 ブラックアウトの直後、主翼がもげる不快な音と共に機体は大きく揺れた。重大事故だと、誰もが即座に認識する程の異常事態。機内アナウンスなど、誰が始められるだろうか。


「あ。これ、死んだな――……」


 何気なく呟いたシズクは、衝撃と恐怖で意識を失った。


 隣ですぴすぴと寝息を立てる妹の小さな手を、ぎゅっと握りしめたまま――


  ▽


「すまなかった! ほんっっっっとぉぉおおに! すまなかったのじゃぁあああ!」


 目を覚ましたシズクの黒い瞳に真っ先に飛び込んできたのは、パーフェクト・ドゲザだ。


 ウェーブのかかったプラチナブロンドの髪が、海のようにどこまでも続く純白の大

理石の床を、浜に打ち上げられた海藻のように広がっている。


(銀色の……コンブだ)

「――いやいや、コンブは黒だし、そもそも喋らないし!」


 気付けにと、シズクは両頬をぱんと叩いた。


「そうだ! 確か私、事故に遭ったんだ!! おっきい鳥にぶつかって、飛行機の翼が取れちゃって……」

「すまぬ……すまぬ」


 呻き声を上げる銀コンブ。


 否、よくよく見れば本体は、薄青の、簡素だが上質なドレスを身に纏った少女だ。

 少女は小さな額を床にこすりつけながらも、ちらりちらりと、こちらの様子を窺っている。


「生きてるわけなんて無いのに、意識があるし、体も自由に動く。……ということは、転生!? それじゃあ、そこの昆布……様が、神……様?」


 相変わらず土下座のままだが、少女のはっきりと耳は大きくなり、「神様」の言葉に全身がピクリと反応した。


「こほん……。いかにも儂は、一端の女神」

「やっぱり! えと、えっと……! 頭、上げてください!!」

「!!」

「待ってました!」とばかり、土下座の姿勢のままするすると這い寄り、すかさずシズクの右手を両手で包む自称、女神。


 彼女は、澄んだアクアマリンのような瞳に涙を浮かべ、うるうる目+上目遣いの併せ技でシズクの表情を探り始めた。


「……許して、もらえるのじゃろうか」

「うわわ。あざといタイプかぁ、ここの神様は……。でもでも、本物の『のじゃロリ』だぁ!」


 転生ものライトノベルは、ドイチ留学中のシズクをいつも励まし支えてくれた、いわば心の友。読破した数は数百に及び、転生、転移や(女)神の性格パターンは熟知している。


 死んだのがどこぞの誰かではなく自分だというのに、なんだか面白く、手を口元に添えてシズクは、思わずくすりと笑った。


「儂の名はドリン。一応は酒の女神として通っておる。寛大な心に感謝する、シズク殿」


 いつの間にか立ち上がっていたドリンは、薄い胸に手を添え、優雅にお辞儀を一つ。ドリンは小柄でいろいろと未発達だが、美しい佇まいと所作は、なるほど女神だと納得させられる。


「ドリン……様?」

「単にドリンで良い。気安くしてくれれば、儂の贖罪にもなろうて」

「神様がフレンドリーなパターンだね! じゃあ、私のことはシズクって呼んでよ。よろしくね、ドリン!」

「近頃の和本人は理解が早くて助かるわい」

「ふっふーん! 和本はラノベ大国ですから!」

「お主が威張ることではないじゃろ?」


 ドリンはくすくすと笑う。


「……ねえ、ドリン。私はこれからどうなるの? 転移? 転生?」

「アホ蒼神鳥の飲酒……――こほん、暴飛行による事故死。儂らの過失による死者は、神の世エーテリアルに転移し、生き続けることが可能じゃ。勿論、其方が望めば、じゃが」

「そっか、転移か。美少女令嬢にはなれないんだね。……ちょっと残念」

「何を。お主の見目は、十分麗しいじゃろ。エーテリアルでも十分に通用しよう」

「そ、そう……かな?」


 容姿を褒められることは初めてではないが、あまりにストレートだと動揺してしまう。わずかに頬を赤らめたシズクは目を泳がせ、ドイチでとりわけ評判の高かった艶の深い黒の長髪の毛先を落ち着き無く弄っていた。


「エーテリアルには多くの国があり、それぞれ個別の神が支配しておっての。死者の適性によって、どの国に振り分けられるかが決まるのじゃ。……シズクはこの儂、酒の女神ドリンの国へと仕向けられたというわけじゃな」

「お酒の、国? ……それならまだチャンスがあるかも」


 シズクはぽつりとつぶやいた。


「……どうかしたえ、シズク?」

「あ、ううん。なんでもないの。お酒には縁があるなって思って」 

「左様、左様。主神のご意志には必ずや意味があるのじゃよ。……どれ、ひとつお前さんの記憶を覗かせてもらおうか」

「!? やっぱり記憶、見られちゃうんだ! それ……絶対?」


 後ずさりし、シズクは両腕で自らの体を抱いた。


「心配はわかるとも。じゃが、エーテリアルでの暮らしがうまくいくようにギフトを与えることもまた、補償の一つなのじゃ。もちろん、拒否もできるが、その場合は――」

「ギフト!? はいっ! お願いします! チートスキル万歳!!」


 シズクは天頂に向け、ビシッと手を突き上げた。


「くっく。お主ならそう言うじゃろうな」

「……でも、ちょっと緊張。天罰とか受けることになったらどうしよ」

「安心せい。咎人はまずここには入れん。あくまで適切なスキルを探るためじゃ。個人の秘匿は、いかに神とて探れはせんよ」

「ほっ。よかった。……痛く、ないよね?」

「大丈夫だとも。さて、早速始めよう。どれどれ――……」


 うんと背伸びをして、シズクの頭に手のひらをかざすドリン。彼女がなにやらぶつぶつ唱えるとすぐに、淡い翠の光がシズクの体を包んだ。


「なんだかぽわっとするよぉ……」

「心地よいじゃろう? ……ふむ、ふむ。生まれも育ちも和本の卜島(うらしま)。齢は二十。生まれてこの方思い人はおらず――」

「ちょ! ちょっとドリン! それ個人情報! プライバシー侵害だよ!」

「ふふっ。お主、ちぃとも気にしておらんではないか」

「……ま、そうなんだけどさ」


 てへへと、小さく舌を出すシズク。


「お主はほんに愉快なやつじゃの。そぉれ、続けるぞい。……ほう、ほう。十六で単身和本を離れドイチへ。和本人で初となるビール醸造マイスターの称号を取得――……」

「しかも史上最年少でね! そのために、十六歳で飲酒が出来るドイチに留学したんだから!」

「ビール……ビィル、びぃる?」

「びぃるじゃないよ、ビールだよ?」

「び、びびびび! びぃるじゃとぉおおおお!!」


 興奮して声を荒らげるドリンの掌から、強烈な閃光が迸った。


「きゃぁああ!! 頭が、頭が割れちゃう――ッ!!」


 激痛だ。堪らずシズクはドリンの手を振り払い、バックステップで距離をとる。


「うぅ……ひどいよぅ。ドリンさっき、痛くないって言ったじゃない……」

「す、すまぬ、シズク! まさか、お主がびぃる造りに精通しておるとは、思いもせんかったのじゃ! なんたる僥倖!! 天の配剤とはこのことじゃ!!」

「天の配剤? ……それ、自画自賛??」

「あー、違う違う。儂らにも上司がおるのじゃよ……」


 ドリンはがっくりと肩を落とし、重たいため息を吐く。


「上司……か。大変なんだね。神様も」

「うむうむ。わかってくれて嬉しいぞ、友よ。それでは、其方の気が変わらぬうちに、早速ネクタリアに参ろうではないか」


 シズクの右手を両手でがっちり掴み、ドリンは不敵な笑みを浮かべた。


「え! ええ!? もう行くの! ビールがどうしたの? 私のギフトは? スキルは!?」

「追い追い話す! 其方の国では、『善は急げ』と言うのじゃろう?」

「『急いては事をし損じる』とも言うんだけど!?」

「ええい! まどろっこしいわ! もはや逃がしはせんぞ――」


 ただならぬ勢いに危険を感じ、手を振りほどいて逃げだすシズク。


 ラスボスからは逃げられないと相場が決まっている。すぐさまドリンは瞬間移動で背後をとり、シズクを羽交い締めにした。


「チート技だ! ずるい!」

「なにおぅ! これは腕力じゃ、腕力」

「卑怯だよ! ……う、うごけなぃいい!」 


 さすがは神の力である。ビール醸造という過酷な肉体労働で鍛えられたシズクとて、身じろぎ一つ出来ない。


「チュートリアルは? セツメイセキニンは!?」

「うるさいうるさい! そんなものは幻想じゃ」

「えぇ! 詐欺だよ! オーボーだよ! 鬼だよ! 悪魔だよ!」

「かっか! 何とでも言うが良いわ!! 飛ぶぞ、シズク。舌を噛むでないぞ……――」

「と……飛ぶ!? 飛行機事故で死んだんだよ、私! トラウマぁああ!!」


 きっと天上にあるのだろう。いつしか床にぽっかり空いた穴の底は知れない。


 がっちりホールドをキメ、シズクと一体となったままドリンは、一呼吸も置くことなく飛び込んだ。


「ひゃ! きゃぁあああああ!!」


 ドリンの許に仕分けられた死者は、シズクで最後らしい。


 薄く開けた目には、大理石の神殿が崩れ落ちていく様子が映っていた。

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