最終日

 

 ……どこかおかしい所はないだろうか



 鏡の前で自分の服装を確認する俺は初めてできた彼女との初デートの時ぐらい緊張していた。服装は、お気に入りの白いシャツの上にグレーのジャケットを着て下は紺色のジーパンを履いている。姿見の前で何度か服装のチェックを終え、最後に鞄の中身を確認してから部屋を出た俺は待ち合わせ場所に向かう為に自分の車に飛び乗った。


(それにしてもいきなりでびっくりしたな……)


 昨日の夜、水瀬が突然俺をデート(お出かけ)に誘ってきたのだ。思い返すだけでもあの時の彼女の照れた表情が可愛くて胸が高鳴るのが分かる。そんな回想に浸っていると待ち合わせの場所まであと少しという所までやって来ていた。俺は車を端に止めて降りるとそのまま待ち合わせ場所である駅前に向かい、そして待つ。本来の待ち合わせ時刻よりも15分ほど早めについてしまった。……流石に張り切りすぎたか。俺がそんな風に苦笑を零すと、後ろから声を掛けられる。


「待たせたな」


 振り返るとそこには水瀬が微笑みながら立っていた。いつもとビシッと決めたスーツ姿では無く、黒いタートルネックとグレーのチェックのロングタイトスカートに身を包み、髪型はいつもの一つ結びだが毛先が軽く巻かれている。その姿はとても新鮮に感じた。


(これは……想像以上にクるな)


 俺は思わず見惚れて言葉を失ってしまっていた。すると彼女はそんな俺を見て、クスクスと笑っている。


「どうした?見惚れたのか?」


 彼女の言葉にハッと我に返った俺は図星を突かれたせいで顔が熱くなるのを感じていた。そんな俺に水瀬は意地悪そうな笑みを浮かべながら俺の顔を下から覗き込んでくる。


「ふふっ、どうやら図星のようだな」

「……うるせぇ」


 俺は恥ずかしさのあまり顔を背けるが、水瀬はそんな彼女の反応を楽しむかのようにニコニコとしている。最近は敵からの『魅了チャーム』のせいで色々可愛いところを見れているが、未だに脳裏には彼女から冷たくあしらわれていた頃の印象が色濃く焼き付いていた。だからこそ、こんな風に表情をコロコロと変えている彼女を見るのは新鮮で、そしてとても愛おしく感じるのだ。俺は平静を装う様に小さく咳払いをしてから彼女に問いかけた。


「で、今日はどこ行くんだ?」


 俺の問いかけに彼女はスマホで目的地を示しながら、待ってましたと言わんばかりの表情で答えた。


「水族館さ!」




 ―*―*―*―




「うわぁー、凄いなー……」


 俺達の目の前には巨大な水槽が広がっていた。中には色とりどりの魚たちが優雅に泳いでおり、まるで自分達も水族館の一部になったような気分になる。


「これは……綺麗だな」


 彼女の言葉に呼応するように俺がポツリとそう呟くと、隣で水瀬が「うん」と同意する様に首を軽く縦に振った。


 水瀬が目的地に選んだのは、最近数か月前郊外に出来て話題になった『アクアリウム・シーマジック』という水族館だった。海水魚だけでなく、淡水魚や熱帯魚、それにクラゲまで展示しており、どこを見ても綺麗な景色が広がっている。そんな幻想的な光景に見惚れていると、不意に水瀬が俺の服の裾を引っ張ってきた。


「なぁ、そこの水槽も見てみたい」


 彼女に指さされた場所を見るとそこにはトンネル状になっている水槽が鎮座しており、その中は宝石の様にキラキラと光る沢山の魚達が優雅に泳いでいた。


「じゃあ、行ってみようか」


 俺は休日という事もあり、人が多い中で離れないように彼女の事をエスコートしながらその場所に向かう。俺達が水槽に近づくと魚達は一斉に上へと泳ぎ始め、そのまま俺達の頭の上をグルグルと回り始めた。下から覗くとまるで泳いでいるのではなく空を飛んでいるかのような動きに俺達は思わず息を飲んでしまい、その光景に目を奪われる。


「……まるで宝石みたいだ」


 ふと隣からそんな声が聞こえてきたので彼女を見ると、水瀬は目を輝かせながら魚達の動きを追っていた。そんな彼女の姿に俺は思わず微笑んでしまう。そんな俺の視線に気付いたのか、水瀬はハッとした表情を浮かべると途端にムッと頬を膨らました。


「お前……今私を子供っぽいとか思っただろ?」


 ジト目で睨んでくる彼女に俺は苦笑しながら首を横に振る。


「そんな事ないよ」

「嘘だな」

「本当だって」


 俺の言葉に納得してないのか、水瀬は疑わしそうな目を向けてくるがやがて諦めたのか溜め息交じりに口を開く。


「……まぁいいさ。こんな所までお前と口論なんかしたくない」


 そう言うと彼女は視線を水槽の方へと移して再び魚の動きを追い始めた。どうやら機嫌が直ったようで俺はホッと胸を撫で下ろす。


 ……にしても、まさか水瀬とこうしてお出かけ出来る日が来るとは思わなかったな。俺は心の中でそんな事を考えながら水槽に張り付いている彼女の横顔を見つめた。


(案外……悪くないもんだな)


 俺は「ふっ」と軽く息を吐きながら、ただ黙って彼女と一緒に幻想的な光景を眺めていたのだった。




 ―*―*―*―




「少しお腹が空いたな」


 一旦室内の展示を一通り見終わった後、水瀬が時計を見ながらそう呟いた。俺もつられて時間を確認すると12時半ぐらいだった。確かにお昼ご飯を食べるには丁度いい時間帯かもしれない。


「何か食べたいものはあるか?」


 そう尋ねると水瀬はうーん……と少し悩んだ後で首を横に振る。どうやら特に食べたいものは無いらしい。


「じゃあ、適当に見て回ろうか」


 俺はそう言いながら館内案内の地図に目を移すと、水瀬が小さく「あ」と呟いた。彼女の視線の先を追うとそこには『アクアリウム・レストラン』と書かれた看板が立てられており、そこでは食事やスイーツを扱っているようだ。


「ここの水族館ってレストランも併設されてたんだな」

「みたいだな。どうする?ここでいいか?」

「あぁ、ここにしよう」


 彼女がそう言って頷いたので、俺達はそのレストランへと向かう事にした。店内はやはりアクアリウムがモチーフになっているようで、店内の至る所にクラゲやクリオネなどが描かれている。そして、何と言っても食事スペースに水槽が置かれているのは圧巻だった。まるで海の中にいるかのような幻想的な光景に思わず息を飲んでしまう。そんな非日常的な空間に感嘆の声を漏らしながら、テーブル席に案内された俺達はそれぞれメニューに目を通す。メニュー表には、様々な海の幸を使った料理や海をイメージしたスイーツの写真が載っており、どれもこれも美味しそうに思えてしまうから困るものだ。


「水瀬は何食べたい?」


 俺はとりあえず彼女にそう尋ねると、彼女は「うーん」と唸りながらメニューを見つめる。どうやらまだ決めかねているようで少し悩ましげな様子だ。


「そうだな……私はこれにしようか」


 数十秒悩んだ後、彼女はメニュー表に載っている貝や海老が沢山乗ったペスカトーレの写真を指さす。


「おっ、いいね、美味しそうだ」


 俺が賛同すると水瀬は嬉しそうに微笑んだ。


「新見は?」

「うーん……俺はこのマグロの刺身と海鮮丼のランチセットにしようかな」

「……お前、さっき泳いでる魚たちを見たばかりだというのによく刺身とか食べれるな」

「いやいや、水瀬に言われたくないよ。お前だって貝とか乗ってるパスタを選んでるじゃないか」

「ふふっ、確かにな」


 お互いを揶揄いながらも俺達は店員さんを呼んで注文を済ませる。程なくして、頼んだメニューが次々と運ばれてきた。どれもこれも彩り豊かで見ていて食欲をそそられる。


「それじゃあ、いただきます」


 二人で手を合わせてから俺は赤身が綺麗なマグロの刺身を醤油につけて一口食べてみる。すると、口に入れた瞬間に濃厚な旨みが口の中に広がり、舌の上で溶けていくような感覚に陥った。思わず声が大きくなってしまう。


「うおっ、うまっ!」

「確かに美味しいな……」


 そんな俺の言葉に水瀬は同意するように首を軽く縦に振る。どうやら彼女も気に入ったようで一口一口を大切そうに食べていた。


「うん、これは中々……」


 大分お気に召したのか満足げに頷きながら彼女はフォークでパスタを巻き取って口に運んでいく。そんな姿を見て俺も負けじと目の前の海鮮丼に手を付けた。


「おっ、こっちも美味しい!」


 海老やイカ、それにいくらの乗った海鮮丼に舌鼓を打つ。どれもこれも非常に美味しくて箸を進める手が止まらない。俺達はそれから夢中で料理を食べ進めていきあっという間に平らげてしまった。食べ終わった俺達は食後のコーヒーを飲みながら一息つく。


「はぁ……美味しかった」

「あぁ、結構ボリュームあったけど意外にペロリと食べられたな」

「ハハッ、そうだな」


 コーヒーを一口啜り、俺が笑いながら言うと水瀬も釣られるように微笑んだ。


「この後はどう回ろうか」

「そうだなぁ……」


 そんな俺の言葉に対して、彼女は少し考え込んだ後に何かを思いついたのか目を輝かせながら口を開く。


「……なぁ、新見、あれ行ってみないか?」

「あれ?」


 俺がそう聞き返すと彼女は壁に貼ってあるポスターを指差した。何でも期間限定でイルカのショーもやってるんだとか。


「へぇ……面白そうだな」


 俺は水瀬の提案に賛同し、早速会計を済ませるとレストランを後にしたのだった。




 ―*―*―*―




 レストランを出た俺達は水族館内にある『アクアリウム・ショーステージ』へとやって来ていた。巨大な円形プールであるそこでは既に多くのお客さんが座っており、ステージの上では飼育員さんによる演目のアナウンスが行われている。


「さてと、どの辺に座ろうか」


 辺りを見渡してみると丁度いい所に二人分の座席があり、俺達はそこに座ってショーが始まるまで待つことにした。やがてアナウンスが終了すると、別の飼育員さんが登場し、ショーの開始を告げる。


「本日はアクアリウム・シーマジックにご来場いただき誠にありがとうございます。まもなくショーが始まりますのでお楽しみください」


 そう言い終わると共に飼育員さんが手を挙げると早速プールからイルカたちが登場した。勢い良く飛び上がるイルカにお客さん達が拍手を送る。俺も隣で瞳を輝かせている水瀬の隣で拍手をしながらショーを楽しんでいた。その後も様々な芸を披露していくイルカたち。ジャンプや輪くぐり、時にはボールを蹴ったりキャッチしたりなどその身体能力の高さに俺は素直に感動してしまう。


「凄いな……あんな高い所まで飛ぶなんて」

「あぁ、それに可愛いよな」


 そう言ってイルカ達の芸を見ながら微笑む水瀬を見て俺も自然と頬が緩んでしまった。そんなイルカのショーもいよいよ終盤に差し掛かり、飼育員さんの口上が響き渡る。


「本日はイルカ達の素晴らしい芸をご観覧いただきありがとうございました!それでは最後に当水族館からささやかな贈り物として皆様にイルカ達の特別なショーをお見せしましょう!」


 飼育員さんの言葉に合わせて、イルカ達は一斉にプールの奥へと泳いで行き、そこから一気に高くまで飛び上がる。そして、空中で華麗に一回転してから次々と綺麗に着水していった。


「「おぉっ!!」」


 俺達は思わず感嘆の声を漏らした。それは他のお客さんも同様で皆が拍手をしてイルカ達を盛大に褒め称えている。


「凄かったな……」

「あぁ……イルカショーは初めてなんだが、こんなに心躍るものだったとは」


 俺達は興奮冷めやらぬままステージの方を見ると飼育員さんが深々とお辞儀をしていた。どうやらこれでショーは全て終了のようだ。客席から盛大な拍手が送られている中、俺達も惜しみない拍手を送ってイルカショーは幕を閉じた。


「あー、面白かった!」


 水瀬は満足そうに言いながらグッと伸びをする。そんな彼女を見ながら俺も自然と笑みが零れた。……楽しかったな。水族館に来たのは久しぶりだし、こうやって水瀬とも出かける事が出来て良かったかもしれない。普段得ることの無いある種の充実感を覚えつつ、ふと隣を見ると、水瀬は中央の水槽で未だに泳いでいるイルカ達をぼーっと眺めていた。俺はそんな彼女の横顔を見つめる。日常ではあまり見る事のない穏やかな表情を見ているとなんだか心がざわついた様な気がして少しだけ落ち着かなかった。


(やっぱり可愛いよなぁ……)


 改めてそんな事を思っていると、水瀬はこちらの視線に気付いたのか訝しげな視線を向けてくる。


「どうした?」

「いや……別に何でもないよ」


 俺がそう答えると彼女は「変な奴」と言ってクスッと笑った。


「さてと、そろそろ行くか。お土産も見たいしな」

「あぁ、そうだな」


 水瀬の言葉に俺は静かに頷く。俺達は荷物をまとめてからその場を後にしたのだった。




 ―*―*―*―




「いやー、滅茶苦茶楽しかったな」


 お土産コーナーで買い物を済ませた後、俺は帰路に就く車の中で助手席に座る水瀬にそう話しかけた。彼女はスマホに付けているさっき水族館のお土産コーナーで買ったばかりの小さなイルカのキーホルダーを眺めながら、軽く頷く。


「あぁ、久々に充実した休日を過ごせたよ」

「そっか、それなら良かった」


 俺はそう言いながらハンドルを切り、交差点を右折する。既に日は暮れていて辺りは薄暗くなっていたが、その分ネオンがより明るく街を彩っていた。


「てか、今更だけど何でお前はここに行こうって言ったんだ?」

「元々、前から気になってはいたんだ。だけど、なかなか予定が合わなかったり、そもそもこういうところに1人で行くのに抵抗があったりして行けてなかったんだよ」

「あぁ……なるほどね。だから俺も誘ったわけだ」


 水瀬の言葉に俺は納得する。確かにカップルや友達同士のグループが多い中で1人で行くのは少し勇気がいるかもしれないな。


「ま、まぁ……そういう訳だな。でも、そのおかげで非常に楽しい時間を過ごす事が出来たから良かったよ」

「確かに年甲斐も無くはしゃいでたもんな」


 俺が笑いながら言うと水瀬は少しだけムッとする。どうやら少し子供っぽく見えたのが恥ずかしかったらしい。


「いいだろ?別に」

「まぁ、そういう所も可愛いからいいけどね」

「なっ!」


 俺の言葉を聞いて水瀬の顔がみるみるうちに赤くなる。俺はそんな彼女の反応を見て思わず吹き出してしまった。そんな俺を見て水瀬は益々頬を膨らませると、ぷいっと顔を背ける。分かりやすい照れ隠しだ。今まで冷たくあしらわれてきたからこそ、こんなのを見せられたらますます揶揄いたくなってしまうのは仕方ない事だろう。敵からの『魅了チャーム』によってこうなっている彼女には悪いが、もう少しこの状態を楽しんでいたいと思ってしまった。


「むぅ……お前、本当に性格悪いよな」

「今更気付いたのか?俺はこういう人間だよ」


 青信号を待ちながら俺がそう言うと水瀬は呆れたような表情を浮かべて溜息をつく。まぁ、確かに今日の俺は少しばかり調子に乗っているかもしれない。しかし、それもこれも水瀬が初めて俺の事をお出かけに誘ってきたからである。これまで全く進展が無かった中でも一途に好いてきた彼女の色んな一面を見ることが出来て嬉しくなってしまうのだ。……我ながら単純だよなぁ、とは思う。


(でも、仕方ないよな)


 何せ俺は水瀬の事が好きだし、恋している女の子と一緒に出掛けるなんて事になれば誰だって浮かれてしまうものだ。俺はそんな事を考えつつ青信号になったことを確認してからアクセルを踏み込むと車はゆっくりと発進したのだった。



 それから程なくして、俺達は水瀬の家に到着した。車を停め、俺達は玄関前の階段を上っていく。……この階段を一段上るごとにこの時間の終わりが一歩ずつ近づいている事が分かる。『魅了チャーム』も確か5日で効果が切れると言っていたし、この生活もあと僅か。そう思うとどこか寂しく感じてしまう。


(まぁ、いい夢は見られたな)


 俺は自分の頰を軽く叩きながらそんな事を考える。この数日間で俺は今まで知らなかった水瀬の姿を知ることが出来たんだ。それだけでも十分過ぎる程幸せな事じゃないか。そう自分に言い聞かせる様に心の中で呟くと自然と笑みが零れる。


「新見、今日はありがとう」


 玄関の鍵を開けて家の中に入ろうとした所で水瀬が不意にそんな事を言った。


「いや、こちらこそ楽しかったよ」


 俺はそう言うと彼女に少しだけ微笑みかける。すると彼女も小さく微笑みを返した。(あぁ、これで終わりなんだ)と悟った。


「そんじゃ、また月曜な」


 軽く手を振りながら俺は彼女に背を向けて歩き出す。しかし、不意に後ろから服の裾を引っ張られた。振り返ると水瀬が俯きながら俺の服を掴んでいる。頬を赤く染めながらも、その表情はどこか寂しげで何か言いたげな様子に思えた。


「水瀬?」


 俺がそう呼ぶと彼女は一瞬ビクッと肩を揺らした後、意を決した様に顔を上げ、こちらを見上げる。その双眸には確かな熱が宿っていた。


「……待ってくれ」


 そう言って水瀬は俺の服の袖を掴んでいる手にぎゅっと力を込める。そんな彼女らしからぬ行動に俺は驚きを隠せなかった。俺は思わず足を止めて水瀬の方を見る。彼女は真剣な眼差しで俺を見つめていた。普段のクールな印象とは打って変わってどこか必死さを感じさせるその様子に、俺は胸が締め付けられる様な感覚に陥る。そんな俺の様子と自分が見せている表情に気付いたのか水瀬は慌てて掴んでいた袖から手を離すとバツが悪そうに視線を逸らした。


「……あの、えっと……」


 水瀬は恥ずかしさと動揺が入り混じった様子で何かを言おうとしては口を噤んでしまうを繰り返している。俺はそんな彼女の様子を眺めながら静かに彼女の言葉を待っていた。しばらくして、軽く深呼吸をした彼女はおずおずとした口調で静かに口を開く。


「……その、なんだ……家、上がっていかないか?」


 一瞬、水瀬が何を言っているのか理解できずに固まってしまう。しかし、徐々に頭の中で認識されていくと俺は思わず動揺してしまった。水瀬が自ら俺を家に誘ってくるなんてこれまで一度も無かったことだ。そもそも彼女の家に行くこと自体、中々のレア度を誇るというのにまさかのお誘いとは。彼女の瞳に灯っている炎と言葉に俺は自分の心臓が激しく鼓動するのを感じる。


(いやいやいやいや!待て待て待て……!早まるな、俺……!)


 俺は心の中で自分の頬を思いっきり叩くと冷静になろうと深呼吸を繰り返す。確かに彼女は俺の事を異性として意識はしてくれているかもしれないがあくまでそれは友人としてであってそれ以上の感情は無いはずだ……多分。それに水瀬は魅了チャームのせいで俺に好意を持っているとはいえそれは本当の気持ちではない。


 そうだ、そうじゃないか。あくまでも彼女は操られているだけなのだ。それをちゃんと理解しなければ、ここで変に浮かれてしまうと痛い目を見るのは自分自身だ。自分にそう言い聞かせるとスーっと頭に冷静さが戻ってきた気がする。俺は改めて水瀬の方に目を向けた。すると彼女は不安そうな表情を浮かべながら俺を見上げていた。まるで捨てられた子犬の様な瞳で見つめられて一瞬心が揺らぐが、ぐっと堪える。俺は努めて平静を保ちつつ水瀬に答えた。


「水瀬……今の状態のお前の言葉に応えることは出来ない。だから、魅了チャームが切れた後も俺のことを好いてくれるのであればまた言ってくれ。その時は俺もお前の想いにしっかりと答えよう」


 彼女が出来るだけ負い目を感じないように、なるべく優しい声色でそう伝えると彼女は残念そうに、だがその奥にを隠したような表情を浮かべた後、ゆっくりと頷いた。


「そっか……うん、分かったよ」

「……ありがとう」


 俺は彼女の寂しげな笑顔を見て胸が締め付けられる様な感覚を覚えながらもなんとか言葉を絞り出す。


「……今日は本当にありがとう、凄く楽しかった」

「あぁ、俺もだ。それじゃあな……」

「うん、また月曜日に」


 水瀬はそう言って家の中に入っていったのだった。玄関の扉が閉まるのを確認した俺は深い溜息をつく。


「はぁ……」


 思わず漏れた自分の情けない声に俺は苦笑いを浮かべた。まさかこんなにも気が張り詰めるとは思わなかったし、それと同時にこんな気持ちになるとも思わなかった。


(あぁ……やっぱり好きなんだなぁ……)


 そんな思いを抱えながら、俺は車に乗り込むとゆっくりとアクセルを踏み込み自宅へと向かったのだった。





 ―*―*―*―





 何となく真っすぐ自宅に帰りたくなかった俺は、寄り道としていつもとは反対方向にあるスーパーで買い物をしてから帰ることにした。普段は買わない変わり種のスナック菓子といつも飲むチューハイの缶を数本携え、少し離れた所にある駐車場に戻る。


 だが、その途中でふとした違和感に襲われて俺は足を止めた。辺りを見回してみるが人の気配は無い。それでも「何かある」と俺の第六感が言っている。取り敢えず、通ってきた道を引き返し一番ビビッと来たところで止まった。そこは路地裏へと続く細道だ。普段は特に気にならないが、何故か今日は物凄く気になってしまった。俺はまるで誘われる様に路地裏へと足を踏み入れるとそこで一つの人……と言うにはあまりにも小さい何かの影を見つける。


 野良猫かと思ったが、それにしては二足歩行だし、近づくことによって鮮明になってくるシルエットもまるでどこかのマスコットキャラクターのようなフォルムをしている。益々不審に思った俺は、腰にぶら下げている愛銃に手を置きながらその影に対して「おい」と声を掛けてみた。すると、その影はビクッと体を震わせて恐る恐ると言った様子でこちらを振り向く。


「……あれっ?てめぇ……もしかして……」


 ようやく露になった全貌を見て、俺はそう言葉を零した。漫画1冊分ぐらいの大きさの肉塊に付いている人間のような手足、そして小さいながらにぎょろりとした目玉と口。明らかに小さくなっているとはいえ、この見た目……。


 そう俺が考えている間に、相手も俺の姿にピンときたのか『うん?お前……』と訝しげな顔で俺に視線を向ける。

 そして、お互いの視線が交わると――


「この間の化け物(怪物狩り)じゃねえか(じゃん)!」


 ほぼ同時にその言葉が飛び出し、お互い目を丸くしてしまう。しかし、それも束の間の事だった。俺はすぐに怒りで頭に血が上り、目の前にいる異形に向かって吠える様に叫んだ。


「てめぇ、よくもあの時逃げやがったな!デカくなる前にぶっ殺して――」

『あーッッッ、ちょ、ちょっと待って待って!!!お願いだから!!!』


 俺が今にも襲い掛からんとする勢いでそう言うと、その化け物は慌てた様子で両手を前に出してブンブンと振りながらそう懇願する。その様子に俺は一瞬呆気に取られてしまうが、すぐに我に返って問いかけた。


「あ?何言ってんだよ。てめぇ」

『ま、まぁまぁ少し落ち着きなさいな。どうせ今の状況では私に勝ち目は無いんですから、話ぐらい聞いてくれたっていいでしょう?』

「ちっ……」


 舌打ちをしながらも俺は銃を降ろすと、化け物は安堵した様子でホッと胸をなで下ろす。


「で?一体話って何だ」

『いやー、この間戦った時に貴方のバディさんに『魅了チャーム』を掛けたでしょう?あの後どうなったのか私非常に気になりましてね』

「あぁ……あれか」

『それで、どうです?3お楽しみいただけましたか?』

「……うん、まぁ……それに関してはお前には感謝しか……あん?」


ちょっと待て、今コイツなんて言った。俺の聞き間違いじゃなければ……一瞬思考停止した後、俺は恐る恐る口を開いた。


「3日間?5日間じゃなくて?」

『えっ?えぇ、3日間のはずですよ。5日間も掛けれるほど私強くないですし』

「……ハハッ、マジかよ」


 俺は思わず乾いた笑みが零れた。まさかそんなはずはないだろう、そう信じたかったが、目の前の化け物の様子を見る限り嘘を付いている様には見えない。


(じゃあ……4日目からの水瀬の行動は……というか、今日のお誘いも……)


 俺の頭の中にはある一つの結論が導き出される。そして、それを理解した瞬間俺は嬉しさと恥ずかしさと後悔で顔が熱を帯びるのを感じた。


「……これは勿体ない事をしちゃったな」


 ボソッと噛み締めるようにそう呟く。でも、逆に言えば素の状態であれだったのだから、これからもチャンスはあると言う事なのだろう。……今の所、明後日は一体どんな顔をして会えばいいのか悩みどころではあるのだが。


 そんな事を考えながら俺は空を見上げた。すると、視界いっぱいに満天の星と満月が映り込む。その輝きがあまりにも綺麗で、思わず感嘆の声が漏れた。


 ……まっ、きっと今まで通り何とかなるだろう。俺と水瀬の仲だからな。これからの生活が楽しみだ。

 踵を返して、来た道を戻りながら俺はそう一人微笑むのだった。



















 あと、化け物に対して引き金を引くのも忘れずに。












 ―*―*―*―





 玄関のドアを閉めた後、私は「ふぅー」とため息を吐きながらドアを背にしてしゃがみ込んだ。


 ……まさか、私の口からあんな言葉が飛び出すなんて思ってもみなかった。思い出すだけで顔から火が出そうだ。あの時、帰る彼の後ろ姿を見た瞬間に思わず体が動いてしまったこととはいえ、流石にあそこまで大胆な行動を自分がするだなんて考えてもみなかった。


 それもこれも全部あの日掛けられた新見に対する『魅了チャーム』の所為だ。アレの所為で今まで隠していた好意の種が一気に発芽してしまった。だから、もう歯止めが効かなかったんだ。


 あぁ……ヤバい……めっちゃ恥ずかしい。本当に消えたいぐらいに恥ずかしい!

 私は再び立ち上がると、そのままフラフラとおぼつかない足取りで部屋へ向かうとそのままベッドへダイブした。スプリングがギシッと音を立てると同時に柔軟剤の香りがフワッと鼻腔をくすぐる。その匂いは私にとって非常に心地良くて、少しだけ胸の鼓動を落ち着けてくれた気がした。だが、それでもまだ完全に落ち着くわけも無くて、私は枕を抱きしめ枕に顔を押し付けながら足をバタバタとさせる。


 彼は常日頃からいつまで経っても私が自分に靡いてくれないと嘆いていたが、そんなことは無い。だって、そもそも別に嫌いじゃない奴、なんだったら頼り甲斐があって、遅刻はするけど仕事も良く出来て、ちゃらんぽらんに見えてもちゃんと周りの事を見て行動出来てる奴から4年間も傍で好きだのなんだの言われて意識しない訳が無い。ただ、それを表に出すのが恥ずかしかっただけなのだ。


 そう考えると今回の一件は今まで動けなかった私に一歩踏み出させる良い機会だったのかもしれない。……だとしても限度があるだろ!踏み出し過ぎだ!

 私は再び枕に顔を押しつけながら足をバタバタさせた。


 ……そういえば、魅了チャームの期間あの化け物は5日間と言っていたが3日しか効かなかったな。明らかに頭の中に広がっていたピンクの靄みたいなものが消えてしまっていた。だからと言って、自覚してもう進みだしている想いは止められなかったのだが。


 でも、どうやらさっきの彼を見るにまだ私が魅了チャームに掛かっていると思っていたようだった。凄く真摯で紳士な対応をしてくれたのは嬉しかったけど、少しだけ残念にも思ってしまった。まぁ、あんな唐突な行動に引かずに対応してくれただけ有難いし、心の準備も出来てなかったから安心したのだけど。


 ……はぁ、次からどんな顔をして彼と会えばいいんだろう。だけど、この5日間で彼からの想いとか色々なことを知ることが出来た。特に一緒に飲みに行った時とか。


 あの時彼が言っていた『お前は俺にとって特別な存在』という一言を思い出して私は一人、枕に顔をうずめながら悶える。










 あぁ、新見。お前が私のバディでホント良かった。








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普段は堅物で厳しいバディが敵から「チャーム」を食らった結果。 御厨カイト @mikuriya777

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