新学期と一年戦争【六】
準決勝を終えた俺とローズは、試合中に負った傷を治療するために保健室へと向かっていた。
フラフラと覚束ない足取りで歩くローズ。
俺は彼女の歩く速度に合わせて、その隣をゆっくりと歩く。
すると、
「……っ」
突然大きくふらついたローズが、こちらにしなだれかかってきた。
「だ、大丈夫か?」
慌てて彼女の体を支えてあげる。
「だ、大丈夫……っ。ただ、持続時間を越えて緋寒桜を使ったから……。その反動が、ね……っ」
ローズはそう言うと、再びゆっくりと歩き始めた。
どうやらさっきの戦いは、かなり無理をしていたようだ。
「そうか……。それじゃもう少しゆっくり歩こう」
「うん、ありがと……」
それから少しの間。
俺たち二人が無言のまましばらく廊下を歩いていると、
「……悔しいな。また、勝てなかった……」
ローズは小さな声でそう呟いた。
「……もう一回やったら、今度はどうなるかわからないぞ?」
今回はたまたま俺が勝ったが、次に戦ったときにどうなるかはわからない。
「……アレンは本当に優しいね。でも……力の差ぐらいわかるよ。悔しいけど、まだまだ私じゃ勝てない……」
そう言いながら、彼女は静かに首を横へ振った。
「だけど、もっともっと修業をして――いつか絶対にあなたに勝つ。だから……また今度、戦ってくれる?」
「あぁ、もちろんだ。約束するよ」
「そっか、ありがと……」
そう言ってローズは、優しく微笑んだ。
「あ、あぁ……っ」
普段の凛とした彼女とは違った――柔らかく温かい笑顔。
そんなギャップを垣間見てしまったせいか、少しだけ鼓動が速くなったような気がした。
■
保健室の前まで来た俺は、コンコンコンと扉をノックする。
「――どうぞ」
若い女性の声が返ってきたので「失礼します」とひと声かけてから扉を開けた。
「いらっしゃい。あなたたちも、一年戦争で怪我をしたのかしら?」
保健室の先生は、俺とローズの全身をサッと見てそう言った。
「はい、お願いします」
「ふぅ、今日は大忙しね……」
彼女は肩を竦めてそう言うと、書類仕事の手を止めて立ち上がった。
「俺は後でけっこうですので、先にローズを診てあげてください」
「えぇ、わかったわ。――それじゃ、ローズさん。悪いけど、こちらへ来てもらえるかしら?」
「はい。……アレン、ありがと」
「気にするな」
その後、ローズは先生の後について、保健室の奥――ベッドが置かれている方へと移動した。
「あなたはそこにいてね。間違っても入って来ちゃ駄目よ?」
先生は短くそう言うと、白いカーテンで仕切りを作った。
「さてと……それじゃ、まずは消毒をするから服を脱いで」
「はい」
二人のそんな声がカーテンの奥から聞こえてきた。
すると、
「……っ」
光の角度が悪いのか、ローズのシルエットがカーテン越しにはっきりと見えてしまった。
俺は反射的に背を向けて、大きな鼓動を打つ胸に手を当てた。
(だ、大丈夫……。ま、まだ脱いでないからセーフだ……っ)
その後、シュルシュルと
「……っ」
鋭く短い吐息が聞こえてきた。
「少し
それから少しすると――カーテンがサッと開かれ、先生がこちらへ戻ってきた。
手足に包帯を巻かれたローズは、上体を起こしたままベッドに座っている。
一見したところ、特に問題は無さそうだ。
「先生、ローズの具合はどうですか?」
「裂傷が多く見られたけど……。どれも深いものじゃないから、大きな問題はないわね。全身の倦怠感は……多分無茶な魂装の使い方でもしたんじゃないかしら? 安静にしておけばすぐに良くなると思うわ」
「そうですか、ありがとうございます」
俺がホッと胸を撫で下ろしていると、先生はパンパンと手を打ち鳴らした。
「さっ、次はあなたよ。まずは消毒するから、服を脱いで」
彼女はそう言うと『消毒液』とラベルの貼られた茶色の瓶と綿の生地を準備し始めた。
「はい」
言われた通りに上の制服を脱いだところで、
「……え?」
俺は自分の体に起きた異変にようやく気が付いた。
俺の体には――当然あるべきはずの傷がたったの一つも無かったのだ。
(そう言えば……。試合が終わった頃にあった鈍い痛みが、いつの間にか消えている……)
俺がペタペタと自分の体を触っていると、それを見た先生が不思議そうに小首を傾げた。
「あら……? あなた、怪我をしていたんじゃなかったの?」
「は、はい……。そのはず、だったんですが……」
俺はローズとの一戦で、少なくない量の傷を負ったはずだ。
しかし、現実としてこの体には、たった一つの裂傷すら残っていない。
「おかしいわねぇ……。服に付いた血は、まだ湿っているし……。一応聞いておくけど、これ……あなたの血よね?」
先生は内側から血の滲んだ制服に触れながら、そう問いかけた。
「はい、間違いありません」
「うーん……。もしかしてあなた、回復系の魂装でも使えるのかしら?」
「い、いえ……。俺はその……まだ魂装を発現していませんので……」
「そう。……人間の体って、まだまだ不思議がいっぱいねぇ」
先生は不思議そうにそう呟きながら、消毒液と綿を元の位置へ戻した。
だけど俺は、この不思議な現象に一つ心当たりがあった。
(もしかして、
大五聖祭のときがそうだ。
シドーさんとの死闘で瀕死の重傷を負ったはずの俺だったが……。
その後、意識を取り戻したときには、かすり傷さえ残っていなかった。
(……いや、今ここで考えても結果は出ないな)
幸いなことにアイツは、それほど無口というわけでもない。
また、魂装の授業のときにでも聞いてみるとしよう。
(さて、リアとテッサの試合がどうなったかも気になるし……。そろそろ戻るとするか)
一度脱いだ制服にもう一度袖を通した俺は――地下大演習場へ戻る前に、ローズにひと声だけ掛けていくことにした。
「ローズ、俺はそろそろ戻るよ」
「そう」
「それじゃ、また後でな」
そうして一年戦争の舞台へ引き返そうとすると、
「――ねぇ、アレン」
ローズが俺の右手を優しく掴んだ。
「ん、どうした?」
「……絶対に、勝ってね。……私以外の誰にも負けちゃ、嫌だから」
「ふふっ。あぁ、わかった。絶対に勝ってくるよ!」
なんとなく「ローズらしい応援だな」と思った。
「それじゃ、行ってくる」
「うん、頑張って」
俺はローズの手を優しく握り返して――保健室を後にした。
「……ふふっ。可愛い顔をして、ちゃんと男の子してるじゃない。アレンくんだっけ……? ちょっとタイプかも……」
「せ、先生が生徒に手を出すのは駄目ですよ……っ」
■
地下大演習場では、リアとテッサの戦いが最終局面を迎えていた。
「斬鉄流奥義――
「覇王流――
両者の剣は激しくぶつかり合い、
「ぐっ、ぬ、ぉお……っ!?」
「はぁあああああああっ!」
リアの圧倒的な力に押し負けしたテッサは、凄まじい勢いで吹き飛ばされた。
「が、はぁ……っ」
水平に飛んだテッサは、地下大演習場の外壁に激突し――重力に引かれるようにして倒れ伏した。
彼の手からカランカランと剣が滑り落ちる。
戦闘続行は望むべくもない状態だ。
「――勝者、リア=ヴェステリア選手っ! しかし、圧倒的ッ! まさに圧倒的な強さでした!」
実況の女生徒が勝敗を高らかに宣言すると――リアを褒め称える大歓声が巻き起こった。
そしてそれに紛れて、
「うぅおおおおおおおっ!? テッサぁああああっ!?」
「畜生ぉ……っ。いい勝負だったぜぇ……っ」
「くっ……ナイスファイトだ……っ。お前は本当に漢だったぜぇえええええっ!」
観客席の一画から、いくつもの低音が存在感を主張した。
どうやらテッサは、柔道部の先輩たちに愛されているようだ。
「さぁ、泣いても笑っても一年戦争はこれがラスト! それではこれより、アレン=ロードル選手対リア=ヴェステリア選手の決勝戦を――開始致しますっ!」
凄まじい歓声と声援が飛び交う中、俺とリアは静かに見つめ合っていた。
「……懐かしいな」
「えぇ、もう四か月になるのよね……。なんだかあっという間だったなぁ……」
千刃学院へ入学したその日に、俺とリアはこの地下大演習場で剣を交えた。
(本当に……いろいろあったな……)
大五聖祭での死闘。
魔剣士見習いとしての生活。
大同商祭での事件。
生徒会主催の夏合宿。
素振り部の設立と部費戦争。
ヴェステリア王国での三連戦。
リアとの共同生活から始まった俺の学生生活は、毎日が波乱に満ちていた。
「――アレン。前回は不覚を取ったけど……今回は勝たせてもらうわよ!」
「悪いが俺も、負けるわけにはいかない……っ!」
そうして俺たちの会話が区切りを迎えたところで、
「両者、準備はよろしいですか!? それでは決勝戦――はじめっ!」
試合の開始が宣言された。
俺はゆっくりと剣を抜き、正眼の構えを取る。
対するリアは、右手を前へと突き出した。
その瞬間。
「侵略せよ――<
黒と白の美しい剣が、何もない空間を引き裂くように現れた。
「さぁ、行くわよ――アレンッ!」
「あぁ、来い――リアッ!」
こうして一年戦争の決勝戦が――幕を開けた。
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【※読者の皆様へ、大切なお知らせ】
新作を公開しました!
タイトル:怠惰傲慢な悪役貴族は、謙虚堅実に努力する~原作知識で最強になり、破滅エンドを回避します~
URL:https://kakuyomu.jp/works/16818093087479543721
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