ヴェステリア王国と親衛隊【二】


 その後、レイア先生は気絶したクロードさんを学院内の保健室へと運び込んだ。


 養護教諭の話では、強いストレスに起因する貧血の症状に似ており、このまま安静にしていればすぐに目を覚ますとのことだ。


 何が原因でこうなったのかと問われたレイア先生は、「まぁちょっと刺激の強いことがあったんですよ」と曖昧な返答をしていた。


 それから十分後、


「うっ……こ、ここは……?」


 クロードさんはゆっくりと目を開けた。


「あっ、目が覚めたのね、クロード!」


「り、リア様……? あぁ、よかった。やっぱり全部夢だったんですね……」


「……え?」


 彼はホッと胸を撫で下ろし、とても柔らかい笑みを浮かべた。


「長い、長い夢を見ておりました……。リア様が異国へと留学し、あろうことかドブ虫の奴隷になってしまうという……。つらく苦しい悪夢を……」


「え、えっと……それは夢じゃないわよ?」


「……え? ~~っ!?」


 キョロキョロと周囲を見回したクロードさんは、俺とばっちり目があった次の瞬間。


「き、貴様はドブ虫!? ということは、アレは現実だったのか……っ」


 すぐさまベッドから跳ね起き、敵意と憎悪がないまぜになった鋭い目を向けた。


「……初めましてクロードさん。アレン=ロードルです」


 ドブ虫と呼ばれ続けるのもどうかと思ったので、とりあえず名前を名乗ることにした。


 しかし、


「貴様の名前なんぞ、どうでもいいっ! リア様に近付くな、この鬼畜男めがっ!」


 彼は俺のことを完全に敵視しており、まともに話をすることすらできなさそうだった。


(こ、困ったな……)


 個人的には何としてもクロードさんここで情報を止めておきたい。

 俺とリアの関係をヴェステリアの国王に知られることだけは、絶対に避けたいのだ。


(そのためにも何とか会話の糸口を掴みたいのだが……)


 どうやら中々に難しそうだな……。


 そうして俺が心の中で大きくため息をつくと、


「ちょっと、クロード! さっきから言い過ぎよ! ちゃんとアレンに謝りなさい!」


 明らかに機嫌を損ねたリアが、クロードさんを厳しく叱り付けた。


「り、リア様……っ!? こ、こんなドブ虫に……身も心も許してしまったのですか……っ」


 敬愛するリアから叱責を受けた彼は、歯を食いしばりプルプルと震え始めた。


「リア様は昔から少々ポンコツであられる……っ。どうせこの下種なドブ虫に、いいように騙されているに違いない……っ!」


「だ、誰がポンコツよ、誰がっ!」


 リアの反論を無視して、クロードさんはキッと俺を睨み付けた。


「覚えていろ、ドブ虫めが! 貴様には地獄の苦しみを与えてやるからな……っ! ――そしてリア様! この私めが、必ずやあなた様を解放して差し上げます……! では、これにてしばしのお別れを」


 そう言って彼は保健室の窓から飛び出していった。


 その瞬間。


「……ぷっ、あっはっはっはっ! クロードは相変わらず面白いな! 昔から本当にからかい甲斐のある奴だ!」


 ここまで必死に笑いを堪えていたレイア先生は、我慢ならないといった様子でお腹を抱えて大笑いした。


「はぁ……。レイア先生……?」


「ちょ、ちょっとレイア! どうするつもりなのよ!?」


「ふふっ、そう怖い顔をしてくれるな。ちょっとした冗談じゃないか」


 これは『ちょっとした冗談』で済ませられる範囲を超えていると思うんだが……。


「さて、真面目な話をするとだな……。あのクロードのことだ。おそらくは、近々アレンとの接触を試みるだろう。そのときに君が事情を説明して納得させるか、それとも上手く話をでっち上げて煙に巻くか――まぁ好きな方を選ぶといい」


「ど、どちらも中々に難しそうなんですが……」


 あの怒りに身を焦がしたクロードさんが、素直に俺の話を聞いてくれるとは到底思えない。


「そこはまぁ気合で何とかするしかないな! ――さて『来客』も消えたことだし、私は帰る!」


 そう言って彼女は、回れ右をして保健室から出て行った。

 どうやら先ほど先生が言っていた『来客』とは、クロードさんのことだったらしい。


「はぁ……。とりあえず、俺たちも帰ろうか」


「……クロードが何をしでかすか心配だわ。後ろとか夜中とか物陰とか……とにかく気を付けてね、アレン?」


「あぁ、わかった」


 そうして俺たちは、保健室を後にして二人の部屋へ帰ったのだった。



 それから丸一日が経過したけれど……。

 あれ以降クロードさんが、俺たちの前に姿を見せることはなかった。


(とは言っても、油断は禁物だ……)


 もしかしたら今頃、何かしらの作戦を立てているかもしれない。

 今後数日は、しっかりと気を張って生活を送る必要がある。


「ふぅ……そろそろ帰るか」


 時刻は午前七時。

 日課である早朝の素振りを終えて寮に戻ると、


「ふわぁ……。あっ、おはよう、アレン。今日も早いわね」


 パジャマ姿のリアが、寝ぼけまなこでそう言った。

 ちょうど今起きたところなんだろう。


「おはよう、リア。っと、そうだ。リア宛に封筒が届いていたぞ」


 つい今しがた郵便受けから取ってきた封筒を彼女に手渡した。


「……私に? 誰からだろ?」


「それが……差出人の名前が無いんだよ」


 この封筒には差出人の名前はおろか、切手さえも貼られていない。

 多分、誰かがうちの郵便受けに直接投函したんだろう。


 すると、


「こ、これって……っ!?」


 リアは顔を真っ青に染めながら、裏面に押された仰々しい朱印をマジマジと見つめた。


「ど、どうしたんだ……?」


「これ、お父さんからの手紙よ……」


「リアのお父さんって……ヴェステリアの国王、だよな?」


「うん、ちょっとまずいかも……」


 用件は間違いなく、あの件・・・についてだろう。

 どうやらクロードさんは、あの後すぐに国王へ報告したらしい。


「と、とりあえず……中を確認しよう」


「そ、そうね……」


 封筒を丁寧に開封し、中に折りたたまれた上質な紙を取り出す。

 そこには美しい字でこう書かれてあった。



 我が愛しの娘、リアへ


 とある話をクロードから聞きました。

 そちらではいろいろと特殊な環境に苦労しているようですね。

 パパはとてもとても心配で仕事に集中できません。

 この夏休みに一度、うちへ帰って来てくれませんか?

 七月六日の午前十時に千刃学院へ到着するよう、王室専用の飛行機を向かわせました。

 お友達のアレン=ロードル君も絶対に一緒に連れて来てください。

 何があっても絶対に連れて来てください。

 愛しているよ。


 パパより



 一見すれば自分の娘に宛てた優しい手紙だけど……。

 隠し切れない怒りがにじみ出ているのは、誰の目にも明らかだった。


「お、お父さん、めちゃくちゃ怒ってる……」


「まぁ、そうだろうな……」


 他国へ送り出した愛娘が、どこの誰ともわからぬ男の奴隷になったと聞かされたんだ。

 怒って当然だろう。


(それにこの話を報告したのは、あの・・クロードさんだ……)


 きっと悪意に満ちた脚色を入れたに違いない。


「ど、どうしようアレン……っ!? 七月六日って、今日だよ!?」


「……行くしか、ないな」


 相手は一国を治める国王だ。

 クロードさんとは違って、思慮分別のある聡明な方だろう。

 ちゃんと事情を話せば、きっとわかってくれるはずだ。


「ご、ごめんね……。なんか迷惑ばっかりかけちゃって……」


「気にしなくても大丈夫だ。――そんなことよりも、ほら早く準備をしよう。もうあまり時間もないぞ」


「う、うん、わかった……ありがと」


 そう言ってリアは、奥の脱衣所へと走って行った。


「ふぅ……。重たい・・・、な……」


 一国の王様から直々にお呼び出しを食らったという事実は、学生の俺にはとても重たい。


(それにしても南海のリゾート地ヴェネリア島の次は、海を越えてヴェステリア王国へ、か……。夏休みだというのに次から次へと、全く気が休まらないな……)


 そうして俺はため息をつきながら、旅の支度を始めたのだった。

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