夕方五時のグランギニョール

馬村 ありん

夕方五時のグランギニョール

 柱の大時計が夕方五時の鐘を振動させた時、積み木で遊ぶ手を止め、朋也は時計に目を向けた。天真爛漫てんしんらんまんに輝いていたその瞳は色を失い、その小さな顔はこわばっていた。

 きしむような鐘の音が鳴る。

 ゴーン……ゴーン……ゴーン。


 いつもは文字盤の下から張り出した花道に次々と親指大の動物たちが姿を現し、楽しいダンスを繰り広げる。


 だが、夕方五時は違った。血の気もよだつショウが繰り広げられるのだ。


 物悲しいメロディに合わせて、黄色い肩掛けドレスを身にまとったダンサーが登場する。それが始まりの合図で、朋也は息を呑んだ。


 ダンサーがクルクルと回る。

 青い顔の奇術師と白い顔の道化師が背後から近づいてきた。彼らはダンサーを両脇から取り押さえると、引き倒し、押し潰し、押さえつけた。

 ダンサーが泣いていて、奇術師と道化師が笑っているのが朋也には分かった。

 最後には動かなくなったダンサーを奇術師と道化師が連れていき、時計に開いた小部屋の向こうへと姿を消すのだ。


「あらまあ、かわいいわね」

 メイド長の鷲田さんが言った。リビングのテーブルにふきん掛けをする合間にからくり時計を見ていたらしい。

 朋也は信じられなかった。こんなに恐ろしいショウをかわいいだって? このショウの悪意に気づいているのは朋也だけだったのだ。

「すてきな時計。朋也坊ちゃんのひいお爺さんが外国の職人に作らせたものなのでしょう? レトロな感じがまたよいですね」


 ガタッ。

 テーブルの向こうで音がした。

 黄色いドレスのダンサーがいた。八等身の体で、長い髪をしていたけれど、朋也にはからくり時計のくるみ材の人形と同じ存在なのだとわかった。

「朋也くん、助けて。殺されちゃうの」

 ダンサーは泣きながら訴えた。

 ドレスは破かれ、むき出しになった肌には無数の引っかき傷があった。右瞼みぎまぶたれて、額からたらたらと血が流れていた。


 朋也は叫んだ。

「どうしたんですか?」

 鷲田さんは振り返った。その時ダンサーを目にしたはずなのに……。

「何かありましたか? 坊っちゃん。顔が真っ青でございますよ!」


「朋也ぁ!」

 男の太い声が聞こえた。ダンサーの背後には道化師がいた。顔の半分を覆う長い赤鼻のマスクを身につけていた。

 道化師はダンサーの華奢な肩を野太い指でつかまえ、朋也に向かって歯を見せて笑っていた。汚らしく不潔な黄ばんだ乱杭歯。

「これからお前の目の前でこの女を傷つけてやる。じっくり見るんだ」

 道化師の手には刃の鋭いナイフが握られていた。マジックで使われる安っぽいやつじゃない。鹿の角を切る本物のやつだ。

「いやぁぁぁ! やめてぇぇぇぇ!」

 道化師のナイフが首元にあてがわれ、女の叫び声が響き渡った。


 気がつくと朋也は寝室のベッドに寝ていた。気絶してしまい、鷲田さんに背負われて運ばれてきたのだ。壁の時計は午前二時を差していた。

 あの女の人はどうなったんだろう?

 道化師に殺されてしまったのだろうか?

 そう考えると悲しくて涙が流れてくるのだった。


 ベッドの天蓋から下がるカーテンがガサっと揺れ、朋也は驚いた。そしてそこに男の姿を見つけ、悲鳴をあげた。

「会いたかったぞ朋也」

 そいつは奇術師だった。真っ青な顔に、よく整えられた口元を覆うひげ。襟の立った長いマントが全身をおおっていた。

「さけんでも無駄だ。お前の父も母もメイドも起きてこない。夢を見ることに専念しているからだ。俺と来い朋也。ショウの真実を知ったものを野放しにはせんぞ!」

 鞭が振るわれた。朋也の小さな手に赤い直線が走った。痛くて朋也は叫んだ。

「大人しくするんだ」

 奇術師は笑った。

「お前になす術はない。さあ来い。俺たちの世界まで。永遠に怖がらせ、泣かせてやる!」


 奇術師の冷たい両手が朋也の足をつかんだ。朋也はベッドにしがみついたが無駄だった。奇術師は暴れる朋也を小脇に抱えると、高笑いしながら部屋の中を渡った。

 螺旋らせん階段を降り、リビングルームへと向かった。途中、道化師が猿のような身振りで朋也に近づいて、泣き叫ぶ真似をしたり、手足がジタバタするのを真似したりした。

 大時計の前に来ると、奇術師は懐から鍵を取り出して、時計の蓋を開けた。そして、二人は朋也の体をつかんで離さぬまま、時計の中へと消えて行った。


 朋也が一晩のうちに消えたことで、一家は大騒ぎになった。父親は金に物を言わせて大規模な捜索を展開したが見つからなかった。


 ……朋也には会える。

 夕方五時に。時計の前にくれば。

 鳴り響く鐘の律動から感じられるだろう、少年の泣き叫ぶ声が。

 それから、ダンサーに代わって奇術師と道化師にいじめられる少年の姿を見ることができるだろう。

 もっとも少年はくるみ材の人形に姿を変えているのですぐにそれとは気がつかないかもしれない。


 ――恐怖は続く。

 少なくとも奇術師と道化師の背中のネジがゆるんでいるのに朋也が気がつくまでは。



終わり

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

夕方五時のグランギニョール 馬村 ありん @arinning

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ