研究所の夢
何故僕達がそこにいるのか。自ら来たのか。誰かに連れてこられたのか。でも今そんなことはどうでもいい。今はこの見知らぬ研究所から、僕はゼラニウムと二人で脱出しなければならないのだから。
この研究所はただの研究所じゃない。最近街で見かけるあの真っ黒な化け物が、どういう訳か溶けずにこの研究所内を徘徊しているのだ。ほとんどの個体は何もしないけど、稀にこちら側に危害を加えようとする個体もいる。運悪くそういうのに出会った時は、大抵は僕がそいつらを氷魔法で凍らせてからゼラニウムが持っている剣で倒している。
そうやって、僕達は出口を見つけるために歩き続けた。
丁字路の様な場所に出た僕達は、一度二手に分かれて捜索をすることにした。僕は左に、ゼラニウムは真っ直ぐ、それぞれ進んでいった。
道を曲がってすぐだった。僕はまた化け物に出くわした。きっと何もしない方なのだろう。そのまま無視しようとしたが、それは突如左手の部分を鎌状に変形させ、襲いかかってきた。そしてその左手で、氷魔法を放とうとしていた僕の右腕を……そのまま刈り取った。
ボトリと落ちる右腕。辺りに広がる血。程なくして切断面に走る痛み。一瞬何が起こったのか分からなかったが、切断された自らの腕を見て、僕は言葉を失った。そしてそのまま、その場にへたれ込んだ。
化け物はそんなことはお構いなしに、左手を上げ、そのまま振り下ろした。
(まずい、今度こそ殺される……!)
目を瞑って必死に来るであろう痛みに耐えようとしたが、何も来なかった。代わりに何かを殴るような鈍い音と化け物の断末魔が聞こえた。恐る恐る目を開けると、そこには既に生き絶えた化け物と息を荒げたゼラニウムがいた。
「……大丈夫?アンタ今、ものすごい顔してるよ」
「だ、大丈夫……。だけど……、『ものすごい顔』って……?」
「何ていうか……、すごく絶望感を感じる顔……」
ゼラニウムは目を逸らし、さらに話を続けた。
「ごめん。アタシが近くにいながら、アンタをこんな目に遭わせるなんて……」
そして切断され、今なお血の流れる僕の右腕を見るなり、彼女は自分の髪を結んでいた赤いリボンをほどき、それを包帯のように右腕に巻いた。
「とりあえず、これでよしっと……。とりあえず、まずはどこかに隠れないとな。さっき向こうで倉庫を見たから、まずはそこに行くか」
恐ろしく落ち着いたトーンで話すと、ゼラニウムは僕の左手を引きながら歩き始めた。
しばらくすると、さっきゼラニウムが言ってた通り、倉庫のような部屋に着いた。念のため扉を閉め、部屋の明かりを点けた。部屋は一気に明るくなった。部屋には沢山の物が雑多に置かれている。部屋の大きさは分からないが、かなり広いことが伺える。
「とりあえずアンタはその辺に座ってて。アタシが何か無いか探してみるからさ」
ゼラニウムはそれだけ言うと、倉庫の奥の方へと進んでいった。僕はというと、その辺にあったベンチに腰掛け、ぼんやりと右腕を眺めた。もう痛みは無いが、今なお出続ける血はリボンに赤黒く染み付いている。
しばらくすると、ゼラニウムが戻ってきた。手には何かの箱や新しい包帯、バットなど、色々な物を抱えている。よいしょと大量の物を地面に置くと、包帯やガーゼなどを取り出した。
「とりあえず、新しい包帯を見つけたから。まずは交換しないとな」
そう言うと、ゼラニウムは慣れた手つきで包帯の交換を行った。僕はその様子をただ眺めることしか出来なかった。
「よし、これで大丈夫かな……。そうだ」
ゼラニウムは真剣な眼差しで僕の方を見た。
「ところで、これからどうするか考えないとな。シオン、お前はどうしたいとかあるか?」
「そうだね。僕は……出来ればアイツらは倒したくないかな……」
「は?お前、自分の状況分かってんのか?右腕切られてんだぞ!あんな化け物、絶対倒すべきだって!」
それからしばらくの間口論が続いたが、結局「研究所からの脱出を第一に行動する。ただし、出会った化け物は極力倒す。また、常に二人で行動する」という結論に至った。
でも、そうと決まれば早かった。ゼラニウムは武器や何かに役立ちそうな荷物をリュックに入れて、僕は実質手ぶらの状態で部屋を後にした。
研究所はとても広い上に、構造が全く分からない。お互いが出会えなくなるのを防止するという意味でも「常に二人で行動する」というのは良いのかもしれない、と薄々感じていた。
化け物を避けつつ出口を目指す。化け物と遭遇したら、ゼラニウムが倒す。ほんの少し前までと、何ら変わらないことを僕達はしていた。ただ一つ、「僕の右腕が無い」という事実を除いて。
しばらく歩いていると、向こうに開きかけの扉があるのが見えた。二人でそこへ行ってみると、どうやらそこが探していた出口であることが判明した。僕達は安堵からその場で喜んだ。でも、二人で喜んでいたのも束の間。後ろから足音が聞こえてくる。
「ヤバい……」
二人同時に振り向くと、もうすぐ目の前まで化け物は迫っていた。恐怖から足が動かない。しかし、化け物は確実にこちらに近づき、右手部分を鋭い刃物に変形させた。二人とも殺される。そう思った時だった。
「……シオン。アンタだけでも逃げて」
「……えっ?」
ゼラニウムはそう言い放ったのだ。もちろん、突然すぎて僕は理解しきれなかったけど。
「コイツはアタシが何とかする。その間に、アンタはその扉から逃げて」
「でも……」
「……いいから。アタシの言うことに従って!」
ゼラニウムの声はいつにも増して暗く、そして強い意志を秘めていた。
「アタシが合図をしたら、アンタはその扉を開けて逃げて」
「……分かった」
一気にその場の緊張感が高まるのを感じた。化け物はジリジリこちら側に近寄る。粘液に覆われた顔から見えた瞳は、こちら側に焦点を定めている。そして、変形させた右手を高く持ち上げた時だった。
「……逃げて!」
ゼラニウムの声に促されるまま、僕は急いで扉を開け、そのまま勢いよく扉を閉め、そこから数歩離れうずくまった。
同時に、扉の向こうでは刃物同士がぶつかる音と何かが吹き出す音、肉のような物が無数に落ちる音が聞こえた。
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……」
聞こえないと分かっていた。それでも、何度も泣きながらゼラニウムに謝り続けた。
しばらく経って僕は涙を拭い、そして立ち上がり辺りを見回した。
そこには静寂と何もない真っ白な空間だけが広がっていた。
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