シオンの夢

 目の前で親友が死んだ。

 

 それはほんの一瞬の出来事だった。いつものように親友のゼラニウムと他愛もない会話をしながら歩いていた時、突如彼女のすぐそばで爆発が起こった。爆発はかなり大きく、僕自身も怪我を負った。そして、爆風を直に受けた彼女は呆気なく死んでしまった。

「どうしてゼラニウムが……。あの時何とかしてあの場から離れていれば……。ああなるって分かっていれば……」

 後悔しても仕方ないことくらい、僕も分かっていた。でも、今の僕には後悔することしか出来なかった。

 窓の方に目をやると、空には灰色の雲がかかっている。……なんていうか、今の僕みたいだ。

 ぼんやりと窓を眺めていた時だった。突然、目の前に紫色の猫が現れたのだ。猫は宙に浮いており、雪のような真っ白な瞳で僕を見ている。

「……えっと、何?」

「いや何って……。アタシはメア」

「そう……」

 本来なら猫が宙に浮いて喋る点に驚くべきなのかもしれないが、今の僕にそんな気持ちの余裕は無かった。

「ところでさあ……」

「……何?」

 正直、今はほっといてほしかったが、メアと名乗る猫はこちらの事情などお構いなしに話し続ける。

「お前……、過去に戻りたいよな?」

「戻りたい?……うん。そりゃ、戻りたいよ。でも無理なことくらい分かってるし……」

「じゃあ、そんな『無理な願い』を叶えてやるとするかな」

 そう言うとメアはニヤリと笑い右手を宙に掲げ、部屋全体を光で覆った。あまりの眩しさに、僕は思わず目を閉じ、さらに手で顔を覆った。


「もう開けてもいいよ」

 メアの言葉に、僕は恐る恐る目を開けた。

「あれ。ここ、僕の部屋じゃん。それに、どこも変わってないし。もしかして、さっきのも君の変なイタズラなんじゃ……」

 拍子抜けしている僕にメアははぁ、とため息をついた。

「まあ……、アタシを疑う気持ちも分かるけど……。とりあえず、『あれ』を見たら?」

 メアは机の上の日めくりカレンダーと時計を指差した。よく見ると、時間こそ変わらないものの日付は2日前を指していた。それに、窓の方にはさっきまでかかっていた灰色の雲は無く、代わりに三日月が輝いているのが見えた。まるで、2日前の空のようだった。

「メア、これは一体……」

「ここはいわゆる『過去の世界』。それも2日前のね」

 メアの言葉に、分かっていても僕は驚きを隠せなかった。メアの変なイタズラとかでなければ、本当に過去に戻れたのだから。

「どう?すごいでしょ?」

「う、うん……」

「それでさ、助けたいんでしょ?ゼラニウムとかいう子をさ」

 メアはニヤニヤしながら僕の方を見つめながら話を続ける。

「あの子の所に行って事故のことを話したり、無理だったとしてもまたやり直したりとかさあ……」

「でも……」

「ん?どうしたんだ?何か問題でもあるのか?」

 メアはやはりニヤニヤしている。

「うん。問題ありまくりだよ」

 すると途端にメアの表情が固まり、その顔からは笑顔が消えた。

「えっと……、それはつまり……?」

「まず、今何時だと思っているの?真夜中だよ?……それに、仮にゼラニウムが事故を回避出来たとしても、その後絶対に死なないという保証はないんだよ?爆発事故で死なないなら、転落死するかもしれないし、あるいは誰かに殺されるかもしれないし……。時間の流れというものは、常に『正常な』状態を維持しようとする、って以前ゼラニウム自身から聞いたんだ。そうなれば、僕達がどうしたってゼラニウムが死ぬ未来は変わらない。僕達がいくら努力をしたって無駄なの。下手すれば、君もゼラニウムも、それに僕も苦しむことになる。……だから『無理』、だったの。本当、無理させちゃってごめん……」

「そっか……。じゃあ、一体どうすれば……。何のために過去に戻って来たんだよ……」

 メアはよろよろと僕の方に来ると、ドサッという音とともにベッドに腰かけた。

 その後、部屋はしばらくの間沈黙に包まれた。

 その沈黙を破ったのはメアの方だった。

「そうだ!手紙を書くっていうのはどう?」

「手紙……?」

「そうそう!……まあ、あんまり意味ないと思うけど、何もしないよりはいいんじゃないかな?」

 メアに笑顔が戻っていた。メアは目を輝かせながら僕の方を見ている。

「まあ……、いいんじゃないかな。でも、何を書けばいいんだろう……」

「んー……、机に向かえば思いつくんじゃない?」

 メアに適当に促されるまま、僕は椅子に座らされた。机の上には便箋や封筒や文房具が置かれている。早速ペンを取ったが、何を書けばいいのか全く思いつかない。後ろではいつの間にか僕のベッドを陣取っていたメアが、どこからか取り出した金平糖を食べ始めた。

 ポリポリと音が響く中、しばらく悩み続けた。何を書けばいいのか、一切思い浮かばないのだ。

 ふと机の端の方に目をやると色鉛筆と花図鑑が目に入った。その瞬間、頭の中では「何を書けばいいのか」の答えが一瞬で導き出された。

「事故のことは伝えられないけど、僕の思いは伝えられる。これならきっと……!」

 あっという間に手紙は書き終わった。封筒にも入れ、後はゼラニウムの所へ届けるだけだ。

 そういえば、ずっと後ろから聞こえていた音も聞こえない。どうやらメアが金平糖を食べるのを止めたらしい。

「あ、書けたの?それじゃ、この手紙はアタシが届けるから。お前はそこで休んでおいたら?」

「いや、手紙見ないでよ……って、うわっ!」

 話も終わらない内に、部屋は再び強い光に覆われた。


「……あれ、ここって」

 慌てて日めくりカレンダーを見てみると、カレンダーは今日の日付を示していた。夢だったのかなと思っていると、机の上に置かれたままの文房具を見つけた。まるでさっき使った時のままだ。

 さっきの出来事が夢だったのか現実だったのか……。そして未来……つまり今への影響はあったのか……。結局、その日は何もわからないままだった。

 後日、ゼラニウムの住んでいた家から、僕から彼女宛の手紙が見つかったと誰かが言っているのを噂で聞いた。……内容が意味不明だとも聞いたが。

 僕は大きくため息をついた。


 ゼラニウムが目覚めると、机の上に一通の手紙が置かれているを見つけた。手紙には、短い文章とともに、ゼラニウムの花とシオンの花の絵が添えられていた。

「ゼラニウムへ

 君がいて幸せ。だから、僕は君を忘れない。

 シオン」

 ゼラニウムは首を傾げ、その手紙を再び机の上に置いた。

 その手紙を、彼女が再び読むことは二度と無かった。

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