第2話

和也は函館に向かう新幹線の中で、窓の外を流れる風景に目を奪われていた。東京から離れるにつれて、都会の喧騒は徐々に消え去り、田園風景や山並みが広がっていく。彼はその変化に心を委ね、久しぶりに感じる静寂に安らぎを見出していた。新幹線の揺れに身を任せながら、彼は自分がどこに向かっているのか、何を探しているのかを考えていた。


新幹線を降り、函館駅のプラットフォームに立った和也は、冷たい海風に迎えられた。空は澄み渡り、遠くに函館山がそびえていた。港町特有の潮の香りが鼻をくすぐり、彼の心は自然と落ち着いていった。駅から出ると、歴史ある建物が点在する街並みが広がり、どこか懐かしい気持ちにさせられた。


和也はまず、宿泊先の小さな旅館に向かった。ミニマリストの彼にとって、無駄のないシンプルな部屋は心地よい安らぎを提供してくれた。和風の部屋に足を踏み入れた瞬間、彼は一息つき、窓から外の風景を眺めた。旅館の庭には手入れの行き届いた松や石灯籠が配され、その静かな美しさが彼の心を穏やかにしてくれた。


和也は荷物を置くと、すぐに街を散策することにした。彼は真奈美の手紙に書かれていた市場を目指した。函館の朝市は、地元の人々と観光客で賑わっており、新鮮な魚介類や野菜が所狭しと並んでいた。市場の活気ある雰囲気が彼の心を少しずつ解放していくのを感じた。


市場を歩きながら、和也は漁師の鈴木健二を探した。真奈美の手紙によれば、健二は市場の一角で新鮮な魚を売っているという。彼は市場の喧騒の中で、白髪交じりの老人が大きな声で魚を売り込んでいる姿を見つけた。


「こんにちは。鈴木健二さんですか?」


健二は驚いたように顔を上げ、和やかな笑顔を浮かべた。


「ああ、そうだよ。君は観光かい?」


和也は頷きながら、自分が真奈美の知り合いであること、彼女の手紙を読んでここに来たことを伝えた。健二はしばらく考え込んだ後、頷いた。


「なるほど、彼女の友人か。それならば、少し話そうじゃないか。」


健二は和也を市場の端にあるベンチに誘い、二人は腰を下ろした。健二の目は遠く海を見つめており、その視線の先には長い人生の思い出が詰まっているようだった。


「俺の名前は鈴木健二。ここで漁師をやってもう50年になる。若い頃は父親の漁船に乗り、夜明け前から海に出て魚を獲っていた。父親は厳しい人でね、いつも俺に言っていたんだ。『海は命をくれる場所だが、同時に命を奪う場所でもある。常に敬意を持って向き合え』と。」


健二は海を見つめながら話を続けた。その瞳には、過去の苦労と共に深い愛情が感じられた。


「俺の父親はこの海で生まれ、この海で死んだ。ある嵐の日、彼は海に出たまま戻ってこなかった。それからは俺が家族を養わなきゃならなかった。海は俺にとって生きるための場所だったが、同時に恐ろしい存在でもあった。」


和也は健二の話に耳を傾けながら、彼の目に映る海の広大さと、そこに秘められた力を感じた。健二の話はまるで波のように、和也の心に静かに浸透していった。


「でもね、海は不思議な存在でもあるんだ。どんなに荒れ狂っても、必ず静かに戻る。俺たちもそうさ、どんなに困難があっても、いつかは平穏が訪れる。それを信じて生きることが大切なんだ。」


健二は一息つき、続けた。


「俺には三人の子供がいる。長男は東京でサラリーマンをしていて、次男はこの漁業を継いでくれた。娘は地元の学校の先生をしている。みんなそれぞれの道を歩んでいる。俺が誇れるのは、彼らが自分の選んだ道をしっかりと歩んでいることだ。」


和也は健二の話に引き込まれ、自分自身の家族や人生について考え始めた。彼は続けて尋ねた。


「あなたは自分の人生に満足していますか?」


健二は少し笑って答えた。


「満足というのは難しい言葉だな。でも、後悔はない。俺はこの海と共に生き、家族を養い、子供たちを育てた。それで十分だと思っている。大切なのは、自分が選んだ道をどう歩むかだ。」


和也はその言葉に深く頷き、自分の選んだ道について深く考えさせられた。彼は健二に感謝の気持ちを伝え、おじいさんもまた、暖かい笑顔で応えた。


「人はみんな繋がっているんだよ」と健二は言った。「時には誰かの話を聞き、時には自分の話をすることで、その繋がりを感じることができるんだ。」


和也はその言葉に深く共感し、感謝の気持ちを込めておじいさんにお礼を言った。彼は自分が少しだけ軽くなったような気がした。それはまるで、重荷を下ろした瞬間のようだった。


その晩、和也は小さな港町の旅館に戻り、温かい風呂に浸かりながら健二の言葉を反芻した。湯船の中で体を伸ばし、目を閉じると、彼の心は次第に落ち着いていった。旅館の部屋に戻ると、再び真奈美の手紙を読み返した。


和也は深呼吸をし、未来への扉を開く決意を新たにした。これからの旅が彼の人生にどんな変化をもたらすのかはまだわからない。しかし、彼は確信していた。これからの旅が、自分自身を見つめ直し、未来への希望を取り戻すための第一歩であることを。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る