第10話 オダジマとラーメン 心の師匠の足跡を辿ったつもりが、アレー? 

 わたくしの尊敬する東海林さだお先生の作品に「牛久ラーメン」という秀作があります。


 以前、和歌山ラーメンだの尾道ラーメンだの、ご当地ラーメンがブームになった時期があったことを覚えておいででしょうか。この頃、ラーメン大好きの先生は、発作的に「わたくしもご当地ラーメンを作りたいのだ。ご当地ラーメンの陰の巨魁となりたいのだ。」と思いたったそうです。

 が、「しかしそれを予算一万円でやりたいのだ」と極めて高いハードルを自らに課され、子分一人と交通費を勘案しつつ予算組みをした結果、東京から「牛久までが限界」という結論に達したのでした。それで、常磐線で牛久まで行き、情報収集しつつラーメン屋を四軒回ったものの、「これじゃ東京ラーメンと変わんないな。ダメだな」とガッカリして帰ってくるというお話でした。東海林先生の作品を愛する者なら誠に堪えられない作品ですが、そうでない人には誠にどうでもいい話ではあるでしょう。


 もちろんわたくしは前者です。前者であるうえに、職業柄東京近辺であれば、西は小田原あたりから、北は熊谷、東は大網くらいまでは行動半径です。

 そういうとこで仕事があったときには、一人駅前のロータリーに佇み、小手をかざしてラーメン屋を探し、醤油ラーメンを食べてくることにしています。名物になっている場合を除き、味噌ラーメンにしたり、大盛りにしたり、バターなどのトッピングをしたりはせず、醤油ラーメン普通盛り一本です。もちろん横の比較が出来なくなるからです。


 そのようにして長いこと、牛久ラーメンはわたくしの心の中で静かに光を放っていましたが、ついに今年の九月、機会が訪れました。ある事故の関係者宅がつくば市にあり、最寄駅が牛久だったのです。忘れもしない九月一六日、わたくしは午後一時に関係者宅に行き、警察とともに現場の検証を行い、一時間で終わると思ったら二時間半もかかり、ハラペコもうオレ死にそう、の状態で牛久駅まで帰ってきました。


 そうしたら、先生のように小手をかざすまでもなく、ロータリー横のビル一階に「風風(ふうふう)」を発見したのです。先生か作品中でそれなりの評価をしていた店です。

 わたくしは、うれしさのあまり(心の中で)スキップしながらお店の前まで行き、(心の中で)ワルツを踊りながら店内に入り込みました。

 小奇麗な店内はコの字型のカウンターだけで、一人も客はおらず、応対に出てきたのは、とても若いバイトのオネーチャンでした。「小奇麗、客なし、オヤジが作らない」というあたりで、既に不安三要素そろい踏みといった感がしましたが、驚いたのは強気の値段設定六八〇円です。わたくしの事務所がある激戦区西新宿でもこれは立派な値段です(当時)。

 わたくしは、思わず、「一体ここの家賃いくらなんだ? 人件費だってバイトだろ?」と、さっきのスキップ&ワルツとは打って変わり、厳しい視線をオネーチャンに投げかけたのっでした。

 まあいい、きっと旨いんだ、だから高いんだ、たまたま客がいないのは時間が悪いせいなんだ、と、わたくしは健気にも自分を説得し、鼓舞し、張りのある声で「醤油ラーメンを下さい」とオネーチャンに注文しました。オネーチャンは、ハイッと小さいけれど明瞭な返事をし、厨房の奥へと消えていきました。

 

 と、そうしているうちに、男性客が一人入ってきて、手馴れた様子で窓際の新聞マンガスペースから、成人向け漫画誌を取り出し、カウンターのイスに腰掛けました。オネーチャンが奥から慌てて出てきて、注文を取ったのですが、その客は常連のクセにメニューを見ながらウジウジと悩み、わたくしは、「おい、オレのラーメンが伸びるだろうが。早く決めんか」と気が気でありませんでした。

 常連客は、散々悩んで結局ミソラーメンを注文したのですが、なにしろわたくしはハラヘリで苛立っているので、「『コーンバタ載せ大盛り麺固めモヤシはなしでね』とかいうんじゃないんだろうが。そんなもん三秒で頼めるだろうが」と、カウンターのこっちから、いわれのない攻撃的視線を送ったのでした。


 注文を取り終え、オネーチャンが厨房の奥へと消えたと思ったら、チャッチャとお湯きりの音が聞こえ、ほどなくホカホカと湯気を立てながらわたくしのラーメンが到着しました。わたくしは思わずドンブリを覗き込みましたが、見た目は特にどうということはありませんでした。

 澄んでも濁ってもいない醤油色のスープに、バラ肉のチャーシュー一枚(二枚だったかナ?)、メンマとネギパラパラ、という構成です。

 わたくしは、早速、中細でやや黄味がかった麺をツルツルッとすすり、レンゲでズズーッとスープを飲みました。うん、少し化調の味が強いかなーという気もしましたが、イヤミなほどではありません。チャーシューも硬からず柔らか過ぎず、ごく普通のものです。メンマもごくノーマル。

 肝心のお味の方は、「不味いのか?」と問われれば、キッパリと「不味くない」と言えますが、「じゃ、とてもおいしんでしょうか?」と問われれば、わたくしは目をそらすかも知れません、といった感じです。五段階評価で言ったら、二.七といったところでしょうか。「それじゃ五段階じゃないだろう」という向きもおられましょうが、二か三という範疇には収まらないんだからしょうがないです。すんません。

 お店の人がハラを立てないよましうに一応フォローしておきますと、新宿のような激戦区ではなく、地方であることを考えると十分健闘していると言えます。及第点であることは間違いないです。オネーチャンの態度もキビキビと好ましく、単価が五五〇円であれば、なんの文句もなかったと思います。


 なとど考えつつ、ツルツルズズーっと食べていると、部活帰りなのか女子高生風が五人ドヤドヤと入ってきたと思ったら、「ナニー、○○子、ここでバイトしてたんだねー」などと、オネーチャンに声を掛けていました。確かに、とても若いと思っていましたが、女子高生だとは意外でした。それだけでやや得をした気もしないではないですが、味の探求者のはしくれであるわたくしには関係のない話だ、と考えながら、私は、財布のなかからピッと千円札を取りだし、カッコよく勘定を済ませて店を出ました。


 その夜、わたくしは京王線の中で、「なるほど、東海林先生のおっしゃられたとおりだ。風風をはじめとする牛久ラーメンは東京からあまりに近いゆえに、ご当地ラーメン足り得ないのだ」と納得しつつ家に帰りました。そして、就寝前、「先生は風風についてどのような評価をされておられただろうか」と考え、膨大な蔵書のなかから目当ての一冊を引っ張りだしました。

 そしたら、なんと、なんと、「キャー、風風(ふうふう)じゃなくて、鈴鈴(りんりん)じゃないのよー!」ということが判明したのでした。先生の足跡をたどるという意味で、今回の牛久ラーメンをめぐる旅は全て失敗したことが確認された瞬間でした。

 次回、行く機会があれば、きちんと鈴鈴を探して入ろうと思います‥‥‥。


→ このお話は、確か一五年位前に書いたものです。ラーメンの値段を見ますと、六八〇円でも「高い」って言ってますね。時代の流れを感じます。現在では新宿では一〇〇〇円は普通で、煮卵を入れると一一〇〇円というのがスタンダードではないでしょうか。

 そういえば、私が子供の頃に読んだ、江口寿史の「すすめパイレーツ!」で、ウルトラ万次郎が街中華でメニューを端から全部食べるというお話がありましたが(昭和五五年とか?)、そのときのラーメンは短冊に二九〇円って書いてありました。

 四五年経って、値段が三倍になったというのが、高いのか安いのか分かりませんが、きっとラーメンとかかつ丼とかって、世の人々の懐具合と密接に関わっているんでしょうから、物価の高下を計るのにいい指標なんじゃないでしょうか。

 よく、時代による価格の推移を比較する際には、卵とかお米とかが使われますけど、「ラーメン算」っていうのも、きっと我々の実感に近い数字が出るんじゃないでしょうかね。

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