第46話 借りがある者達

「はい。終わりましたよ? 目を開けてください」


 ――静かな医務室に響いた優しい声が、テンドウ・タクヤの目を覚ます。

 

「うぅ……」


 体を起こしてベッドに座るテンドウの目に、タケミガワの手足を治癒魔法で回復させた保育士の女【サクラ・カエデ】の後ろ姿が映る。


 テンドウにとっては、初めて見る後衛職の背中だろう。

 


「どうですか? タケミガワさん。手足の感覚は」


 サクラに手足の感覚を聞かれたタケミガワの体は、失くした部分の一割程度を取り戻しただけ。


「どうだろうな…………」

 

 感覚を伝える為に体を動かすタケミガワは、一割程度の回復でも取り戻した部位に痛みを感じている。ある種の幻肢痛だ。


「痛そうですね」

「かなりな……この痛みが引くまでは、次の部分を治さない方が良さそうだ」

「ですね……」


 皮膚と違い、欠損部位を丸ごと復元するのはリスクが大きい。

 脳が痛みを記憶している以上、神経を失うまで感じていた痛みは復元後の肉体に現れてしまう。


 サクラの見立てでは、タケミガワの体が元に戻るのは半年後。妥当な日数だ。

 

「お前は、俺達と一緒に居た回復術士か……?」 

 

 サクラとタケミガワのやり取りを静かに見ていたテンドウが声を発した。


 テンドウの質問を肯定するサクラは、カーテンを動かして隣のベッドで眠っているキタノの姿を見せ、その身に宿っていた命が助けられなかった事を伝える。


「ごめんなさい、テンドウさん。私には、傷を治す事しか出来なくて……」


 自身が回復術士の域を出ない人間である事を告げたサクラの言葉を聞き、テンドウが布団をめくり上げてキタノの下半身を確認する。


「……十分だ。ありがとう」


 どの程度まで潰されていたか。それを知るテンドウが、無償で恋人の傷を治してくれたサクラを責める事は無かった。


 子供を守る為に現実逃避を行ったキタノの寝顔は、数週間ぶりに深い眠りについた者の表情。耳を澄ませば鼻息が聞こえるほど熟睡している。


「ヨシオカやあのロシア人は、どこに行ったんだ?」


 二人が医務室に居ない事に気付いたテンドウの質問には、タケミガワが答える。


 

 アナスタシアとヨシオカは、テンドウが目覚める三十分ほど前にロシアの首都【モスクワ】に向かった。


 二人がモスクワに向けて出発したのは、目的地に曰く付きの狙撃銃が保管されている幽霊屋敷が在るから。


 ――曰く付きの狙撃銃は、アストラルが不在の間にタナトスの粛清を止める為の武器だ。

 

「この場に居るお前達三人と、現地で合流予定のカンザキ・ヤマトにも、タナトスの粛清を止める為の武器を回収してもらう」


 それがアストラルに生かされている理由である事は言うまでもない。


 ヤジマを中心に編成したロシア班と違い、国内の神器を回収予定の日本班は、カンザキ、テンドウ、キタノ、サクラの四人だけで行動する。


 カンザキ達の仕事は、【天叢雲剣】が奉納されている愛知県の神社に行くこと。

 ロシア行きの飛行機に乗らなかったタケミガワの仕事は、皇居に住んでいる皇族から【草薙剣】の保管場所を聞き出すこと。

 皇族との接点が無いタケミガワには、植物園の屋敷に住んでいるマツルちゃんと白髪の悪魔も同行する。



「アストラルの話では、お前達が回収に向かう『天叢雲剣』の保管場所には、神器の守護者とも言えるアマテラスが居る。イザナギの左目から誕生した天照にとって、イザナミの復活に加担したお前達は敵でしかないだろう」


 八百万の神の中でも最高位に位置する【アマテラス】は、イザナギの左目から生まれた神として知られている。


 そんなアマテラスは、イザナギが黄泉の国で遭遇したイザナミの脅威を生まれる前から知っている者。イザナミに加担する者には容赦なく攻撃し、天を遮る天叢雲剣を持ち出そうとする者にも天罰を与える。


 ――要するに、天叢雲剣を持ち出すにはアマテラスのが要る。


「赦しが要るって言われてもな……アマテラスに敵視されている俺達が、どうやって赦しを得れば良いんだ?」


 テンドウの疑問に対し、タケミガワは天叢雲剣と草薙剣がそれぞれ異なる場所に保管された経緯を話す。

 

 

 

 ――タケミガワが最初に話す神器は、愛知県のとある神社に奉納されている天叢雲剣。


 この剣は【八岐大蛇】の体から取り出された物で、八岐大蛇を討伐したスサノオが草薙剣の本来の使い手であるアマテラスに献上した物。

 天を遮る力を持つ天叢雲剣は、正反対の力を司るアマテラス本人の手に握られたまま照須田神宮てらすだじんぐうに封印されている。

  

 ここで重要なのが、照須田神宮に封印されたアマテラスの代理。


 ――そのが、皇族の元に流れ着いた草薙剣だ。

 

 

「照須田神宮と関わりが深い『天勢神宮てんせいじんぐう』も、照須田神宮と同じくアマテラスを祀っている場所だが、天勢神宮で祀られている『アマテラス』は草薙剣に宿るアマテラスの力だ。神が目に見えない存在として現代に語り継がれているのも、その違いの影響と言えるだろう」


 アマテラスの赦しを得て天叢雲剣と草薙剣を借りる必要があるのは、それを手にする【カンザキ・ヤマト】が神格化される為の策。


 アマテラスの意思を無視する事はもちろん、彼を尊重する皇族の気分を害するような者を、日本人は決して受け入れない。


「どうやって赦しを得るかについての話に戻るが、アストラルは『ヤマトタケルの仇討ち』が理想だと言っていた」

「仇討ち? そんなものを皇族が認めるとは思えないが……」

「重要なのは、神器を私達に貸してくれるアマテラスの赦しだ。彼がその条件で交渉に応じるなら、皇族も神の意思を尊重する」


 タケミガワに仇討ちを提案したアストラルの勘が正しければ、ヤマトタケルの死には黄泉の国から這い出て来た【八雷神】が関わっている。


 八雷神は、黄泉の国でイザナギを追い続けた八柱の神のこと。

 彼らはイザナミの体から発生した存在であり、黄泉の国から抜け出した後は八つの首を持つ大蛇としてその存在を認知されていた。


「まさかその大蛇ってのは……」

「そのまさかだ」


 スサノオが倒した八岐大蛇こそ、八雷神の成れの果て。天を覆う雲の正体は、雷を生み出すだった。


「…………スナノオに倒された大蛇が、どうやってヤマトタケルを殺したんだ?」

「殺したのは八岐大蛇ではなく、それを生み出す原因となったイザナミ……彼女を黄泉の国に送ってしまった神だ」


 ヤマトタケルを殺したのは、不可抗力で母親を殺し、それが原因で父親に殺された哀れな神――カグツチ。


 母親の命と引き換えに生を受けたカグツチは、その命をイザナギによって絶たれた後、イザナミの後を追う形で黄泉の国に現れている。


 神としての役目を何も果たせず殺されたカグツチが、黄泉の国で自分の女を取り戻そうと足掻く哀れな男の姿を見ればどうなるかは言うまでもない……黄泉の国の住人になる事を拒んだカグツチは今も現世をさ迷い、イザナギに愛された者達を探し続けている。


「カグツチは、ヤマトタケルに一度敗れているそうだ。一度目の遭遇は東征の時らしい」

「草薙剣を持っていた時か……」

「そうだ。神器を持っていたからこそ、ヤマトタケルはカグツチの襲撃を生き延びた」


 タケミガワとテンドウの話を静かに聞いていたサクラが、カンザキになぜ二つの神器を持たせるのか理解する。


 ――カンザキ・ヤマトと、ヤマトタケル。


 アマテラスの赦しを得て天叢雲剣と草薙剣を手にする事は、カグツチにとってイザナギの愛を独占しているような状況。


 カンザキが二本の神器を手にした瞬間、カグツチは必ずその場に現れる。


 仇討ちという表現は聞こえが悪いが、アストラルがカンザキにやらせようとしている事は、イザナギの子孫からすればに近い。

 

 ――状況的には、カンザキがクサカベ・アキラを葬った時と同じだ。


「アナスタシアやヨシオカにも言える事だが、お前達三人は、『カンザキ・ヤマト』という一人の男に借りがあるはずだ。元の世界に帰る為に手を汚してくれた彼に、お前達は感謝の言葉すら掛けていない」


 山梨県で共にカンザキを捜索したタケミガワにとって、彼が川辺で自殺を図っていた事は辛い記憶でしかない。


 テンドウ達がカンザキを捜索し、何か一言でも感謝の言葉を掛けていれば、彼の苦しみが十年も続く事は無かっただろう。


 それが出来ていたら、タケミガワ・ミクルも死なずに済んでいたかもしれない。

 

「八岐大蛇が八雷神だの、ヤマトタケルを殺したのがカグツチだの、日本の歴史を変えてしまう程の暴論を私に語ったアストラルの言葉は到底信じられないものだが、『クサカベ・アキラ』の名前が出た瞬間、私は全てを信じてしまった。やはりそこに行き着くのかとな……」


 日本人を殺してしまったカンザキを救う為には、日本を支え続けた神々の悩みの種であるカグツチの解放が必須。


 カンザキの心が晴れれば、彼はタナトスに立ち向かう為の土俵に立てる。



「あいつは、俺達にどうして欲しいんだ?」


 ――当たり前の事を聞いて来たテンドウに、タケミガワが険しい表情で答える。


「アストラルがお前達に望んでいる事は一つだ。英雄に成って、そのまま死ね。カンザキに礼を言わず、探しもせず、自分の事ばかり考えて生きていたお前達は、それだけ罪が重い」


 タケミガワがテンドウ達にここまで厳しく当たる理由は、カンザキ・ヤマトの件と、自分を犠牲にして機械的存在と化したアストラルの行動にあるだろう。


 弟を殺されたタケミガワからすれば、サクラに礼を言う前に恋人の傷を確認したテンドウの姿は腹立たしい行動だったはず。



 十分だ。ありがとう……あの上から目線の、治してもらって当たり前の台詞に関しては、観ている私も不快だった。



「俺達を異世界に召喚した元凶には、何の罪も無いって言うのか? 言っておくが、俺達は異世界に召喚されただぞ」

「私はそうは思わない。アストラルを慕っていた魔族からすれば、お前達はどう見てもだ」


 被害者は、自分の事を「被害者」とは言わない。

 本当の被害者は、自分の事を加害者と思い込んで苦しみ続ける。

 

 私のせいで。

 俺のせいで。

 僕のせいで。


 そう思い込む連中は、他者に「助けてくれ」と言えない生き物。 

 

「分かったら、さっさと荷物をまとめて仕度をしろ。その女も今すぐ叩き起こせ。これは命令だ」


 時刻は午前5時34分。

 

 ロシア班と一時間以上の差が出てしまったタケミガワ達は、照須田神宮行きと天勢神宮行きの飛行機に分かれ、二つの神器の回収に向かった――――

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