第45話 敬意を示すべき相手
――ヨシオカ・ツバサにとって、タケミガワ・リョウコは神だった。
「先輩……」
かつての神は、無慈悲な者へ。
多目的室に入ったタケミガワは、その冷たい視線だけでヨシオカを牽制する。
「先輩、私――」
「どんな言い訳をしようと、私がお前を許す事はない。お前と一緒にいたあの二人に関しても同じだ」
タケミガワは、アストラルがヨシオカ達を殺さない理由について話す。
アストラルがヨシオカ達を殺さない理由は、タケミガワの弟を黄泉の国から連れ戻す為だ。
連れ戻すだけならヨシオカやテンドウは必要ないが、連れ戻した後の精神的負担を軽減する為には直前まで行動を共にしていたヨシオカ達の存在が不可欠。
タケミガワに関しても、同じ理由で五体満足の状態に戻ってもらう必要がある。
良くも悪くも、タケミガワの弟にとってテンドウやヨシオカは仲間。共に異世界から帰還した者で、弟からすれば「殺された」という認識はない。
――その認識を弟に持たれていない事が、彼らを生かす理由だ。
「アストラルの話によると、ミクルは黄泉の国でまだ生きている。黄泉の国は、普通の人間では入れない領域にある国だ」
タケミガワの言う「入れない領域」は、物理的に到達する事が出来ない地域という意味だ。日本の裏世界と言っても良い。
黄泉の国には、実体を持つ神が住んでいる。
タケミガワの弟を殺したイザナミも、黄泉の国では実体を持っている存在だ。
呪いによって裏世界に連れて行かれたタケミガワの弟を助け出すには、裏世界に行ってイザナミを殺すしかない。
魂をその場所に留めている元凶を排除する事が、唯一の方法だ。
「イザナミを殺すという事は、イザナミから生まれた他の神々も敵に回す事になる。必然的にお前達の手には負えない敵が現れる事になるが、敵に関してはアストラルが全て対処してくれるそうだ」
病み上がりのテンドウ達に黄泉の国からタケミガワの弟を連れ戻す事は不可能。概念操作や世界の法則を書き換える連中を相手にするには、独自の世界観で動く必要がある。
地の利が相手側にある以上、世界の法則に従って生きている地球人には無理だ。
「お前達の役目は、アストラルが黄泉の国から戻るまでの間、地上に居る人間をタナトスから守る事だ」
「タナトスから守る……?」
「そうだ。近い内に、タナトスが人間に対して粛清を開始する。お前達の役目は、その粛清を止める事だ」
バイツァダストの大胆な攻撃によってその存在が公になった今、タナトスの立場は救世主に近い。何も知らない人間からすれば、タナトスは街を怪物から守ってくれた英雄だ。
タナトスは、自分達が英雄と認識されている事を利用し、必ず地上の支配を目論む。神を信じない者を殺し、神の意思に反する者を殺し、自分達が絶対的な存在である事を示す為に粛清を行う。
その粛清を止めるのが、ヨシオカ達の仕事だ。
「止めろって言われても、神器を持っている連中を相手にどうやって戦えば……?」
「この世界で生まれた神器を使う……」
説明しているタケミガワ自身も半信半疑だろうが、「神」というものは人の信念から生まれる場合もある。
日本では有名な――三種の神器や
偶然起きた悲劇が誇張されて呪われた武器と化した――妖刀。
精霊など特殊な存在を信じていた民族の武器――弓。
偉大な発明が大勢の人を殺す結果になった――銃。
科学では説明出来ない現象を引き起こす代物は、全てが神器に成り得る。
――扱う人間の意思と、その武器を目にする者達の価値観が重要だ。
「今は鉄くずかもしれないが、アストラルはそこに神が宿ると言っていた。人の為に力を発揮する神だ……」
「先輩はそれを信じたんですか?」
「道が一つなら、その道を進むしかない。それだけだ……」
現時点で確定している神器の候補は、全部で二つ。
一つは、八岐大蛇という怪物の体から取り出された【
天叢雲剣と草薙剣はどちらも同じ剣が持つ別名として語り継がれているが、アストラルは天叢雲剣と草薙剣が「同じ物ではない」と言っていた。
アストラルがタケミガワ達に話した内容では、八岐大蛇の体内から取り出された物が天叢雲剣で、八岐大蛇の討伐に使用された物が草薙剣という扱いだった。
天を遮る力と、天を遮るものを払う力。
後の時代でヤマトタケルが手にした剣は、払う力を持っていた後者――草薙剣。
天を遮る力を宿す天叢雲剣に関しては、その力を封じる為に神聖な場所に封印されている。
力の性質で言えば、天叢雲剣は闇、草薙剣は光。草薙剣を手放したヤマトタケルが病に侵されたり災難から逃げ切れなかったのは、払う力を手放した事が原因だ。
そんな複雑な事情を抱える二本の剣に相応しい勇者は、その剣を持っているだけで【ヤマトタケル】との関連を匂わせる――カンザキ・ヤマトを置いて他に居ない。
――重要なのは、人々が二本の剣を神器と信じ、その神器を手にしているカンザキ本人を真の救世主と捉える事だ。
「アストラルの話では、二本の剣が闇と光の力を取り戻した場合、その狭間に立つカンザキには一切の負荷が生じないらしい。力を使っても代償が相殺される状況なら、彼は前衛として復帰が可能だ」
その戦い方を目にしているであろうヨシオカが、カンザキの蘇生法を聞いて言葉を失う。
「あの人が、前衛に……!?」
「そうだ。カンザキを前衛に復帰させる事が、お前達の最優先事項だ」
後衛のヨシオカが驚くのも無理はない。
本来、前衛に求められるのは敵を寄せ付けない圧倒的な火力。技術で支援する二番手とは根本的な部分で役割が違う。
自ら二番手を選んだテンドウがどう思っていたかは定かじゃないが、カンザキは七人の勇者の中で最も火力が高い。
「二つ目の神器に関しては、アナスタシアが持つ物だ」
カンザキに続いて、神器の候補が確定している人物は――アナスタシア・バーレンハイト。
アナスタシアの為に確保すべき武器は、ドイツ製の【エーレ】という旧式のボルトアクションライフルだ。
銃という事もあって簡単に手に入る代物のように聞こえるが、必要なのは市販のエーレじゃない。
――呪われた一族が屋敷に保管している試作品が必要だ。
「一族も『エーレ』という名前だが、そう呼ばれていた一族は1996年の12月に最後の一人が死亡している。現在の管理者は、ルーファス・フレドという男だ」
カンザキの事で驚いていたヨシオカが、【ルーファス・フレド】という男の名を耳にして後ずさりを始める。
「それって、ロシアで有名な幽霊屋敷じゃ……」
ヨシオカの言う通り、ルーファスの屋敷は普通の屋敷じゃない。
彼の屋敷は、軍の規則に背いて射殺された兵士の幽霊が悪霊と成って暴れ回っている本物の幽霊屋敷。
屋敷には無数の独房が存在し、全ての部屋にボルト式の鍵が付いている。言うまでもなく、独房の中に居るのは物理的に襲い掛かって来る悪霊だ。
エーレの試作品は、ルーファスの屋敷の中でも最も厳重に封じられている地下の独房に保管されている。
「エーレの試作品が保管されている独房の中にも、強力な悪霊が収容されている。神器を手にしたカンザキからすれば大した敵ではないが、エーレを使用する都合上、その屋敷に収容されている幽霊には一切手出しが出来ない」
タケミガワがヨシオカに求めているのは、悪霊を倒さず、悪霊に成るまで死者の魂をこの世に縛り付けている元凶のエーレを回収すること。
――ルーファスの屋敷に収容されている悪霊は、エーレから発射される弾丸に特殊な力を与える存在だ。
「エーレの回収は、カンザキの神器回収と同時に行う。ルーファスの屋敷に行くのは、ヤジマを中心に編成したロシア班だ。班の中にはお前も入っている」
「わ、私も行くんですか?」
「行け」
冷静に話してはいるが、タケミガワの限界が近い。
話したくない相手、頼りたくもない相手に頼るのは、相当なストレスのはずだ。
「出発は今から三時間後の予定だ。準備が出来次第、基地の屋上にあるヘリポートに移動しろ」
無線で合図を出したタケミガワが仲間の手を借りて部屋を退室し、ヨシオカをロシアまで連れて行く事になったヤジマが後を引き継ぐ。
部屋の中央で動けなくなったヨシオカを目にするヤジマの表情は、赤の他人を眺めているように気迫がない。
「殺されずに済んで良かったな」
声を掛けたヤジマにとって、タケミガワとヨシオカの問題は他人事。わざわざ口を挟む必要もない。
「さっきも聞いたと思うが、出発は三時間後だ。ルーファスの屋敷は改装工事が行われて刑務所のような構造になっているから、屋敷の見取り図くらいは頭に叩き込んでおけ」
頷くヨシオカを見て部屋を退出しようとしたヤジマが、何かを思い出したように途中で足を止めて振り返る。
「それからもう一つ。もう気付いているとは思うが、事が済んだらお前達は殺される。英雄に成るのは、アストラルが黄泉の国から戻るまでの間だけだ。お前達は英雄のまま死ねるだけで、英雄として生きれる訳じゃない。そこは勘違いするなよ」
直接その言葉を聞いた訳じゃないから何とも言えないが、ヤジマが言った結末になる可能性は高いだろう。
アストラルは、人間が英雄の地位で満足しない事を知っている。七人が英雄以上の扱いを求めなくても、彼らに助けられてしまった人々がそれ以上の扱いを求める。
英雄のまま殺してやる方が、英雄の変わり果てた姿を見るよりもずっとマシな結末だ。
「それじゃ、また三時間後にな。遅れるなよ」
部屋を退室して扉を閉めたヤジマが一息つくと、その様子を見ていたタケミガワが近寄って来る。
「わざわざ言う必要があったのか?」
ヨシオカに対して行った死刑宣告を指摘されたヤジマが、目を強く押さえながら答える。
「お前が言わないから言っただけだ……」
「同情したのか?」
「そんなんじゃない。ああ言っておけば、礼を言わなくて済むだろ」
「あいつに礼を言うつもりはないぞ……」
「じゃあ誰に言うんだ? この作戦を考えたアストラルか?」
――誰に礼を言うべきか尋ねたヤジマに、タケミガワは答えなかった。
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