第42話 唯一殺せなかった相手

「話は終わりだ。俺達はタナトスとは協力しない事を選んだ。後は自分達で判断しろ。俺達はこれから、アストラルが居るホテルに向かう。じゃあな……」


 カゲヤマの運転でホテルを目指すヤジマが、街で救助活動を手伝う他のアイギス達との連絡を終えた。


「よし、これで全員だ。そっちはどうだ? ミタカ」


 後部座席でヤジマと同じく連絡を取っていた女が、植物園のマツルちゃんと白髪の悪魔の無事を報告する。

 

「二人共、特に異常は無いそうです。怪物も屋敷には近寄らなかったと言っていました」

「そうか。襲われていないのは意外だな……」

「あの屋敷の主を守っているのは上級悪魔ですから、影響力が強いのかもしれません」


 詳しく事情を話す「ミタカ」は、タケミガワの付き人。秘書的な立場にある女で、 勇者の一人でもあるヨシオカ・ツバサと取調室で話していた奴だ。


「三人とも、もうすぐホテルだぞ?」

 

 運転をしているカゲヤマが確認を取ると、ミタカがシートベルトを外してタケミガワを降ろす準備を始める。

 

「カゲヤマ、ホテルの入り口で一旦車を止めろ」

「分かった」


 ゲートを潜ってホテルの敷地に着いたヤジマ達の目に、アストラルが殺した神々の死体が映る。


 正面玄関前の岩の上には、死体から引きずり出した臓物をついばむカラスの大群。

 死体の上を通れば車体が揺れ動き、骨を踏み砕く音が響く。


 一台、また一台とホテルの敷地に現れる車が速度を落とし、到着したアイギス達は悲惨な現場から目を背ける事なく車を降りる。


「何があったんだここで……」


 ――ヤジマの囁きに、ホテルの屋上から車の屋根に着地したアストラルが答える。


「グラウンド・ゼロ!」


 車を一台潰したアストラルの体から発生した波紋が、アイギス達の中に紛れていたバイツァダストを次々と塵にする。

 風に吹かれた落ち葉のように消え去るアイギス達の中には、カゲヤマと同じ班だった女の姿もある。


「こいつ……!!」


 班の仲間が殺されるのを目撃したカゲヤマが車を降りてアストラルに銃を向けると、ヤジマが助手席から運転席側の外に飛び出し、外に居たカゲヤマを取り押さえて銃を奪う。


「何しやがるヤジマ! あいつは――」

「落ち着け、あれはアストラルだ。よく見ろ!」


 ヤジマは、大破した車の上から飛び降りるアストラルを指差した。


「あいつ、あんな髪色だったか……?」

「いや、髪色は変わっている。けど、あれは間違いなくアストラルだ」


 奇襲を受けたバイツァダスト達に、音もなく降って来たアストラルを確認する術は無かった。着地と同時に放たれたグラウンド・ゼロは、この場に居た者達全員が振り返ると同時に浴びてしまうタイミングの攻撃。


 何が起き、なぜ死んだのか。それを生き延びた者達に説明出来るのは、アストラルを置いて他に居ない。


「少し見ない間に随分と様子が変わったな、アストラル」


 アストラルは、最初に声を掛けたヤジマを無視し、ヤジマ達が乗って来た車に同乗していたタケミガワの元に行く。

 

「無事だったようだな。タケミガワ」


 車の扉を開けて話し掛けて来たアストラルを見て、タケミガワは戸惑う。

 

「な、何があったんだお前……どうして髪が…………」

「この髪は、今の私に助けが要らない証拠だ」


 ――第六感だけで動いている今のアストラルに、言葉を選ぶ事は難しいかもしれない。


「証拠って……何の――」

「もうこの世には居ない。生き物じゃないんだ、今の私は」


 タケミガワにとっては予想外の結末だろうが、私からすれば予定通りの結末だ。


 ――助けは要らないという主張は、私の我儘だった。


「じゃあ、今のお前は幽霊……なのか?」

「幽霊とは少し違う。一つの言葉で全てを結び付ける事は出来ないが、という認識が正しいだろう」

「残留物……?」

「この世界に住んでいた奴が残して行った物だ」



 タケミガワに遺言を伝えたアストラルは、車の中に居るミタカと目を合わせ、集まって来たヤジマやカゲヤマ、他の生き残りに「学生は全員無事だ」と伝える。


 無事だったのは学生だけ。学生の中に潜んでいたバイツァダストは全員始末してある。数分前にグラウンド・ゼロで殺したアイギスに関しても、アストラルに第六感でバイツァダストと見抜かれた連中だった。


 記憶を残している理由は、第六感ですぐに対処が出来るから。


 姿を変えて現れても、そいつが敵ならアストラルは攻撃する――――



「生徒の中に潜んでいたバイツァダストには、バイツァダストと呼ぶに至らない連中も居た。親に脅されていたり、逆らえない立場にある者も多かった」


 ホテルに入って廊下を進むアストラルに、アイギスを代表してヤジマが質問する。


「その生徒達も殺したのか?」

「殺した」


 即答したアストラルは宴会場の扉を開けて中に入り、生き延びた生徒達の無事をアイギスに確認させる。


「生かしたのは、ここに居る連中だけだ。かなり減ってしまったが、これにも訳がある」


 混乱を招く前に自分から「訳がある」と口にしたアストラルが、会場の前方にある舞台に上がり、ホワイトボードに図を描きながら説明を続ける。


 

 アストラルが最初に説明するのは、【バイツァダスト】と呼ばれる組織の仕組み――その正体。


「お前達が苦労している世界最大勢力の正体は、様々な世界で独自の進化を遂げたミームだ。ミームが自我を持って活動している」


 ミームを私の世界で例えるなら、【性質】がバイツァダストに該当する。


 物事を捉える時に用いられる型。遺伝子が生物を形成する情報であるのに対し、ミームは文化や社会を形成する為の情報。その生物の目に映る世界に関わっているものだ。



 ――地球は美しい。


 これが一つのミーム。


 ――この社会は醜い。


 これも一つのミーム。


 ――この組織は腐っている。


 これも、異なるミームによって形成された社会の観方みかただ。


 

「ミームの中でも異常な進化を遂げた部類に属する『バイツァダスト』を排除する方法は一つ。皆殺しにするしかない」


 方法が一つしかない原因は、バイツァダストが通常のミームとは異なる状態に在るからだ。

 

 通常のミームが脳から他者の脳に複製可能なのに対し、バイツァダストのミームは魂から生物の脳に複製が可能。


 ――つまりは、が存在する。

 

「潜伏期間が存在する以上、今は普通の女子高生でも、一定の年齢に達した瞬間、前世の記憶を思い出したかのようにバイツァダストとして覚醒する。連中は、『犯罪者予備軍』なんて生易しい表現じゃ足りない、犯罪を起こす事が確定している犯罪者だ」


 バイツァダストの正体がミームである以上、連中がどんな世界観を持っているかは伝える事が出来ない。


 ミームに関する話でアストラルがヤジマ達に求めているのは、今後も殺すしか選択肢が無いという事だ。


「アストラル。私を助けてくれた時のように、生徒達からミームを抜き取る事は出来なかったのか?」


 タケミガワの質問は、アストラルが暗黒面に入って敵の情報に干渉出来る事を知っている者なら誰でも抱く疑問だ。

 

 生まれて当然の疑問ではあるが、答えは「出来ない」の一択。


 ――どんな可能性を示されても、この答えは変わらない。


「そもそも、私がお前を助けた時の状況と、ここで殺した生徒達の状況は違う。魂から情報を引き抜く負荷に生徒の体は耐え切れないし、確定した未来を剥ぎ取る行為は、子供達から未来を奪う事にもなる」


 未来を見失い、社会の観方が壊れた生徒達を死ぬまで支えたとしても、生徒達が救われる事はない。社会を築く政治家の中にバイツァダストが居る限り、生徒達の脳には再びバイツァダストのミームが複製される。



 アストラルが口にした通り、皆殺しにするしかないんだ。



「生徒達を私が殺した理由は、これで全部だ。今生き残っている生徒達は、お前達も含めてバイツァダストと無縁の生き方をしている。正反対のミームに守られていると言っても良いだろう」


 ここまでは、地球で生きる人間にとって悲報。


 ――ここからは、地球で生きる人間にとっての朗報だ。


「ここまでは、どうする事も出来ないという悪い知らせばかりだったが、ここからはお前達にとって良い知らせだ」


 アストラルがホワイトーボードを裏返し、ボードの中心に描いた渦を見せる。


「それは何だ……?」

「記憶領域。分かり易く言うと、アカシックレコードだ」


 他の誰よりもアストラルの現状を問題視していたヤジマの質問が、タケミガワに驚きを与える。


 私の世界で神の記憶を取り込んだタケミガワだからこそ気付けた戦略。


 その戦略を伝える為に、アストラルが自分の額を指で示す。


「数時間前までここに在った私の記憶領域は今、この世界の記憶領域と同化している。アカシックレコードから観測や記録の権限を奪い、それを私物化した状態だ」



 世界の記憶領域に侵入し、観測と記録の権限をアカシックレコードから奪い取った私には、記録された情報を整理する権利がある。

 ただし、権利を獲得したのはあくまでも「記録」だ。まだ起きていない事柄に対して現世に「やれ」と命令する事は出来ない。


 私自身の口で説明出来るなら楽なんだが……どう説明するかはアストラル次第だ。


「その分野に詳しくない者には難しい話だが、事は単純だ。今生きている生物から足を奪う事は出来ないが、これから産まれて来る新生児に足を与えない選択は出来る。バイツァダストの立場から見れば、複製に必要な原本を燃やされた状態だ」


 狼として育てる事は出来ても、狼として産む事は出来ない。


 ――悪くない説明だ。


「つまり、原本を燃やした今、この世界にバラ撒かれた複製を全て始末すれば、奴らは倒せるという事か?」


 ずっと口を閉じていたカゲヤマが、初めてアストラルに質問した。


「その認識で問題ない。殺すのは来世の為だ」


 アストラルが「来世の為」と答えると、ヤジマが一歩前に出て質問する。


「お前の来世はどうなるんだ……」


 予想通り、ヤジマは私が自分を犠牲にした事を気にしている。


「そう悲観するな、ヤジマ・テツオ。私は、お前の娘の未来はもちろん、孫も、その先も、ずっとこの世界を観測する事が出来る。特等席でな」


 ヤジマの質問に答えたアストラルが、宴会場の天井を眺めて私と目を合わせる。


「私が知っているお前は、戦いに向いていない性格だった。甘くて、虫も殺せない臆病者……」


 ――そんな時期があったかもしれない。


「あったさ、そんな時期が……」


 流石は主人格。


 ――しぶとく生き残っていたようだ。

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