第40話 アストラル・ゼロ
――錬金術の起源は、その星の資源が枯渇する事を恐れた学者達だ。
彼らは卑金属から貴金属の精錬を試み、武器の素材に適した物質の生産や、従来の目的だった「金」以上に価値がある物を生み出し続け、化学が非化学の分野に到達するまでのその道を歩んだ。
そして、生物の体や魂を対象とする禁断の錬成術――人体錬成に手を出した。
人体錬成を行う学者達の多くが、第三者を素材にした等価交換。学者自身は観測者として実験を記録し、ひたすら何かを得るだけだった。
等価交換は、その言葉通り等価が重要。失う物と得る物、与える物と与えられる物、その黄金律が完璧であればあるほど、プラスとマイナスの間に生まれる「0」は洗練される。
――偉大な発明家は、最初から偉大だった訳じゃない。
――幸せが絶えない者には、いつか必ずその幸運を清算する不幸が訪れる。
――多くを失った者は、再び多くを手にする。
これで私は、真の意味で全てを失った。
※ 護衛任務三日目 午前19時30分 ちゅららホテル一階 プライベートビーチ ※
「……たしかに
ジョン・トライジアが連れて来たスライム状の生物を糧に人体錬成を行った私の目に、黒髪の少女が映る。
姿形は、髪の毛が黒くなった事以外は私のまま。それでも、夜空に向かって背伸びをする仕草や、体を左右に捻りながら海を眺める時の表情は、私とは似ても似つかない別人。
「しかしまあ、このタイミングで私を叩き起こすとは……相変わらず酷い奴だな」
氷川やタナトスではない誰かに話し掛けている少女は、自分がどういう状況なのかまだ知らない。
そして、人体錬成を行った結果、観測者としてこの世界の結末を見届ける事しか出来なくなった私には、それを伝える術がない。
「君は、さっきから誰と話しているんだ……?」
ジョンに聞かれた少女が、夜空に浮かぶ星に目を向ける。
「誰って、観測者に決まってるだろ。この世界の物語を見ている奴だ」
私がジョンに目を向ければ、少女も同じくジョンを見る。
「お前が誰かは知らないが、その研究室に引きこもってそうな顔と《しゃく》癇に障る喋り方からして、学者の類だな? 名前は恐らく、ジョン・トライジア」
私の姿をした全くの別人に対して不安を抱く氷川に目を向ければ、ジョンの名前を第六感で言い当てた少女も氷川に目を向ける。
「そして、そっちのお前は女子高生か。年齢的には私と同世代。男性が恋愛対象ではなさそうな顔だな。その人相と態度から判断して、ヒカワ・メグミといったところか。実に分かり易い生き物だ」
周りには、少女が生きているように見えるだろう。見た物を考え、頭で判断し、思い浮かんだ言葉を口にしていると。
――彼らのその考えは、全くの見当違い。
「そっちの学者が人質に取りそうな女の名前は、タケミガワ・リョウコ。居場所は、沖縄の米軍基地か。頑固者にピッタリの名前……ヤジマ・テツオが、今頃タケミガワを必死に探しているだろうな」
あらゆる情報を見抜く少女には、物事を考える為の「脳」が物理的に存在していない。それゆえ、「認知、判断、操作」といった直接的な情報伝達を介さず、第六感だけで行動している。
「なぜタケミガワの居場所を知っているんだ君は……君が錬金術の糧にしたナインに、その情報は無いはずだ」
「お前の顔を見れば容易に想像出来る事だ。その『ナイン』という奴も私の記憶には無いが、転移の半径はせいぜい数百キロだろ」
少女と言葉を交わすジョンに、このやり取りが「会話」として成立していない事を証明する術は無い。
少女は、端から会話などしていない。偶然この場に居合わせた「ジョン・トライジア」という人物が少女の独り言を耳にし、話し掛けられた気になって反応しているだけだ。
「なるほど。その考察力が、君の言った歴史的瞬間という訳か……少し、いやかなりの期待外れだね。何千回と熟読した論文を他人から改めて聞かされているような気分だ。正直ガッカリだよ」
――ジョンが喋り終えたタイミングで、少女が竜人のゼロを殴り倒しながら髪を白く発光させる。
「マルチバース・ディザスター!」
少女の髪が完全に白く発光すると、砂に埋もれたゼロがマルチバース・ディザスターを受けた者と同じ現象を起こして塵と化す。
私が剣を使って発動させていた物と少女が自力で発動させた【マルチバース・ディザスター】の違いは、その精度。攻撃がアカシックレコードに干渉しているのではなく、アカシックレコードが少女の敵に対して直接攻撃を仕掛けている。
言い換えれば、髪が白く発光している状態の少女は、アカシックレコードが人の形を模して敵を殲滅している状態。剣という媒体が不要になった事で、情報を見落とす事なく殲滅対象を正確に捉えている。
生き残るのは、少女の第六感によって【害がない】と判断された世界線の味方だけ。
敵味方を問わず滅ぼすしかなかった時代が今、大きな音を立てて終わって行く――
「セブン! 彼女を吸収しろ!!」
ジョンの指示を受けたタナトスの一人が、少女に後ろから抱きついて強制的に融合を試みる。
「グラウンド・ゼロ」
融合されそうになった少女の体から光の波紋が発生し、広がり続ける波紋が背後に居たタナトスを始め他のタナトス達まで塵にして行く。
波紋が体を通り過ぎても異変が起きないのは、天使を目撃しているような目で少女を見つめる氷川と、悪魔を目撃しているような目で後ずさりをするジョン。
上空を飛んでいたヘリコプターが制御不能に陥って海に墜落して飛沫を上げると、ジョンが砂を撒き上げる程の脚力で少女から離れて行く。
「――逃がす訳ないだろ」
逃げる事が分かっていたからこその台詞。
少女が左手を前に出し、走り去るジョンの背中に左手の位置を合わせる。
「アブソリュート・ゼロ」
少女が左手を閉じると、走り続けたジョンがその勢いを殺すことなく塵に変わって姿を消す。
マルチバース・ディザスターを体外に放出して周辺の敵を一掃する技――グラウンド・ゼロ。
狙いさえ定まれば物理的な距離に囚われる事なくマルチバース・ディザスターを叩き込める――アブソリュート・ゼロ。
魔法じゃないから技の名前を口にしなくても攻撃は出来るはずだが、所詮は十七歳前後の少女……編み出した技に名前を付けて口にしたい年頃なのだろう。
私から見れば、元の髪色に戻るあの少女は――歩く黒歴史。
これから先、何を口にする事やら……第六感で行動しているだけあって、かなり不安だ。
「ここまで強く成ってくれていたのか、お前は……」
少女が、氷川に見えない位置で控えめに勝利を喜ぶ。私なら絶対に取らない行動だ。
「アスちゃん……で良いんだよね?」
氷川に話し掛けられてから振り向いているように見えても、実際はそうじゃない。氷川が話し掛けたタイミングで、少女がたまたま振り向いただけ。
「そうだ。少し姿が変わったように見えるかもしれないが、私である事に変わりはない。安心しろ」
――この言葉も少女の独り言。
「なんか、雰囲気違うね。髪が黒いせいなのかな……なんだか、若返ったように見える」
右肩を回して体の軽さを調べた少女が、自分の頭に右手を添えてから口を開く。
「たしかに若返ったかもな。頭の中が妙にスッキリしている。寝不足、疲れが取れたような感覚だ。とても気分が良い」
今の私に、手足を動かせるような感覚は無い。在るのは、少女を観測し続ける視点のみ。
「ん……?」
そう思っていると、少女が空を見上げて私と目線を合わせて来た。
「どうしたの? アスちゃん」
「いや、何でもない」
間違いなく、少女は私に観測されている事を自覚している。
「それより、寒くなって来たな? ホテルに戻ろう」
「ァァ、私は別に構わないけど、良いの? タケミガワって人が攫われてるんじゃ……」
氷川がタケミガワの状況を覚えているという事は、マルチバース・ディザスターで消えたのはジョンやこの場に居たタナトスだけ。少女は、対象を絞る事にも成功しているようだ。
「そのタケミガワという女に関しては、ヤジマ・テツオが対処するだろう。借りを作りたくなさそうな名前だからな、二度も私の手を借りるとは思えない」
――たしかに、借りないだろうな。
「その人も、アスちゃんみたいに強いの?」
「テツオの事か?」
「そう、そのテツオさんって人。念の為に行ってあげた方が良いんじゃない?」
「行けばテツオの悩み事が増えるだけだ。私がここに残っていた方が、あいつは強さを発揮出来る」
ヤジマの事を「テツオ」と呼び始めたり色々と違和感があるものの、この調子なら今後もあの少女は【アストラル】として生きていけるだろう。
一人の少女を除いて誰にも観測されなくなった私の名は、凶王だけで十分。
これからは、彼女がアストラル……アストラル・ゼロ。
――この私が、そう名乗る事を許す。
「あ、そういえば氷川? お前に聞きたい事があったんだが」
「何?」
「お前はどうして男同士の恋愛が好きなんだ?」
「え!?」
――唐突だな。
「えぇっと……ど、どうしてそんな事を急に聞くの?」
「気になって仕方がないからだ。そうなった要因は何だ?」
これは、人体錬成前の雑念が原因だろう。私のせいだ。
「いやぁ、なんて言えばいいのかな……男同士の恋愛が好きっていうのもちょっと違うかな? 二次元なら良いっていうか、カッコいい人同士なら良いっていうか……」
言葉のキャッチボールが成立しないアストラルに対し、氷川が浪漫を語る――――
ヒーローの引き立て役は、魅力的なヴィランを置いて他に居ない。悪が在ってこその善。
女性を虜にするほど美しい吸血鬼。
悪い奴でもどこか憎めない青年。
母性にぶっ刺さる小悪魔的な少年。
好きな者同士が愛し合う事は、氷川にとって何よりも幸福。
ある種の哲学だ。
「好きな者同士が愛し合う、か……」
目を閉じて考え込むアストラルと一緒になって過去を振り返れば、絶滅寸前だったダークドラゴンの卵が孵化する瞬間に立ち会えた時の事や、逆子で苦労していたミノタウロスの出産を手伝った日の出来事が昨日の事のように思い出せる。
孵化したばかりのダークドラゴンは、本能的に母親の元に向かい、幸せそうな顔をしてミルクを飲んでいた。
産まれて来た赤子が鳴き声をあげた時のミノタウロスの夫婦も、互いに身を寄せ合って神秘的な光景を私に見せてくれた。
あの表情、あの光景が、氷川が語った幸せの一部。
「ふむ……」
「あの、アスちゃん? 無理に共感しなくて良いよ?」
「別に無理はしていない。ただ、上手く言えないだけだ」
「そっか、それなら良いんだけど。あんまりぃ、他の人に私の趣味を言わないでもらえるかな、出来ればで良いんだけど……?」
――口は禍の元だしな。
「その点は心配するな。この話題は、これで終わりだ」
「良かった。ありがと……」
「ああ」
良い雰囲気だ。
人体錬成の副産物に近いアストラルはこのまま放置しても問題ないし、ヤジマの様子でも見に行くか。
アストラルの話では、ヤジマが探しているタケミガワの居場所は沖縄の米軍基地。
何事もなく終わってると良いんだが、どうだろうな。
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