第38話 ◆原点の物語 その2◆

 ◆ アース0 ギルメス世紀 とある場所 ◆


「さ、口を開けて? あー」

「あー!」


 ――頭の中がザワザワして眠れない。

 

 眠れない事を家族に打ち明けたその日、母は何も言わず王都の精神病院まで私を連れて行ってくれた。


「はい、良いよ。じゃ次は、シャツをめくって後ろを向いて?」

「はい」


 シャツをめくり上げて後ろを向けば、診察室の鏡に自分の顔が映る。


 眠いのに寝れない。寝ているはずなのに疲れが取れない。頻繁に目眩がする。息苦しく、起きている時は体がフワフワしている。


 医者から聞かれる事を素直に答えた後は、ベッドに仰向けで寝転んで目を閉じる。


「良いかい? 頭の中で、水を思い浮かべてくれ。川を流れる綺麗な水だ。沼のようなドロドロした物じゃなくて、サラサラしている水だ」

「……分かりました」


 言われた通り水を思い浮かべると、必然的に水路の役割を果たす岩や土、その周辺にある森まで一緒に現れる。


「アストラルさん? 水だけを思い浮かべるんだ。それ以外の物は思い浮かべなくて良い。何も無い空間に、一滴の水滴が浮いているような感覚だよ」


 聞こえて来る医者の声に従って何も無い空間に一滴の水滴を思い浮かべると、その水滴を浮かせている人の手が現れる。その人は暗い顔をしていて、暗闇で蝋燭の火を眺めるように水滴を見つめている。


 ――暗い顔をして水滴を眺めているのは、私の母だ。


「ふむ……はい、良いよ。お疲れ様。体を起こして、楽な体勢で休んでくれ」

「はい」


 体を起こしてベッドに座ると、私の頭の中を覗いていた医者が眼鏡を外す。


「アストラルさん。ちょっと外に出ててくれるかな? お母さんと話したい事があるんだ」

「分かりました……」


 こういう時の大人は、決まって私の前では言えない事を母に言う時だ。

 

 母から上着を受け取って外に向かえば、扉を閉めるその瞬間に、椅子に座る母の背中と、目を押さえて今にも激怒しそうな医者の仕草が目に入る。


 ――恐らく、あの医者は私が扉を閉めた直後に机を叩いて怒鳴るだろう。

 


『アトリアさん。一体何を考えているのですか!?』


 思った通り、医者は机を叩いて母を怒鳴った。


『あの子はの性にあります。洗礼を受けた時に言われませんでしたか? 細心の注意を払って接するようにと』

『あんなものはただの迷信です』

『迷信だとしても、あの子が狂ってしまったのは事実です。あの子はどう見ても普通じゃない。普通の子供は、魔法を使う時に母親の姿なんて想像しない!』


 川を流れる水を想像した時も、その川辺には母の姿が在った。母は川に足を浸し、水の中で遊んでいる私を見て微笑んでいた。


 何をすれば、「あなたは間違っている」と叱ってくれるのか。ずっと考えて、魔法を使う瞬間に迷いが生じる。


 私のは、間違っているのではないかと――



『先生は、私があの子を苦しめていると言いたいのですか?』

『はい、苦しめていると断言します。もう手遅れの域にある。何をしようと、あなたがあの子にして来た事は消せない』

『そうですか……それは、これ以上無いほど良い知らせですね』


 ――忘れてもらっては困る。

 

 自分がして来た事を忘れさせるつもりはないと主張した母が、椅子から立ち上がる音を響かせて診察室の扉を開ける。


「アトリアさん、どこに行くつもりですか? まだ話は終わっていませんよ」

「いいえ、もう十分です。娘の事をと判断してくださっただけで、高額な医療費を払う価値はあります。お世話になりました」


 会計の順番を待たず、母が代金を会計口に置いて病院を出て行く。

 

「何をしているの、アストラル。行くわよ」

「はい……」

 

 乗って来た馬車に母と乗り込めば、扉を閉めてくれた用務員の合図で馬が雄叫びをあげて歩き始める。


 優雅に街を進む馬車からの眺めは、退屈の極み。


 トコトコトコトコ、カラカラカラカラ。


 馬の蹄の音と車輪の音が客室に響く。



「良かったわね、アストラル。あなた、狂ってるらしいわよ」


 後部座席で後ろを向いて外の景色を眺めていると、母が話し掛けてくれた。


「それは、良い事なのですか?」

「良い事よ。これ以上悪くなる心配がないって事なんだから、良い事に決まってる」


 前を向いて椅子に座り直すと、向かいの席に座っている母の目に涙が見えた。


 ――良い事に決まっていると言った母が、私の顔を見て静かに泣いている。

 

「良い事なら、どうして泣いているのですか?」


 質問すると、母の顔が歪んでいく。

 街灯を一つ通過する度に顔の歪みが増し、唇が震え、何か言いたい事がある様子で唇を噛み続ける。


「……お母様にとって、私が狂う事は悪い事でしたか?」


 ――口にして、残酷な必要だと理解した。


「……スンッ。ええ、そうね。私にとっては、悪い事だわ」


 ドレスの裾を握り絞めて下を向く母の姿が、私の頭の中を浄化して行く。詰まっていた物が取れて行くような感覚だ。


「どうしてお母様は、私を壊したのですか?」


 ――今はただ、理由が知りたい。


「ハッ……スンッ。フゥーッ…………スンンン……ハァーッ…………」


 ――どんな理由があろうと、私に母を責める気はない。


「壊れて行くあなたの姿を見るくらいなら、私のせいで壊れてしまったあなたを見る方がマシだったからよ。あなたは悪くない。あなたを狂わせたのは私達で、あなたは何も悪くないの」


 母は、この世界に古くから根付いている「性質」の事を話している。


 性質は、その者の生き方の事だ。王の性にある者はその座に相応しく、悪人の性にある者に善人は務まらないという考えの一種。


 ――アストラル・フォン・エヴァレンス。


 私にその名が与えられた時、私は【凶王】の性にあると宣告を受けた。


 この世界で最も忌み嫌われている性質――それが凶王だ。


 凶王が嫌われる理由は様々だが、一般的には「扱いが難しい人物」という理由がある。


 気難しく、慎重に扱わなければ狂ってしまう問題児。気が短く、事ある毎に過剰な反応を示す人物という意味もある。


 しかし、一説によると、凶王が忌み嫌われる真の理由は一般的なものとかけ離れているらしい。


 凶王が忌み嫌われる真の理由は、真実を感覚的に見抜いてしまう心眼にある。自分以外の狂っている者を見つけ出し、それを排除しなければ気が済まないという凶暴性だ。


 ――相手の性質を見抜く心眼が、凶王を狂わせる。



「あなたが私の顔色をずっと気にしているのは、凶王に備わっている心眼のせいよ。あなたは、私の行為の裏にある真意を無意識に見抜いている。好き好んでやっている訳ではないと見抜いているから、私の顔色をずっと気にしているの」


 母は、ヘンドリックに関しても同じだと言う。


 ヘンドリックが私のせいで傷付いていると見抜いているから、異国の王の目的が人間を守る事ではないと見抜いているから、その真実を隠そうとする相手と上手く行かない。


 ――隠したところで、凶王の心眼は騙せない。



「良い? アストラル。私があなたにずっと言って来たは、『自分を信じなさい』って意味よ。周りに騙されちゃダメ。あなたの周りは、狂っている人で溢れている。だから苦しいの。あなたが苦しむ理由は、あなたが正しいからなのよ」


 母の言葉は、いつもと違って重くなかった。


 無責任な、何の確証もないただの世間話。ずっと前からこういう話がしたかったと自信を持てるほど嬉しい言葉だ。


「あなたはこの先、その性質のせいで辛い思いを沢山する事になるわ。そして今のあなたじゃ、心眼が伝える真実には耐えられない。だから、もっともっと壊れなさい。狂いなさい。絶対に辿り着いてはいけない答えに辿り着くまで、自分を見失いなさい。それしか方法は無いと感じた時が、前に進む時よ」


 恐らく、ヘンドリックが私を付き人に選ぶ理由は、最高の国を作る為だろう。最低を知らぬ王に最高の国は作れず、知ったところで平和な国が現れる訳でもない。


 エヴァレンス一族が住みたい国は、両端を目指す二人の間に生まれる国。


 言うべきか、言わざるべきか……聞くなら今しかない。


「……お母様、一つだけ質問をしても良いですか? 出来る事なら、正直に答えて頂きたい質問です」


 ――私がだったら、きっと父に聞いていただろう。


「何?」

「魔族を守る為に、魔界の統治者に成りたい。そう思う事は、人間として恥ずべき事でしょうか……」

 

 ――ヘンドリックの側に居なくても、彼の為に出来る事がある。


「それは、ヘンドリックの為にやろうとしている事なの?」

「はい。彼は、私の良き理解者です。付き人である以前に、失いたくない親友です」


 ヘンドリックがそれを望まない事は分かっている。異国の王が許さない事も容易に想像出来る……それでも、誰かが前例を作らなければならない。魔界を統治した者の中に人間が居たという歴史を作る事が重要だ。


 ――私達人間は、まだ魔族を理解出来ていない。


「……魔界の統治者に成るという事が、どういう事か分かっているの?」

「はい」

「その道を行くなら、あなたは一人になるわよ? 私達は人間の一族。魔族の肩は持たない」

「それも分かっています……」


 エヴァレンス一族全員で魔族の肩を持つ事は出来ない。魔族に、私達エヴァレンス一族を信用しろと言うのは無理難題だ。


 何の力もない少女が、自力で魔界の頂点に立つ必要がある。家族の反対を押し切り、自分の意思でここに居る事を示さなければいけない。


「一人で、大丈夫なのね?」

「はい、大丈夫です」

「魔界の頂点まで上り詰めるのは、簡単じゃないわよ? あなたは人間。魔族からすれば、家族の仇」


 ――息を整え、母の目を見てハッキリと伝える。


「問題ありません。私は、今の魔界の頂点に上り詰める気はありません。頂点に成ります。魔族達には、私が立っている場所まで上って来てもらう」


 逆に言えば、上って来れない奴は始末するしかない。


 ――統治とは、そういうものだ。


「そうですか……分かりました。良いでしょう、アストラル。あなたの覚悟は、確かに受け取りました。具合が悪い事を家族に打ち明けた事といい、少しは成長出来ているようで何よりです。あなたを産んだ実の母として、あなたの成長を誇りに思います」


 改まって褒められると、どこか照れくさい……初めての感覚だ。


「その道を行くとこの私に宣告した以上、もう引き返す事は許しません。エヴァレンス一族を含め、全人類を絶滅させてでもその夢を叶えなさい。友を信じ、天秤が釣り合う事を祈るのです」


 皮肉にも、この世界で一番の名医は、私が産まれた時から知っている人物だった。


 アトリア・フォン・エヴァレンス。


 ――最愛の母だ。

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