第37話 ◆原点の物語 その1◆
◆ アース0 ギルメス世紀 とある一日 ◆
正しい事をしなさい。
両親から言われた一つの言葉が、何を見ても頭の中で囁いていた。
――どんな時でも。
「4月に入り、魔族の被害に遭ったという人里の数は760件。その内、各国の冒険者ギルドによって駆逐された魔族の巣窟は120件。どう考えても人手不足だ。この調子では、魔族が活発化する7月に予定されている掃討戦に影響が出る。何か良い方法は無いか?」
大国の王が集う会議の最中でも、私の頭に響く声は同じだった。
若き王の付き人として、私には正しさというものが分からない。
「ヘンドリック王。15という若さで王都の玉座に就いたあなたにお聞きしたい。出来れば、あなたの後ろに居る付き人にも是非」
異国の王に意見を聞かれたのは、私の友であり、王都の若き王ヘンドリック・ドルトール。
――ヘンドリックは、私の良き理解者だ。
「アストラル、アストラル」
異国の王に対する答えを考えていると、ヘンドリックが私の名を呼んだ。
「大丈夫か?」
「ああ、問題ない。少し、考え事をしてた……」
明るい髪、爽やかな笑顔、不安を拭う眼差し。
年齢はともかく、王都の王に相応しい言動を身に着けているヘンドリックが私は羨ましい。
「あちらの、クルペイン王が君の意見も聞きたいと。話せるか?」
「ああ。いや、はい……」
王都の王の付き人が、正しさを理解出来ない私で良いものか。そう考えた時、自分の中で「良くない」という答えがすぐに出る。
それなのに、ヘンドリックは私を付き人として選び続ける。
――選ばれているからこそ、ヘンドリックの評価を下げたくない一心で嘘をついてしまう。
「あー、私は……何と言いましょうか。その……」
正しい事をしろ。
正しい事をしろ。
正しい事をしろ。
正しい、事を……しろ。
「ふむ……アストラルよ。お前はヘンドリックに選ばれてこの場に居る。楽に話せ。子供らしく、思っている事を正直に言って構わない」
――そう言われて正直に話せる奴は子供じゃないんだ、王様。
「では、遠慮なく……」
でも、そう言ってくれて楽になれたのは事実。その点は感謝しよう。
その思い遣りを人間以外に向けてくれれば、どれほど救われたか。
――それを告げる時だ。
「フゥ……はっきりと言わせてもらうが――」
言え、言うんだ。
「お前達のやっている事は――」
ヘンドリックの為にも、ここでハッキリと宣言しろ。
「実に愚かな行為だ」
――魔族は倒すべきじゃない。
そう断言した直後、私の意見に興味を持っていた王達が椅子の背に身を預ける。
これがこの世界の現実。
目の前にある灯りが火だと知った時、多くの者がその火から手を引き、鎮火を図る。
――世界中の王が、その意思を態度で示している。
「愚かな行為、か。なるほど? ヘンドリックの友であるお前は、我々が人間を守る為に行っている取り組みについて、そう考えているのか」
「魔界に攻め込んでまで殺しているくせに、何が『守る』だ。襲われている村は、お前達が勝手に自分の物だと主張し始めた土地だろ」
「人に危害をもたらす害獣共に土地を主張する権利などない。天界から見放された廃棄物を処理し、汚染された土地を取り戻す事のどこに問題がある?」
「汚染しているのはお前達の方だろ!」
「汚染しているのはお前の方だ。アストラル・フォン・エヴァレンス。お前のその認識がヘンドリックを傷付け、人間社会を汚染している」
言い返せず会話が途絶えると、机に両肘を着いた一人の老王が口を開く。
「ヘンドリックよ。付き人に選ぶべき人間を間違えたな」
――こいつ!!
「間違えただと……? 誰が……誰だそんな偉そうな事を言う奴は…………今の言葉を取り消せ!!」
ヘンドリックの選択が間違っていると決めつけた老王に向かって左手を向けると、各国の王の付き人が一斉に武器を抜く。
「よせアストラル!! 魔法は使っ――――」
「バニシング・フレア!!」
――ヘンドリックを右手で振り払って魔法を使うと、左腕の内側から血と炎が噴き出す。
「いかん、魔法の暴走じゃ! そやつを気絶させろ!!」
――傷口から噴き出す炎で皮膚が裂けると同時に、世界が大きく揺れた。
膝から崩れ落ち、息をしているかも分からない。完全に倒れても目を閉じる事が出来ず、脳ミソの中で何かの液体が垂れているような感覚だけが残る。
何かの結界に閉じ込められ、結界の中に流し込まれる水に溺れ、意識が薄れていく。
「アス――か!? しっ――――じゃない! アストラル!!」
あぁ……すまない、ヘンドリック。
そういえば、魔法を使っちゃいけなかった。
◆ 数時間後 ◆
「どうですか? 先生。娘の容体は」
――体の芯に響くこの重い声は、父の声だ。
「以前より症状が酷くなっています。感情が芽生え始めて間もない年頃の子にありがちな症状ですが、この子の場合は私が診て来た子の中でも特に酷い。頭の中がグチャグチャです」
この頼りない声は、魔法の暴走で焼け死んだ前任の代わりか。
嫌だなぁ……このタイミングで目を開けて起きるのわ。
「アルタイルさん。この子には、いつから魔法を教えていたのですか?」
「0歳から教えています」
「え……ぜ、0歳からですか?」
「はい。私の妻は、毎晩この子に『正しい事をしろ』と言い聞かせて来ました。晴れの日は笑顔で、雨の日は冷たい顔で、嵐の日は殺意に満ちた顔で」
なぜそこまでと聞いた医者に対し、父は「一族の為に」と答えた。
ヘンドリック王の付き人として私が選ばれれば、一族の将来は安泰。知らない間に歴史の表舞台から姿を消す貴族や王族と違い、王都が「王都」で在り続ける限り、エヴァレンス一族は王都の歴史にその名を残し続ける。
エヴァレンス一族の望みは、世界最高の貴族に成る事ではなく、世界で最低の貴族となり、最低の貴族として最高の王族の隣に居ること。
――エヴァレンス一族は、プラスとマイナスの間に生まれる「
「失礼します、ご主人様。奥様がお戻りになられました」
屋敷全体の空気が変わる。母が家に帰って来た時は、いつもそうだ。
父と母、どちらが屋敷に居るかは、外から見ても雰囲気で分かる。
コトンッ、コトンッ。
階段を上がって来るその音が近付いて来るたびに、頭の中であの言葉が繰り返される。
その連鎖が止まるのは、母の足音が扉の前で止まり、ドアノブが軋んだ直後。
「帰ったか、アトリア」
母と最初に言葉を交わすのは、いつも父が最初だ。
「ええ、帰ったわ。それで、私達のアストラルは、今日はどうしたの?」
自分の物ではなく、一族の物。そう言っているも同然の母の足音が、私の顔の横で止まる。
「国の定例会議に出席中、魔法を使おうとして暴走したそうだ」
「どうして会議で?」
「ここに連れて来た奴の話によると、どこかの老王がヘンドリックの選択を間違っていると決めつけたらしい」
「あらそう……」
母がベッドに腰かける音がすると、生暖かい手が私の頭を撫でる。
「それってつまり、どこかの老王が、私達のアストラルを怒らせたって事よね? この子を選んだヘンドリックを悪く言って、この子を傷付けた」
「ただ傷付けただけじゃない。そいつは、俺達の娘を結界に閉じ込めて、水魔法で溺れさせた」
「だとしたら、これはもう戦争ね」
頭を撫でていた手が私の胸を軽く叩き、母の重みと共にベッドから離れる。
「ペケット。今すぐヘンドリックの元に行って、議事録を確認して来なさい。どこの国の王が私達の娘を虐めたのか調べあげるのよ」
「奥様。その件でしたら、既に確認は取れています」
いつもの事だから、屋敷の使用人も対応が早い。
「どこの国だ?」
「ハコベインの渓谷を超えた先にある鉱山地帯。そこの南側に在るアイマンド王国の老王です」
父が知りたいのは、どこの誰かではなく、そいつが何処に住んでいるかだけ。
「鉱山地帯か。ドラゴンの一斉攻撃を凌ぐほど頑丈な砦を築いている地域だな。どうする? アトリア」
「量ではなく質で叩き潰すしかないわ。アトラス叔父様のスペリオルカイザーを借りましょう。あのドラゴンなら、一発で200キロ圏内の土地を吹き飛ばせる」
私が言わなくても、母は父より理解している。
私が怒った理由も、魔法を使った理由も、魔法を使うと制御出来なくなる理由も、母はすべて理解している。
「あ、あの……わ、私は次の患者があるので、ここで失礼します。今の話は聞かなかった事にしますので…………でで、ではお大事に!」
私を診に来てくれた医者の判断は正しく――
「彼、急にどうしたのかしら……」
「用が済んだから帰っただけじゃないか?」
「そう……お茶くらい飲んで行けば良かったのに」
「喉の渇きより患者の命が優先なんだろ。優秀な医者はみんなそうだ」
急いで屋敷を出て行った医者を「優秀」と判断する両親も正しい。
「お母様、お父様? どこに居るのですか? アストラルがまた倒れたと聞いたのですが!」
――この騒がしい声は、姉のエレクトラだ。
「ここよ、エレクトラ。二階、アストラルの部屋よ」
ダンッ、ダンッ、ダンッ、ダンッ。
大きく足を上げて階段を上がって来る姉の音は豪快で、扉を開ける時もその豪快さは健在。
「アストラル!」
部屋に入って来て早々走って来た姉が、私の両手を掴んで自分の額に当てる。
「あぁそんなアストラル……誰がこんな酷い事を…………許せない。許せないわ、生かしてはおけないわ!!」
――流石に、このまま寝たフリは続けられない。
「うぅ、エレクトラ姉さま……?」
目を開けると、そこに母と父は居なかった。
部屋に居るのは、目覚めた私を見て涙を浮かべる姉と、部屋の隅でタオルを交換している使用人のペケットだけ。
「……姉さま、お父様とお母様は?」
――姉の姿は、異なる世界線を生きている私に近い。
「え、あれ? さっきまでそこに居たけど、変ね。どこに行ったのかしら」
体を起こして辺りを見渡しても、父と母の姿はない。
「奥様と旦那様なら、つい先ほど、転移魔法でアトラス叔父様のお屋敷に向かわれましたよ」
そう言って、ペケットが私の頭に分厚い布で覆われた兜を被せる。
「アストラル様。間もなく大きな地震が起きると思いますので、揺れが収まるまでの間は、その兜を外さないようにお願い致します」
ペケットの警告から数秒後、何処かの国が土地ごと吹き飛ばされた合図と言える地震が起き、尻が浮くほどの振動が続く。
「ねぇペケット、アトラス叔父様が飼ってるドラゴンって、この星で育ったんだっけ?」
「はい。幼体の頃からタイタンを食べさせていたので、タイタンを除く生物の中では最強格だと、アトラス叔父様が自らおっしゃっていました」
魔法が使える姉とペケットの会話は、兜を被っていてもしっかりと聞こえる。
「タイタンを餌にするのって、法律違反じゃなかったけ?」
「全てはアストラル様を守る為でございます。アストラル様が元気で居てくださるなら、エヴァレンス一族の皆様は他に何も望みません」
揺れ続ける世界の中で、兜を押さえて揺れに耐え続ける私の肩を姉が掴む。
「良かったわね、アストラル! こんなに家族から愛されている子なんて、世界中どこを探してもあなただけよ!?」
それが良い事なのか悪い事なのか、私には分からない。
誰か……誰か私にそれを教えてくれ!
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