第33話 ※ヤジマ・テツオの祈り※

※ 護衛任務二日目 午後22時20分 アイギス沖縄支部 隔離室 ※


 静かな部屋に、心電図モニターの音が鳴り響く。


「フー、ハー、フー、ハー……」


 機械に酸素を供給されながら呼吸を続けるタケミガワの姿は、彼女の身に起きた事をアイギスの隊員達に伝えるには十分過ぎた。


 切断された手足は熱で溶かされたような傷を残し、高熱に晒されたであろう目蓋は消失。数時間に及ぶ手術で人工的な皮膚を移植して目蓋を作る事には成功したが、全身の皮を剥がれた状態に近いタケミガワの生死は、心臓が再び動き出すまで不明だった。


 果たして、ここまで追い込む必要があったのか。誰の目も届かない場所で行われたアストラルの制裁には、様々な意見が出ているだろう。


「俺に殴られた方がマシだったろうに、馬鹿な事をしたな……」


 隔離室に運び込まれて以来ずっと側に居続けているヤジマが、目を覚まさないタケミガワに語り掛けた。


 ヤジマの目線は、数時間前に隊員の顔を蹴り続けた自分の靴。軽く拭いた程度では拭い切れない返り血が、アストラルとの違いを物語る。


 多くの者が感謝の言葉の代わりに恐怖を口にしたせいで、タケミガワを連れて来たアストラルもどこかへ行ってしまった。

 

「でもま、お前もこれで少しはあいつを理解出来ただろ。あいつは最初から味方じゃない。味方じゃないから助ける必要もないし、助けられるほど俺達も暇じゃない。あいつは、身をにしながら働くなんだ」


 大人になっても子供のような失敗を繰り返す者は多い。

 過酷な労働環境に耐え切れず転職を繰り返し、自分の才能を活かせる場所や方法を探して何も出来ない人間に成って行く。

 何をやっても「これじゃない」という違和感を感じ、先入観に囚われて行くのが人間の悪癖と言える部分。


 かつてはそんな人間の一人に過ぎなかったであろうアストラルは、嫌な事から逃げるのではなく、嫌な相手を殺す事で周りから避けられ続けた狂人。タケミガワを連れ帰った時のアストラルが、まさにその状態だった。


「あいつの強さは、人助けには使えない。それでもやってくれたのは、あいつの原点が他者の救済だったからだろう。自分の世界で出来なかった事をしてるだけだ、あいつは…………」


 誰の為でもなく、自分の為にやっていること。

 アストラルに出来ない事を知り、アストラルがやりたい事を知ったとヤジマは語る。


「とにかく、まずはゆっくり休め。助けてもらった礼は、自分の口で――」

「ありがとう、ヤジマ……」


 膝を叩いて席を立った直後、タケミガワがヤジマを引き留めるほどハッキリした口調で声を発した。


 意識が回復している事を本人から知らされたヤジマは、ため息をついてもう一度椅子に腰を下ろし、飲み干した空き缶を指で叩きながら返事をする。


「礼を言うべき相手は俺じゃないぞ」


 煙草の灰を落とすような動作で空き缶を叩くヤジマの言葉は、迷いに満ちていた。頭に浮かんでいた返事はどれも正解で、何を言っても同じ物を感じる言葉だろう。


「あいつに礼なんて言ったら、また怒られるかもしれない……」

「フッ……それはそれで見てみたい光景だがな」

「笑い事じゃないだろ……」


 どんな返事が来ても、ヤジマ・テツオという一児の父親の目には涙が溢れる。


「……で、実際のところどうなんだ? 強かったのか、アストラルは」

「強いなんてもんじゃない。あいつは、世界のルールを書き換えて攻撃出来ない世界にしても、平気で殴り掛かって来た」

「まるで神にでも成ったような口ぶりだな。そのルールの書き換えは、お前がやったのか?」

「ああ、やれる事は全部やった。全能の力を借りて概念操作や理屈を改変しても、あいつには何の影響も無かった」


 一時的に全能の力を得ていたタケミガワが、アストラルに対して行った様々な攻撃を明かす。




 天界で全能の力を得た事により、攻撃に移る動作が不要となったタケミガワは、アストラルの前に現れる以前から様々な攻撃を仕掛けていた。

 

 タケミガワがアストラル戦で取った行動は大きく分けて四種類。

 一つは、アストラルの世界全体の法則を書き換え、自分以外が何も行動出来ない世界の創造。

 二つ目は、アストラル本人の情報を書き換えて因果を操作し、「攻撃」という行為に伴う結果を「回復」にすり替えること。

 三つ目は、自身が必ずアストラルよりも上位の存在に成る強化。

 四つ目に関しては、高次元から攻撃を仕掛けて、アストラルの存在を消し去る断続的な攻撃。


 これ等の対策、攻撃は、アストラルを倒す有効打に成らなかった。


 タケミガワがアストラルとの戦闘で感じたのは、口にした食べ物の中にプラスチックが紛れ込んでいた時のような手応え。食べられない物、勝てない相手、そういう類の――――




「自分のやっている事がアストラルに影響を与えているという手応えはあったが、動きを止める事も出来ず、攻撃を私の回復にする事も出来なかった」

「反抗期だったんだろ」

「反抗――グフッ、ムフッ、ゴホッ、ゴホッ!」


 泣いているのかむせているのか分からないタケミガワの反応が、ヤジマの顔に笑顔をもたらす。


「痛っ、ウゥ……反抗期か」

「お前にもそんな時期があっただろ。門限を破ったり、やれと言われた事をやらなかったり」

「それと同じだというのか?」

「あいつにとっては同じ事だろう。何にせよ、お前は丸焼きにされてここに居る。それが結果だ」


 結果を受け入れろと言われたタケミガワが、潰された手足を動かして体を確かめる。


 両手両足は、肘と膝から先が欠損。包帯で覆われた体は痒みと痛みを伴い、体を起こそうとすれば背骨が音を立てる。


 治療にかなりの時間が必要な事は、誰の目にも明らか。言葉で伝える必要もない。



「……任務はどうなった?」

「あと一時間ほどで三日目だ」

「もう三日目か。早いな……敵は?」

「元部の学生に近寄る不審者を数名確保したが、どこから来たのか聞こうとしただけの団体客だった。大阪の女子大生だ」


 無事に三日目を迎えつつある報告を受けたタケミガワが、最後にアストラルの居場所を聞く。


 残念ながら、アストラルの居場所は不明。携帯を持っているから連絡は可能だが、礼すら言えなかったアイギスの誰が連絡を入れるかという問題がある。

 居場所を調べないのはアストラル側の問題ではなく、自分達のやり方でやると主張する派と、まだ助けが要ると主張する派に別れたアイギス側の問題。


 タケミガワの代わりを務めるように自分達のやり方を主張し始めたのは、【カゲヤマ・シン】という名の若い隊員。勇者の取り調べの際、ヤジマと喧嘩をした人物だ。


「またカゲヤマと喧嘩をしたのか……」

「地球の危機を救ったと言って欲しいね。あいつがアストラルに手を出してたら、今頃この基地は吹き飛んでる」

「この基地だけじゃ済まないだろ……」

「ならこれで一つ貸しだ。忘れるなよ」


 席を立つヤジマには、まだまだ話したい事が沢山あるだろう。そしてその多くを話す機会は、タケミガワが生きている限り幾らでも作れる。


「もう馬鹿な真似はするなよ」


 入り口の端末にカードを刺し込んで隔離室を出たヤジマは、廊下を歩きながら携帯を取り出す。

 電話帳を開いて表示される番号は、回復魔法を使える保育士の女。


 頼むべきか、安全な場所で娘を守ってもらうべきか。その迷いが親指に現れた時――


「ヤジマ・テツオ、で間違いはないかな?」


 喪服の老爺ろうやがヤジマに声を掛ける。


「……そうだが、お前は誰だ?」


 ヤジマが携帯をポケットに入れて返事をすると、老爺が杖をつきながら近寄って来る。


「死は誰にでも訪れるものだ。死に掛けた人間が生き返る事は、この世の法則に反している」


 その姿、その服装は異質。髑髏の水晶が付いた杖を手に持ち、枯れた声と痩せ細った体付きに反して、歩く姿勢は老いを感じさせない。


「お前が何者かは知らないが、我が物顔でこっちの世界を歩き回らない方が良いぞ」

「ほぉ、私がどこから来たか分かるのか?」

「そうだな、まず第一に、お前が日本人じゃないのは確かだ。杖の髑髏に加えて、喪服のくせに白の革靴を履いてる。俺を狙って来たとなると、メルの世界に居る神か何かだろ」


 思い当たる点を告げたヤジマの言葉を機に、老爺が歩みを止めて右目を閉じる。

 

「全て承知の上でやっているという事か……」

「何の話だ?」

「あの女の話だ。名前はたしか、『アストラル』だったか?」


 右目を開いた老爺が廊下の端に移動し、ヤジマに道を譲るような合図を出す。


「その目で確かめて来い。何が起きているか」


 老爺と目を合わせながら廊下を進んだヤジマが、老爺から目を逸らして走る。

 重い扉を肩で押し開け、隔離施設内に居る職員たちが窓の外を眺めている姿を気にせず、とにかく空が見える位置まで走り続ける。


「ハァ、ハァ。アストラル、頼む電話に出てくれ……」


 建物の外に出ると同時に携帯を取り出したヤジマの目には、光の渦が無数に漂う奇妙な夜空が映る。


 渦巻く光の中心からは、地上に降り注ぐ何者かの影。

 大いなる力には大いなる責任が伴うという言葉を体現したような光景が、ヤジマと同じ空を眺める警備員の目にも映る。


「クソッ、圏外か。どこに行ってるんだ!?」

 

 アストラルとの連絡がつかず連絡先を探していると、施設の駐車場に猛スピードで入って来た一台の車が、建物の入り口で電話をしていたヤジマの前に停車する。


「ヤジマ、乗れ!」

「カゲヤマ!?」


 ヤジマの元に駆け付けたのは、痛々しい傷を顔に残すカゲヤマだった。


「どうしてここに?」

「ずっと圏外だったから、隔離施設に居るんじゃないかと思って来ただけだ。それより大変な事になってるぞ」

 

 カゲヤマが車を発進させて街に入り、カーナビのテレビを点けてヤジマに見せる。


 空には、沖縄に基地を構えているアメリカ軍のヘリに加え、異常気象を伝える報道局のヘリコプターが数台。街には同じく緊急走行をする車が走り、沖縄の住民の悲鳴が絶えない。


『ご覧ください、見えますでしょうか。先ほど、午後23時30分頃、突如として世界各地に出現した光の渦から、奇妙な生物が発生し続けています。あれは一体何なのでしょう、本当に分かりません!』


 チャンネルを変えて他の番組にしても、報道している内容は上空に出現した謎の光の渦。どれも生放送で行われている緊急速報。


『えー、見えますでしょうか。突如として飛来したこの物体。生き物というより、カエルの卵のような感触です』


 どう足掻いても報道規制が掛けられない状態に陥ったヤジマは、携帯を調べてネットに上げられている動画にも目を通す。


『おい、気を付けろ? なんかその卵動いとるぞ……』

『気のせいやろ。にしてもえらいデカい卵やなぁ。ドラゴンでも入っとんちゃうか』

『おいやめとけってマジ! 触らんと警察に電話しようや』

『お前ビビっとんけ? 情けないな』


 川辺に落ちて来た巨大な卵を撮影する若者を始め、民家の食卓に墜落した謎の生き物の死体を撮影する家族など、世界各地で何が起こっているか知るには十分過ぎる動画がネットには溢れていた。


 原因は、疑う余地もなく上空に出現した光の渦。

 全てが無傷で地上に降りている訳ではないが、異世界の生物を転移し続けている空間である事に違いはない。


 状況を把握したヤジマは、こうなる事を予期していたであろうアストラルに改めて電話を掛ける。


「どこに掛けてるんだ?」

「アストラルだ」

「またあいつに頼る気かよ……こうなったのは、あいつのせいかもしれないんだぞ?」

「遠い未来で起きる事が今起きてる程度の誤差だ。アストラルが居なくても、俺達が異世界から契約者を召喚する時点でこうなるリスクは在った」


 何度も電話を掛け続けるヤジマを睨みつけていたカゲヤマの目が緩み、世界規模で起きている転移現象が現実を突き付ける。


「助かるよな? 俺達の地球は……」


 深刻な顔をして運転を続けるカゲヤマの表情を横目で確認したヤジマが、数十秒だけ時間を開けて電話をかけ直す。


「助けてもらいたいなら信じろ。アストラルは、神が出来ない事を平気でする奴だ」


 運か、奇跡か、それとも必然か。


 数回の呼び出し音が車内に響き、ヤジマの携帯がアストラルと繋がる―――― 

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