第30話 比喩表現

 攫われたアナスタシアは、テッポウユリ公園の奥地にある浅い洞窟の入り口で縛られていた。

 軽い脱水症状を起こしていたが、体調に変化はなく、地元の病院で精密検査を行っても異常は見当たらなかった。


 感覚を頼りに私の方でもアナスタシアの体に触れて調べたが、何かの異物を摂取した気配はなく、「アナスタシアには何もしていない」と言った勇者【テンドウ・タクヤ】の主張が真実である事は確認出来た。


 電話で、「こいつには借りがある」と言っていたテンドウがアナスタシアに手を出さなかったのは、手を出そうとした直前にアナスタシアが失禁したから。勇者といえど、酷く怯えている女を辱める度胸は流石に無かった。

  

 私の名前を繰り返しながら頭を抱えて震え続けたアナスタシアの行動は、テンドウに不安を与えた。そこまでヤバい奴なのかという不安が、タケミガワにイザナミの体の一部を取り込ませる前から在ったそうだ。

 

 そんな不安が在ったにもかかわらずタケミガワにイザナミの体の一部を取り込ませたのは、イザナミとの約束を破れなかったからだ。

 呪われた祠でタケミガワの弟がイザナミの怨念に殺された際、テンドウはイザナミから「私の復讐に手を貸すなら手伝ってやる」と取引を持ち掛けられていた。不安を感じても計画を変更出来なかったのは、この取引が原因だ。


 テンドウがイザナミと交わした約束は、自身の力を継承するに相応しい女を用意し、体の一部を喰わせるだけ。それがイザナミの受肉を意味している事は、イザナミの怨念と直接言葉を交わしたテンドウと、その恋人の勇者【キタノ・エリカ】しか知らなかった。


 タケミガワの後輩に当たる魔法使いの勇者【ヨシオカ・ツバサ】に関しては、受肉後のタケミガワが「タケミガワ」ではなくなる事を知らずに手伝っていた。


 聞けば聞くほど、三人の勇者を殺したくなる話だ。


 


※ 護衛任務二日目 午前10時20分 アイギス沖縄支部 取調室 ※  


『受肉に関しては、今話した通りです。残念ながら、タケミガワ局長はもうあなたの知るではありません。私達の局長でもないでしょう』

『そんな…………』


 顔を手で覆い隠して泣き始めるヨシオカの前には、タケミガワの付き人を担当していた女が座っている。


 取り調べを行う部屋に隣接された監視部屋の空気は重いが、それよりも重い空気を漂わせているのが、ガラスの向こう側に見える取調室。重要な書類を指先で捻じってしまうほど、タケミガワの付き人を務めていた女はヨシオカ達を憎んでいる。


 怒りを抑えて状況説明に徹してくれているあの付き人には、後で礼を言うべきだろう。


「入るぞ」


 取調室の会話を聞いていると、別の部屋で取り調べを行っていたヤジマが書類を持って監視部屋に入って来た。

 ガラスの向こうで泣いているヨシオカを横目で見てからため息をつくヤジマも、かなりの無理をして怒りを抑えている部類だ。


 疲れているだろうが、他の二人の様子をヤジマに聞いてみよう。


「ヤジマ、二人の様子はどうだった?」

「男の方は、万引きがバレて親を呼び出された学生みたいな面をしてる。恋人の方は、まともに話せる状態じゃない。相当怖い目に遭ったんだろうな」


 ヤジマから渡された資料を見る限り、弓使いの勇者キタノ・エリカには精神疾患がある。明るい場所では幼児化し、部屋の電気を消したり黒い物を見せると発狂して逃げ回る奇行が確認されている。

 

「キタノの精神疾患は、以前から持っていたものか?」

「通院履歴を調べてみたが、それらしい記録は無かった。障害者手帳の申請歴もない。お前と会って発症したものだろう」

「テンドウには聞いたのか?」

「一応聞いてはみたが、普通の女だったらしい」

「そうか……」



 戦える精神状態ではないカンザキ・ヤマト。

 戦う気が失せたテンドウ・タクヤ。

 狙撃手の腕が鈍っているアナスタシア・バーレンハイト。

 目覚めて以降、暗闇を恐れて会話が成立しないキタノ・エリカ。

 既に故人と化したタケミガワ・ミクル。

 聞いた事を鵜呑みにして、何も疑わなかったヨシオカ・ツバサ。

 園児の安全の為に名前を伏せている保育士の女。


 

 異世界から帰還したアイギスがまともな組織に見えるほど、六人に減った勇者は悲惨な状況だ。

 無事に救出出来たアナスタシアに関しても、狙撃銃の照準を合わせる度に山梨県で起きた爆発を思い出して手元が狂うと報告書には書かれている。


 保育士の女に治療を頼んでも、生き残った五人の勇者の傷は癒せないだろう。




「入るぜ」


 ヨシオカがすすり泣く音を聞きながら考え込んでいると、服の色を黒で統一した四人の若い男女が監視部屋に入って来た。

 先頭を歩く若い男はもちろんのこと、その後ろを歩く他の連中も私に何か言いたい様子だ。


「おい、よせカゲヤマ。アストラルは――」

「老害はすっこんでろ!!」


 若い男の右手がヤジマの右肩に触れた直後、自分の手が壁に当たる勢いで相手の手を振り払ったヤジマが、若い男を廊下の壁際まで蹴り飛ばす。


『緊急事態発生。緊急事態発生。職員は、速やかに退避してください。緊急事態発生、緊急事態発生――』


 壁で背を打った若い男が警報機を作動させたせいで施設内に耳障りな音声が鳴り響き、照明が赤い光に切り替わる。


「ツゥゥ……何のつもりだヤジマ。いつからその女の味方をするようになった」

「こいつは味方じゃない」

「だったら何で殺さない。タケミガワが死んだのは、その女のせいだろ。そいつの世界に行った奴らが地球で起こした事のデカさを、てめぇは分かってるのか!? ヤジマ・テツオ!!」

 

 起き上がって殴り掛かっても、若い男は監視部屋に入る手前で殴られ、また壁際に追い詰められる。


「てめぇこの――」


 若い男を壁際まで追い込んだヤジマは、相手が立ち上がる前に顔に蹴りを入れて踏みつけ、若い男と同じ気持ちを抱いていたであろう他の隊員が身を引く程の怒りを示す。


「味方じゃないから『辞めろ』と言ったんだ。それなのにお前は俺の話を聞かなかった。去年もそうだったな? 熱くなったお前は俺の忠告を無視して剣を抜き、一般人を負傷させた。あの失態がどれだけタケミガワに迷惑を掛けたか、もう忘れたのか?」


 顔の皮膚が裂けるほど相手の顔を蹴り続けたヤジマが、相手の服を掴んで立たせてから壁に押さえつける。


「いいか、よく聞けクソガキ。お前が今喧嘩を売ろうとした相手は、俺よりヤバい奴だ。そのヤバい奴が派手に暴れてくれたおかげで、学生達は襲われずに済んでる。お前にあいつと同じ事が出来るか、ええ? 黙ってないで何か言ってみろ!!」


 男を激しく壁に叩きつけたヤジマが、男から手を放して周りに居る連中の顔を見る。


「お前達にも言っておくが、タケミガワが消えたのはアストラルのせいじゃない。誰にも相談せず一人で宮古島に行ったあいつのミスだ」


 普段のタケミガワなら、絶対に私情で動かなかった。そこを分かっているであろうアイギスの隊員達は下を向き、分かっていない者は私を睨む。


 睨んでいる者の思いは様々だろう。どうして助けてくれなかったのかと、私に失望した者も居るかもしれない。


「とにかく、タケミガワが消えても任務が最優先だ。あいつの捜索は東京に戻ってから行う。あいつを……タケミガワ・リョウコを行方不明者リストに入れておけ。それと、誰か警報を止めて来い。医療班は、このクソガキの手当をしろ」

 

 ヤジマの判断は、この状況では仕方のない判断と言える。

 相手は神出鬼没の神。気配を辿って追跡は出来るが、奴が逃げ回る理由は器の不調。瀕死になっている訳じゃないから、下手に追い回せば犠牲者が桁違いに増える。


 行方不明者のリストに加えて、各都道府県に拠点を構えているアイギス達の目や耳を借りるのが対策としては無難だ。



「わっさいびーん、いちゅたーとぅーちくぃみそーれー。ヤジマさん、ヤジマ・テツオさのーうぅいびーが?」


 警報が鳴り止んで施設の灯りが元の色に戻ったタイミングで、沖縄の住民らしい顔立ちの女が現れた。


「あ! んちゃくまんかいうぅたん。かめーやびたんさぁ?」


 女の言葉が全く理解出来ない。

 調べ物に便利な携帯のおかげで地球の言語は概ね習得出来ているが、それでも理解出来なかった事を考えると、女の言語は地方独特の言い回しなのかもしれない。


「トウドウ。標準語を使えと何回言えば分かるんだ? 方言は辞めろ」

「あ、ごめんなさい。つい癖で」


 方言だったか……日本語の面影が無さ過ぎて分からなかった。


「で何だ?」

「これをお見せしようと思って。タケミガワ局長が宿泊していた部屋に落ちていた物です。ちょっと臭いますけど……」


 トウドウという名の女が取り出したのは、いかにも臭いそうな吐しゃ物が入った透明な袋。


「……お前、タケミガワが吐いた物を拾って来たのか?」

「見つけたのは偶然ですけどね」

「偶然?」

「はい。食中毒を起こしていたとの報告があったので、タケミガワさんが宿泊していたホテルに保健所の調査が入りました。これはその時に見つかった物です」


 直視するのが難しい袋を受け取ったヤジマが、袋の口を開けずに中の吐しゃ物を探る。


「ただのゲロのように見えるが……ん? 何だこれは」


 何かを見つけたヤジマの近くに行って目で確認してみると、タケミガワが吐き戻した夜食の中に、どう見ても食べ物には見えない物体が入っていた。陶器の破片にしては柔らかく、生物の肉片にしては小さい。


 可能性としては――


「…………イザナミの呪物か」


 私よりも、袋越しに直接触っていたヤジマの方が早かった。


「どう思う? アストラル」

「お前と同意見だ。呪物と見て間違いない」


 手を添えて気配を探った感じでは、まだ呪物に僅かな神の気配が残っている。不完全、受肉が始まる前に吐き出された可能性がある。


「ちょ、ちょっと待ってくれよヤジマさん。それが吐き出されてるって事は、局長は無事なんじゃ?」


 タケミガワの受肉が不完全な状態で止まっていると分かった隊員の顔に希望の光が見える。


「そうだ、きっと自力で吐き出したんだよ! ハハッ、あのゴリラ局長、まじでゴリラだな。な?」


 他の隊員もタケミガワの無事を喜び始めている。

 

 ――これ以上盛り上がる前に、私の口から言っておこう。


「残念だが、今のタケミガワはお前達が期待している状態よりずっと悪い状態にある。最悪と言ってもいいだろう、助ける手段が絶たれたと言っても過言じゃない」


 横で聞いていたヤジマは既に察しているだろうが、呪物が排出された状態にもかかわらずタケミガワが体調不良を起こしたのは、タケミガワ自身が神に変異した証拠と言える。

 主導権の問題ではあるが、呪物を吐き出されたイザナミはタケミガワの体を奪えていない。 花を食べる行動も、私から逃げたのも、全てタケミガワが自分の意志で取った行動。一種の興奮状態だ。


「アストラル。何とか出来ないのか?」


 ヤジマの質問に対しては、消しても構わないなら何とでも成る――だ。


 マルチバース・ディザスターを呪物に使えば、イザナミに関する情報を抹消する事は出来る。しかし、それをした場合のリスクが大きい事も忘れてはいけない。


「マルチバースは複雑な世界だ。全てを説明しようと思うと、お前達の寿命を使い果たしても時間が足りない」

「時間が足りないのは分かるが、俺が気にしているのは、映画のように歴史が変わってしまう事だ。子孫が消えるような現象は、その攻撃で起きるのか?」


 ヤジマの言う「映画」については分からないが、言いたい事は何となく伝わって来た。


 ヤジマや他の隊員が気にしている【子孫が消える】といった現象が起きるのは、低次元の話。マルチバース・ディザスターが行う穴埋め、もとい辻褄合わせは、容赦なく矛盾を発生させる。


 具体的な例を挙げるとすれば、アダムとイブをマルチバース・ディザスターで殺しても、その子孫は親の顔を知らない状態で生き続け、創造主も子孫がそこに居る理由を知らない状態で永遠に悩み続ける。これがだ。


 無限後退――と言えば少しは伝わるかもしれない。


 この世界が実は仮想世界で、外には私達の物語を観測する者が居たとしても、その観測者達も更なる高次元から見れば物語の登場人物に過ぎない。この連鎖が永遠に続く事を、【無限後退】と言う。


 マルチバース・ディザスターが子孫を消滅させるような低次元の現象を引き起こさないのは、その攻撃範囲が無限後退を終わらせるほど超次元の攻撃だからだ。


 これで伝わったかは分からないが、話をまとめよう。


「とにかく、この国を作ったかもしれない神を殺したところで、この国が無くなる事はない。創造主や編集者的存在が消えたとしても、そこに生命体が住んでいるなら、空白のページを埋める権利はその生命体にある」


 呪物が体外に吐き出されていたと分かった以上、選択肢は二つ。人間を超越して興奮状態に陥っているタケミガワを半殺しにして拘束するか、興奮が治まってから話をしに行くか。


 決めるのはアイギスだ。


「タケミガワの代理がお前なら、選択はお前に任せる。どうするかは、今この場で決めろ。ヤジマ」


 聞かずとも、ヤジマの答えは予想出来る。


「…………あのバカを連れて来てくれ。話は俺がする」


 私にも出来ない事がある。それが伝わったからこそ、ヤジマは答えてくれたのかもしれない。


 手加減出来るか分からないが、努力はしてみよう。

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