第29話 クソボス

 沖縄の海には、オニダルマオコゼという危険な生物が潜んでいるらしい。

 その毒性は強く、毒で死亡する事は稀でも、刺される場所が水場なので死に至る可能性が高い。

 環境を考慮せず、毒そのものの性質で死に至るのは、個人の体質次第。


 未知の病に感染し続ける星で様々な耐性を獲得した私にとって、オニダルマオコゼは愛らしい体形をした観賞魚に過ぎない。


「ねぇ、ちょっと見てよあの子。あれ」

「えっ、わッ、ふぇ!? え、何あの子っ……カツオノエボシを拾い食いしてない!?」 

「エボシだけじゃないわ。オニダルマオコゼやヒョウモンダコまで咬み千切って捨ててる……」


 時刻は午前6時30分。

 夜が明け、徐々に海岸沿いを歩く人が増えて来た。

 浜辺で毒性の高い生物を食べ歩く私を見て驚く地元住民の反応からして、猛毒を持つ生物は栄養価の高い生物ではないのだろう。


 食事はこれくらいにして、飛行機が出る空港に向かいながら状況を整理しよう。




 一晩掛けて私がやった事といえば、沖縄に生息している毒性の高い生物をそのまま食べるという環境調査。

 勇者が指定した時刻になるまでの間を活かし、アニサキスなどの寄生虫も含めて地球で危険視されている生物をひと通り食べてみたが、体に異常はなし。

 寄生虫は私の粘膜すら貫けず体温で蒸し殺され、オニダルマオコゼやカツオノエボシといった生き物が持つ毒も栄養素として吸収出来た。

 

 その土地、その星の環境生物を食べて分かる事は、それ等の生物を危険視する住民の身体能力。

 毒を糧にエネルギーを摂取出来ない体となると、地球人の人間が警戒すべき「毒」は多い。怨念、負の感情すら人間にとっては毒になるだろう。

 

 そんな環境の星で、「聖域」に指定されているのが宮古島に在るテッポウユリ公園。正確には、その奥地にある御嶽。


 天界ではなく地上に存在する聖域は、大きく分けて二種類。

 一つは宗教的な理由で、神聖な場所が穢されない為の対策。

 二つ目も宗教的な理由ではあるが、一つ目とは目的が大きく異なる。


 私の見解が正しければ、宮古島の御嶽は、その地の底に封印した邪悪な存在を解放しない為の結界が設けられている類の聖域だ。

 私の世界で歴史を調べたであろう勇者の性格を考慮すれば、古代の神や大昔に封印された神々がどれほど脅威だったか知っているはず。

 

 ――そして勇者は、その脅威が史実ではない事を知らない。


 信仰心を捨てられない者の為に、人々から信仰心を失わない為に神々が残した天地創造の歴史は、実際に起きた出来事とは異なる作り話。


 禁断の果実を食べて楽園を追放されたアダムとイブの話が良い例だ。

 最初の人類、アダムとイブは楽園を追放されておらず、楽園の門に使われていた鉄格子で槍を作り、園内の聖獣を狩り尽くし、創造主の心臓を貫いて殺している。

 生きる為には食事が必要だと二人に教えたのは創造主。そう教わって生まれて来た二人が創造主の心臓を食したのは、その力を授かりたかったからだ。


 禁断の果実の正体は創造主の心臓。アダムとイブは楽園を追放されたのではなく、そこに食べ物が無くなったから移住しただけ。


 そんな創造主の失態を赤裸々に伝える神は居ない。

 

 神が記す人類史は、自分達が絶対的な存在であるという妄想。

 神が人間と比較して強力な存在である事に変わりはないが、ヘンドリックのように大国を治める王族なら、邪神の一体や二体は一振りで倒せていた。

 とはいえ、神を殺すのは政治的にも良くない行為。行き過ぎた殺戮は反乱を招くだけという事もあり、率先して神殺しをする王族は滅多に居なかったと言える。


 そんな私の世界で歴史を調べたであろう勇者が宮古島の聖域を待ち合わせ場所として指定して来たのなら、間違いなくそこには神が封印されている。


 あの勇者が私に対して備えるとすれば、私の世界に在った神器を、この世界の神に渡す程度だろう。


 


※ 午前6時50分 那覇空港 軍事用滑走路 ※


「アストラルさん、あちらのヘリでタケミガワ局長がお待ちです! もうかなり出発時間が過ぎているので、急いで乗ってください!」


 軍事用のヘリコプターが発する騒音に負けじと声を張ってくれた軍人に案内されてヘリに乗り込むと、大きな欠伸をしているタケミガワの顔が目に留まる。


「フアーアッ……フゥ」


 目の充血具合からして、あまり眠れなかったようだ。


「眠れなかったのか?」

「寝ろと言われて眠れる訳ないだろ……そういうお前は、ちゃんと眠ったのか?」

「私に睡眠は必要ない。目を閉じる事があるとすれば、瞑想して考えを整理する時くらいだ」


 疲れを考慮して昨日は宿泊施設に向かわせたが、逆効果だったかもしれない。目の下に大きなクマが出来るほど、タケミガワの顔に疲れが見える。


「タケミガワ局長、出発してもよろしいですか?」

「ああ、出してくれ。宮古島まで一時間近く掛かるし、どうせ間に合わない。安全運転で頼むぞ」

「はい」


 操縦士が機体を離陸させて空に飛び立つと、滑走路で旗を振っていた誘導員が徐々に小さくなっていく。

 

 沖縄に来た時の飛行機とは異なる仕組みで推進力を得ている乗り物――ヘリコプター。


 興味深い乗り物だが、全身に汗を掻いているタケミガワの顔色を見ても分かる通り、あまり乗り心地が良い物ではない。快適性を考慮していない代物だ。


「うぅ……」


 ヘリコプターの乗り心地はさておき、タケミガワの様子がおかしい。

 熱もあるようだし、唇が渇き切って裂けている。熱があるせいか、たまに気を失って窓のガラスに額をぶつけている。


「おい、タケミガワ。お前、本当に大丈夫なのか? かなり顔色が悪いぞ」

「……問題ない。ヘリの揺れが…………苦手なだけだ。船もダメなんだ。揺れが激しい乗り物は全般的に酔う…………ウゥッ!」


 今にも吐きそうな勢いだ。食中毒の症状に近い。


 何を食べたのか聞いてみよう。


「お前、昨日の晩は何を食べたんだ?」

「アァ……何だったかな。お前と植物園で別れて、それからホテルに着いてぇ……ゴーヤチャンプルーを食べた気がする。隊員の一人が、とっておいてくれた夜食の残りだ」


 タケミガワが夜食の名前を口にすると、操縦士の男が「夏場のゴーヤチャンプルーは危ないですよ」と教えてくれる。

 操縦士の話では、ホテルのバイキングで出される料理といえど、保存状態が悪ければ食中毒を引き起こす事があるらしい。


「残り物を食べたのなら、多分それに当たったのだと思います」


 操縦士は地元の人間。都会育ちのタケミガワの食生活に沖縄の料理が合わなかったと考えれば、体調が悪くなるのも無理はない。


「ハァ、ハァ……こんなはずじゃ、なんでこんな時にッ…………ウォエエエエ――」


 吐き気を抑え切れなかったのか。前屈みになったタケミガワが、シートベルトに腹部を圧迫されながら夜食の残骸を備え付けの袋に吐き出す。


 臭いに関しては夢魔よりマシだが、酷い絵面だ。


「フゥ……アストラル、悪いが少し横にならせてくれ。着いたら起こして欲しい。具合が悪い…………」

「……ああ」




 タケミガワのうめき声が機内に響き続けること数十分――――




「待たせたな。約束の時間に遅れたが、望み通り来てやった――ボェエエエエエエ!!」


 私達を呼び出した勇者と思しき三人の男女の前で、タケミガワが白い花畑に肥料を吐き散らす。


 本当に酷い絵面だ。


「……具合が悪そうだな」


 タケミガワの具合の悪さは、何かの武術を習っているであろう体格の勇者タクヤが気に掛けるほどのもの。

 弓使いの勇者エリカ、私に「肉便器」扱いされて不機嫌になっているであろう魔法使いの女も、依然としてえずき続けるタケミガワから目を背けている。

 

「まあいい。時間通りとはいかなかったが、ようやく本物の魔界の統治者とエンカウント――――」

「ボォエエエエエエエ!、ウ、ウゥッ……オェエッ、!!」


 勇者タクヤの言葉が、タケミガワのうめき声に遮られる。


「出来た事だし、早速――」

「オエエエエエエエエエエッ!!」


 私でも振り返ってしまうほど、タケミガワの様子がおかしい。

 吐しゃ物を口から垂れ流したまま腹を押さえて白い花畑に入って行くタケミガワの行動は、明らかに異常だ。


「馬鹿な……この私が、食中毒などに…………ウプッ、あり得ない事だ。何かがおかしい、私を狂わす何かが近くに居る!」


 意味の分からない事を呟いたタケミガワが、その辺りに生えている白い花を掴み取って夢中で食べ始める。


「食欲が、食欲が抑えられない…………死ぬ、食べなければ死んでしまう!!」


 ――食べなければ死ぬ。

 

 狂ったように花を口に詰め込み続けるタケミガワの言葉を聞いて、疑いが確信に変わる。


 勇者タクヤとその仲間達に目を向ければ、全員が想定外の事態に陥っているような顔をしている。


「お前達、タケミガワに神の死体の一部を食わせただろ」


 タケミガワの体調不良は、昨日襲って来たタナトスのデルタチームにも起きたこと。神の力を宿す器の不調だ。

 この不調は、私の存在、私の気配が原因で器との調和が乱されている時に必ず起きる。


「愚かな事をしたものだ。概念や法則を捻じ曲げる程度の戦争しか出来ない神と私を戦わせようなんて、私の世界で何を学んで帰ったんだ?」


 神を戦力に加える事の無意味さを語ってやると、勇者タクヤが日本刀を抜いて私に斬り掛かって来る。


「秘剣、ブレイズ・オブ・アーケイン!!」


 技の名前を叫んだ勇者タクヤが私の横を通り過ぎると、刃が通過した部分の世界が切断される。

 次元斬とでもいうべきか。世界を切り裂く事で、その世界に存在する住人ごと相手を切り裂く最強の斬撃も、今の私からすれば「そんな時代もあったな」、程度の思い出。


「懐かしい技を覚えているな、お前」


 振り返ってどんな顔をしているか見てやると、世界を切断しても私を切断するに至らなかった勇者の刃が儚く砕け散る。

 刀を振り、確実にその技で仕留められると思っていたであろう勇者の表情は、そんな馬鹿な事があってたまるか、と言いたそうだ。


「世界を切り裂けば、その世界の中の住人も引き裂かれる。この理屈が真実のように語られていたのは、器の強度が内容物の強度を上回っていた時代だ。内容物の強度が器を超えている場合は、世界を切り裂く攻撃力と内容物の防御力による純粋な勝負に回帰する」


 と説明はしてみたものの、世界を切り裂くような攻撃を無抵抗で受けて相手の武器を破壊したのは私が初めて。時代が変化したのも、アキラが死に、私が強く成ってからの話だ。勇者にその時代を知る術は無かったと言える。


「――だったらこれはどうなのよ! ハーデス!!」

 

 後ろで何か弾ける音がした。


「どれの事だ?」


 弾ける音と女の声がした方に振り向くと、足元に錆びた短剣の残骸が散乱している状態だった。

 短剣を私の足元の影に突き刺したであろう小柄な女は、その反動を受け止めきれず両手に酷い火傷を負って尻もちをついた状態。情けない姿だ。


 恐らく、小柄な女が使ったのは私の存在に直接干渉する系の神器か何かだろう。あるいは、能力改変を試みたか。何にせよ、私に干渉しようとした力が逆に破壊されたのは明らかだ。枝で鉄を貫こうとした結果に近い。


「な、何なのよこいつ……」


 他の二人と違って何もして来る様子が無い弓使いの女には、神を殴り殺す時に使った技を見せておこう。


 体内のシナプス活動を寸分の狂いもなく制御し、情報伝達の速度を行速の域まで引き上げた状態で筋肉を収縮させ続ければ――


暗黒面ダークサイド


 ――漆黒の体が誕生する。


『なっ……!? こ、こっちに来ないで!!』


 女に放たれた矢が、私の体をすり抜ける。


『すり抜けた……!?』


 暗黒面に、他者の音は届かない。

 ここに在るのは、「聞こえる」ではなく、「聞く」という私の意志のみ。


『クッ……エリカ、ヨシオカ、逃げるぞ。撤退だ!』


 勇者タクヤが逃げる姿も、「見える」ではなく「見る」だ。


『エリカ、何してる! 煙幕を撃って走れ!!』


 勇者から指示を受けたエリカに煙幕で視界を遮られても、煙幕の向こう側で動けずにいるエリカの姿を見続ける。


『あのバカ』


 煙に構わずエリカに向かって走り出せば、尻もちをついて倒れる恋人を庇いたいであろう勇者が間に入る。


『やらせるか、リリース――』


 勇者が鞘を振る前に速度を上げて走れば、漆黒の体が勇者の体を通過し、その背後に居た恋人の元まで右手を届かせる。


『――なにッ!?』


 勇者が振り返るのを確認してから恋人のか細い首を掴み上げてやると、苦しむ恋人の表情が私の言いたい事を勇者に伝えてくれる。


『まさかこいつ、自分の行動以外存在してないのか……?』


 勇者の回答は、一割程度の正解。

 

 暗黒面に入った私には、事象が発生しない。

 この漆黒の体は、概念操作、法則無視、能力改変はもちろんのこと、存在しない相手を攻撃するという屁理屈のような争いにも参加しない。

 相手の攻撃は当たらず、私の攻撃だけが当たり続ける。私の攻撃を強化して反射しようと企んでも、それを行う為の「反射」がそもそも発生しない。


 前提条件の消失。そこを理解して初めて、暗黒面の基本を理解している者と言える。


 前提条件の消失を理解出来ない者に対して暗黒面を語るとすれば、「時間の無駄」という言葉が最適だろう。

 

 戦い自体が成立しない。


 一方的に相手を叩き潰すのは、強さを目指した相手に対する配慮が足りない虐め――――



『く、苦しいぃ……た、助けて、タクヤ…………』


 苦しみながらも勇者の名を口にした恋人の目には、瞳の色や髪色、口を開けた時に見えるはずの白い歯さえ映っていない。そこに映り込んでいるのは、私の姿を模った漆黒。光さえ反射しない純粋な黒。


 本物の悪魔と出会うまで私の頭の中に在った「悪魔」の姿、その物だ。


『こ、このクソボスが……エリカを放しやがれええええ!!』


 見た目に反して意外と感情的だった勇者に恋人を投げ渡し、体の力を抜いて暗黒面から抜け出せば、皮膚が元の色に戻る。


「エリカ、おいエリカ! 目を開けろエリカ!!」 


 音も普通に聞こえる。

 

「おい、エリカ!!」


 もう誰も失いたくないのか。気を失った恋人の顔を撫でる勇者の目に、一粒の涙が見えた。


 最初は遊びのつもりでも、いつしか自分でも気付かない内に本気になっていた、と捉えてやるべきか……肉体関係止まりのもう一人の女には、辛い現実だろう。


「――せ、先輩? 先輩!?」


 タケミガワの事を「先輩」と呼んだであろう女の言葉が気になって周りを見渡してみると、暗黒面に入る前まで花を食べていたタケミガワの姿が無い。


「おい、そこのお前。タケミガワに食わせた神は、何を司っていた神なんだ?」


 事情を知っているであろう小柄な女に聞いてみると、「イザナミ」という神の名を口にした。


 無理もない状況だが、女は私の質問を誤解している。


「名前を聞いてるんじゃない。何を司っていたか聞いてるんだ、早く答えろ」


 小柄な女を問い詰めると、恋人の無事を確認した勇者が後ろから「神産み」と答える。


「神を産み出す神だ。国を生み出す男神を恨み続けていた女神の子宮の一部を、タケミガワに……」


 私の世界に居た奴で置き換えるなら、アダムを食い殺した【イブ】が妥当だろう。一匹放置するだけで数多の怪物がこの世に産み落とされる類の化け物だ。


「本当に愚かな事をしたな、お前達は……」


 圧倒的な力の差を示して戦う意思を潰す事には成功したが、その性質上どうしても視野が狭くなってしまう暗黒面に入ったせいでイザナミを捕らえ損ねた。


 あれが本当にイザナミなのか。それとも受肉を試みたイザナミとタケミガワの間に生まれた全く別の存在か。どちらにせよ、受肉によって様々な情報が入り乱れている状態では助ける術がない。

 受肉が完了して情報整理が終われば、そこから暗黒面に入ってイザナミの情報だけ引きずり出す事は出来るが、マルチバース・ディザスターに耐えるよりも難しい作業である事は確実。


 アカシックレコードに干渉して、その中の情報を引き抜くような世界規模の手術を確実に成功させるには、暗黒面の先に到達する必要があるかもしれない。

 

 とにかく、まずはこの先に居るであろうアナスタシアの無事を確認しよう。

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