第26話 不発弾

 生きたまま悪魔に転じた存在が居るとは思っていなかったであろう白髪の女と共に動植物保護楽園の屋敷に向かった私は、屋敷の使用人に事情を話し、十九時台で既に眠りについていたマツルちゃんを起こしてもらった。


 取り乱す事を考慮して、白髪の女が何者で、母親に何をしたかの状況説明は使用人に任せてある。


 後は、使用人が状況説明を終えるのを待つだけ。


 時計の針と虫の音が響く無人の食堂は、数時間前に訪れた建物と同じ物とは思えないほど静かな場所だ。 




「どうぞ、お嬢様。こちらでお待ち頂いております」


 食堂の扉が開いてマツルちゃんが姿を現すと、白髪の女がマツルちゃんから顔を背けて窓の外の庭園を眺める。


 白髪の女に打つ手なし。私に権利を侵害されている以上、このまま取引に応じるしかない。


「待たせてしまってすまない。何百年も抱え続けた問題が、話したその日の内に解決するとは思っていなかったものでな。礼を言うぞ? 異界の客人」


 マツルちゃんが席に着くと、白髪の女が退屈そうな表情で天井を見上げる。


 直接会うのは今回が初めて。

 観測者に徹していた女がマツルちゃんと会いたくなかった事は、聞かなくても態度で分かる。


「して、この女が母の魂を持っていた上級悪魔というのは、本当なのか?」


 蚊帳の外に居るような顔をしている女の椅子を蹴って話に集中させると、女が自分の口で「そうだ」と答える。


 物珍しい人間を攫う時代でエルフ族と人間の間に産まれた子が生き延びる為には、人知を超えた存在に頼るしかなかった。

 それがマツルちゃんの母親が出した結論で、王室の女の魂を正式な手段で手に入れた白髪の女が上級悪魔に成れた経緯。


「悪魔よ。お主に名前はあるのか?」

「そんなものは私に無い」


 何かの不正を働かない限り王室の魂を下級悪魔が手に入れる事などあり得ない。そう主張する上級悪魔が、新参者の女に名前を与えなかったようだ。


 疑うのは無理もないし、疑われても上級悪魔に成れるのが悪魔社会の特徴。

 実力がある者だけが、序列争いに参入する権利を得た上級悪魔と成る。


 ――名前が無くても、私達の前に居るのは正真正銘の上級悪魔だ。


「利用されたとはいえ、ワラワが今日まで生きて来れたのも、この名も無き悪魔の仕業という事か……賢く立ち回って来た気でいたが、それも思い違いだったようじゃな」


 マツルちゃんが肩を落として一呼吸置くと、ポケットに入れていた私の携帯電話が鳴る。


 電話を掛けて来ているのはアナスタシアだ。

 

「出なくて良いのかい? その電話は、君に掛かって来ているものだぞ」

 

 白髪の女が私に興味を示した。


 アナスタシアからのこの電話は、マツルちゃんを守る為に白髪の女が権力を主張し続けて来たしっぺ返しといったところだろう。

 

 乱されていた運命が軌道修正を始めた合図だ。


「……誰だ?」


 白髪の女とマツルちゃんの前でアナスタシアからの電話に出ると、電話を掛けて来た人物から少し離れた場所で誰かが抵抗する鼻息のような音が聞こえた。


『初めまして、で良いんだよな? アストラル・フォン・エヴァレンス。俺が誰か分かるか?』


 電話の相手は男。

 私の名前を知っている様子からして、ヘンドリックが召喚した勇者の一人。

 

 カンザキ・ヤマトが話していた、「ゲーム感覚」の男だ。


「ヘンドリックに召喚された勇者の一人だろ」

『へぇ、知ってんのか。なら、このロシア人の女が話した事は本当だった訳だ。俺達を追って異世界から来たらしいな?』


 声質、喋り方、その他、電話から伝わって来る様々な要素から判断して、電話の男はヘンドリックがカンザキに伝えた内容を盗み聞きしていたのだろう。

 ヘンドリックの話を聞いて歴史を調べ、魔界の本当の統治者がアキラではない事を知っていたような口ぶりだ。


 この男の性格上、聞けば得意げに語るだろう。


「……お前、わざとカンザキにアキラを殺させたな?」

『まるで俺が殺したような物言いだな? 言っておくが、あの坊主頭は自分から立候補したんだぞ? ネームドや隠しボスにしか興味ない俺にとっちゃ、女と遊べる良い機会だった』


 言葉を交わせば交わすほど、カンザキが言った「ゲーム感覚」なのがよく分かる。


 カンザキと共に前衛を務めていた男の現状を考慮すると、この男と恋仲にあった女と、肉体関係にあったもう一人の女も同じ感覚で楽しんでいるだろう。


 アナスタシアの無事を確認しておこう。


「アナスタシアは無事なのか?」

『軽い擦り傷がある程度だ。この女には、俺の手を払い除けた借りがある。そう簡単には殺さないさ』


 白髪の女が権力を侵害された直後に勇者から電話が掛かって来たという事は、電話を掛けて来たこの勇者の狙いは白髪の女。


 ――上級悪魔の殺害だ。

 

「くだらない復讐の為にアナスタシアを追っていたというのか?」

『別にこの女のケツを追い回してた訳じゃない。出会ったのは偶然、同じ高校に通ってた奴と久しぶりに会って声を掛けたようなもんだ』


 運命は些細な事で乱れる。

 男がコップに残ったコーヒーの搾りかすを飲まなかっただけでも、その男と女の間に産まれて来る子供の性別が変わる。

 一秒だけ飛行機のチケットを買うのが遅れただけでも運命は乱れ、出会う出会わないの結果を決める。


 この出会いは、この世界の神の中に悪魔を何としてでも排除したい奴が居る証拠――――


『こちらアルファチーム、池の中央の陸地の側に到着した。いつでも行けるぞ』


 誰か別の奴が話している。

 私が手にしている電話から聞こえた声じゃない。


『了解した。ブラボーチーム、そちらの状況を報告しろ』


 ――また別の声。


『こちらブラボーチーム。現在、水生植物エリアの橋を移動中。標的が潜んでいる建物周辺の照明を落としてくれ』


 電話を掛けて来た勇者と同じ勢力かは不明だが、暗闇に紛れて屋敷に続く橋を渡っている部隊の影の数からして、勇者に構っている暇はない。

 

 電話を切って、先にこっちを処理しよう。


「よく聞け勇者。ゲームオタクだか何だか知らないが、現実世界の出来事を仮想世界の出来事だと捉えるお前の世界観は、この私の手で必ず叩き潰す。セーブデータを破壊されたくなければ、私が行くまでそこを動くな」


 返事を待たず電話を切ると、屋敷内の灯りが全て落ちる。

 屋敷の外に見えていた庭も、水中に建てられた街灯も、施設内の光を発する物全ての電力が絶たれて行く。


『こちらチャーリーチーム。施設内の電力を全て落した』


 ――これも別動隊の無線。


『よし。総員、デルタチームの突入に備えろ。これより、アークデーモン討伐作戦を開始する。デルタチーム』


 通信が絶えないこの特殊部隊の狙いも白髪の女のようだ。


『こちらデルタチーム、これより降下を開始する。神器の解放は標的の視界に入る前に行う。カウントに備えろ』


 意識を建物の上に向けて空の気配を探ると、神の力を宿した神器の存在が四つほど確認出来た。

 デルタチームは上空を通過する飛行機から降下してくるつもりだ。


『ん……』

『どうした? デルタチーム』


 気配を探ったせいで気付かれたかもしれない。


『神器が震えている……』


 やはり気付かれている。


『何をやっているデルタチーム。今すぐ降下を開始しろ、もうポイントを過ぎているぞ』


 デルタチームを乗せた飛行機の気配が、どんどん屋敷から離れて行く。

 恐らく、降下が出来ない理由は神器の機能不全だ。


『こちらデルタチーム。問題発生だ、神器が鞘から抜けない、拒絶反応だ。繰り返す、神器は使えない。標的付近に未知の存在が居る。今すぐ撤退しろ!』

 

 飛行機か完全に飛び去ると、地上に居た部隊の無線も騒がしくなる。


『急げ、走れ走れ。早く早く早く、グズグズするな急げ!』


 地球人にしては早すぎる速度でブラボーチームは撤退。


『おい、何やってるんだカイル、早く池から上がれ!』

『ダメだ、足場が泥にハマった。手を貸してくれ!』


 池から上陸を試みようとしたアルファチームも撤退。


『メーデーメーデーメーデー、こちらチャーリーチーム! 大至急応援を、攻撃を受けている!! アイギスのゴリラ女――』

『誰がゴリラだ!!』

『ぐわッ――あああ――――アアアッ!!』


 悲鳴を最後に交信が途絶えたチャーリーチームは、タケミガワらしき女に蹂躙されたようだ。


 恐らくタケミガワが現れたのは、アナスタシアとの連絡が途絶えたからだろう。


「おい、お主の電話が震えておるぞ? 電話じゃ」


 停電しても冷静に様子を窺っていたマツルちゃんが、机の上に置いていた携帯電話の着信に気付いてくれた。


 電話の相手はタケミガワ。

 急いで電話を切った時に、携帯電話を無音モードにしてしまったようだ。


 切れる前に出てやろう。


「どうした? タケミガワ」

『良かった。お前は無事なんだな?』

「無事だ。そういうお前は、今は楽園に居るのか? 敵の通信にお前の怒鳴り声が紛れていたが」

『…………耳が良すぎないか?』

「聴覚が優れていても良い事なんて一つもない。それより、良い咆哮だったぞ? お前の声に驚いて敵が無線機を投げ捨てる音まで聞こえた」


 タケミガワの話によると、飛行許可が下りていない未確認の貨物飛行機が飛んでいるとの連絡がヤジマからあったそうだ。

 アナスタシアとの連絡がつかない事もあって、タケミガワは飛行機の現在地を確認しながら移動し、アナスタシアを最後に目撃したこの楽園に戻って来たらしい。


「――これも因果応報かな?」


 嬉しそうに因果応報を口にした白髪の女の反応からして、タケミガワは自分が倒した敵の勢力を知らないだろう。


 念の為に確認しておこう。


「タケミガワ、お前が倒した勢力に心当たりはあるか?」

『見当もつかない。だが、手掛かりならあるぞ? こいつらは日本の部隊じゃない。二十人ほど殴り倒したが、全員が外国人だ。それと……』


 他にも何かありそうだ。


「それと何だ?」

『上着の背中に翼を生やした老人の絵が描かれている。左袖には、タナトスという文字が見える。ギリシャ神話の神の名だ。死、そのものを司っている』


 となれば、神器を得ている理由も納得が行く。


 タナトスを名乗る部隊がアナスタシアや勇者と関係があるのかはまだ分からないが、一度合流した方が良いだろう。


「タケミガワ。お前はそのまま楽園を進んで、水生植物エリアの屋敷まで来てくれ。アナスタシアの件はこっちでも把握しているし、お前に紹介しておきたい奴が居る。タナトスに命を狙われている奴だ」


 悪魔と出会った時点で対照的な存在も居る事は確信していたが、こうも一気に動き出すとは思っていなかった。


 白髪の女が何者なのか、もう少し調べてみるとしよう。

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